2018年12月22日土曜日

瞬発力について 第三部

俳優を目指す人々への提言


ザ・アクターズスタジオ正会員  
ゼン・ヒラノ

「強力な瞬発力は、深いリラックスから生まれる。」
と確信している。

これを実証する為に、合宿生に椅子に腰掛けてもらい、全身から 徹底して身体の
緊張を抜くように指示した。

例によって実際に身体のあらゆる部分から力が抜けているか調べてみた。

各自のリラックスを確かめた後、生徒たちは椅子に腰掛けたままで、僕の指示に従い、ドラを鳴らした途端右手を横に振り上げること。

注意はあくまでもリラックスに置く事、全ての意識はリラックスに、そして右手を横に上げるという意識は100分の1あれば良いとした。


ドラの音を合図に、本人の最大限のスピードで、右腕、左腕、首、上半身と繰り返し、最後に椅子から立ち上がって大の字のポーズを取るよう指示した。

又、俳優の表現力を強化すると言う意識もあったので最大限の声を胸からから体の動きとともに、吐き出して貰うことにした。

からだの隅々までリラックスに最大限の注意を払って、合図の音が鳴ったら大声とともに爆発的に体を投げ出す。

100分の1秒を争うスタート ダシュだ。

生徒は全力でやって退けた。

瞬発力は深いリラックスから生まれることをこの訓練を通して実感した。


男性の一人は、サッカーコーチをしているので、実際の場をでこのリラックスによる瞬発力を生かして貰いたいと思っている。

(まず本人が、何回も練習して、この方法は役に立つと実感してから、公開の訓練に持ち込んで欲しいと思っている。)



今回、全く予期しなかったが、ミユキも僕も非常に驚き、感動した事があった。 

「瞬発力は、リラックスから生まれる」を実証するための訓練に参加した一女性が、全く別人のような姿を現した。

この女性Aは、若く容姿に恵まれているが普段、態度、考え、感情等、何かハッキリとしない印象を受けていた。

ところが、この、瞬発力の訓練を受けた直後、この女性が、突然、全く別人と思われる姿を現した。

シンプルで率直でエネルギーに満ち溢れた女性が我々の目の前に立っていた。

背はいつもより高く感じられ、顔の輪郭はハッキリとし、表情は豊かになり、自分の感情を、率直に伝えてきた。

一人の明るく輝いて自信に満ちた美しい女性が我々の目の前に姿を現した。

感動した。

僕の庭に又、一輪の美しい花が咲いた。


ZEN

瞬発力について 第二部

俳優を目指す人々への提言


ザ・アクターズスタジオ正会員  
ゼン・ヒラノ

瞬発力はどのような方法で養えることが出来るか?
瞬発力を具体的に高める方法は?
どのような訓練方法を必要とするか?
偉大なる選手の瞬発力を生み出す条件は?

ふと、思い付いたことがある。

「偉大な瞬発力は偉大なリラックスから、生み出される」
と。


一流選手は、常にリラックスしている。

意思の力は人一倍強いが、
不必要に肩を怒らしたり、歯を噛み締めたり、しかめ面をすることはない。

人一倍の闘志は眼の輝きにに現れるので、身体の力みではない。

偉大な瞬発力は、リラックスから生まれる。

リラックスとは必要以上の力を使わないことだ。


人は立っているためだけでエネルギィーを必要とする。

立っているために、腰を踏ん張ったり、肩をいからしたりする必要はない。

我々は、長い生活習慣で、身体のどこかに、緊張を、不必要な力をを習慣的に持ち続けている事が多い。

(この人生で付けた習慣的な緊張は、精神的にも影響し、あなたの本来の美しさを阻害する。)


合宿クラスの一生徒が、初対面で非常に硬い印象を受けた。

眉をしかめ、口を一文字に結んで、硬く無表情な印象を受けた。

多くの人の場合、自分自身への気づきが欠ける。

多くの人は他人のことはよく気づくが、自分に対する気づきが弱い。

本人に自分がどんな表情をしているか、本人に気づきを与え、鏡に向かって自分で直せばいい。

しかし、一時的ではなく、習慣にすることだ。

僕は彼に会うたびに褒めたり、注意したり等の気づきを与えた。

今では、明るく微笑み、非常に好感の持てるハンサムな男性が現れた。


教師の仕事は、本人に気づきを与え、方法を教え、本人が自分の努力によって問題を解決する事だ。

スタニスラフスキー曰く、
「困難なものを楽に出来るように、楽に出来るようになったら、それを習慣に、習慣を美しいものに」
と。

いつものことだが、今回の課題、瞬発力から離れてしまったが、僕にとって合宿クラスでの瞬発力の訓練は、予期しない、驚くべき結果を出したので次回にお伝えします。

ZEN


~瞬発力の具体的訓練、次回につづく~

2018年12月19日水曜日

瞬発力について

俳優を目指す人々への提言


ザ・アクターズスタジオ
正会員  
ゼン・ヒラノ


最近、一人の男性が合宿クラスに参加した。

彼はスポーツマンである。

某有名大学のアメリカンフットボールの主要選手。

また毎回参加している青年はサッカーをコーチしている。


我々俳優の訓練で、彼らの仕事に直接、かつ、具体的に役立つ方法はないか模索し始めた。

以前、ブログに投稿したと記憶しているが、ロスアンゼルスの郊外を一人歩いていた時、一人の男性が、話しかけてきた。

気がついたら、当時アメリカンフットボールの神様と讃えらまた、O・J・シンプソンである。(よく、有名人が僕に話しかけてくるのであまり気にとめななかったが)10分か15分話して別れたが、彼は、僕に強烈な印象を残していった。

それは、彼のリラックスからくる体の柔軟性と彼の存在感だ。

又、テレビで見かけるサッカーの天才ロナウドのリラックスの凄さだ。

自分に球が回って来ない時は、まるで、子供が散歩しているかのように競技場の中をぶらぶら歩いている。

名人と言われる全ての分野の人達の共通点は、卓越した集中力とリラックスだと言われる。


色々なスポーツ番組をみて気がつかされたことがある。

世界のタイトルを獲得するような選手は、リラックスが、良い。
天性のリラックスだと思わされる。

マイク・タイソンのあのパンチ力は、偉大なるリラックスから生まれると確信している。

つまり、卓越したスポーツ選手の共通点はリラックスと瞬発力にあると確信している。

我々は、これらの卓越した選手に一歩でも、二歩でも近づくことが出来るだろうか?

僕は、四六時中模索した。

そして、発見した。瞬発力を高める方法を。


続合宿クラスで実践したところ、予想を遥かに超えた結果を得た。

・・・・・

次回につづく。

ZEN

2018年12月18日火曜日

俳優を目指す人々への提言

フィギュア アイススケーターについて

ザ・アクターズスタジオ
正会員  
ゼン・ヒラノ


僕は、スポーツをテレビで、観戦するのが好きだ。

特に、フィギュア、アイススケートに興味を注がされる。

スポーツの中でスケーターは、一番芸術性の高さを要求されるのだと思う。

それとともに、四回転ジャンプやターン等、高度な技術もマスターしなければならない。

又、興味を引くのは、氷の上という、日常の場を超えた異次元の世界でのスポーツである。

5、6歳の頃から訓練に訓練を重ね、高度な技術を習得した上、選ばれた数少ない人たちが大会の出場権を手にする事ができる。

技術的な高さと、ホームの美しさが、採点の基準となる。

スポーツの中で、一番ホームの美しさ、表現力の力強さ、そして芸術性の高さを要求されるのがフィギュアスケートだと思う。

失敗の危険に立ち向かい、四回転等、高度な技術を駆使して青春の輝きを解き放しているスケーター達に強く魅せられる。


僕がフィギュアスケートに強く惹きつけられるのは、氷という異次元の舞台で人々に感動を与える芸術性である。

勿論、全てのスケーターと言えないが、そのうち何人かは、我々に美しさと感動を与える芸術家だと確信させられる。

日本の宇野昌磨、 羽生結弦等は、アイススケートは、芸術性の表現だとの、高い意識を持っていると思うが、ロシアのアイススケーターメドベージェフは、美と、魂の表現、芸術の世界を深く追い求めているのだと思う。



人間に与えられた美と真実の表現に命をもやしているとの強い印象を受ける。



今回のスケートのコンテストのエキシビジョンで、(エキシビションでは、採点を気にする必要が無いので)デュエットダンスで踊ったロシアの女性スケーターの演技(恋におちた若き女)には、深く感動させられた。

この女性スケーターの恋する女の表現力(眼の輝き)に対抗できる俳優は、数少ないと思える。

氷の上という異次元の場で、高度なテクニックを駆使して、全身で恋心を表現する女性アイススケーターに演技力で,匹敵する女優は、今すぐに思いつかない。

我々俳優は真の恋心を表現するには、目の色をかえなければないから。

目の色は演技(お芝居)では変えられない。

決められた場所と時間で恋に落ちなければならない。

勿論、演技訓練は、他の芸術訓練の様にしっかりと確立されていない。

なぜなら、日常の生活でスッタモンダ使っている生身の人間の心と体そのものが、芸術の素材になるからだ。

汚れたキャンバスを白紙に戻し、他人の人生を描かなければならない。

しかし、もし、俳優がこの生身の心と身体を駆使し想像の世界に入り込み、役の人生模様を描き、人々を深く感動させることが出来たら、他の芸術分野を凌駕すると、信じている。

ZEN

2018年12月11日火曜日

受講生からの声

ゼン先生、レポート読んでくださりありがとうございました!

また、抑圧された感情への文もありがとうございます。

ゼン先生ミユキ先生は本当に私の両親より私の事を理解してくれてるのではないかと思うくらい、本質的なところから指導してくださり、本当に感謝しております。

引き続きご指導の程よろしくお願い致します。



またこの前の合宿でレッスンを受けた直後にオーディションがあったのですが、
想像力を使うこと、ゼン先生から教えて頂いた事を意識しながら演技しました。

色んな要因はあると思いますし、私の演技がいきなり上達したわけではないかと思いますが、とにかく意識して演技しました。

結果、無事オーディション合格する事ができました。


教えて頂いた事を意識して全力で役を演じたいと思います。

E.K

『神との対話』に魅せられて

完結編について

ゼン・ヒラノ

『神との対話 完結編』が出版された。
最終版『神へ帰る』から約10年振りのことである。

待ち望んでいた神からのメッセージの本であるが、未だ、手元にない。

ぼくは、この20年間毎日、あるいは毎週全8冊 の本を繰り返し読み続けた。僕の記憶力の悪いせいもあり、ページをめくるたびに、驚きと、喜びと、新たな発見と、畏敬の念を新たにしてきた。

これらの本は、宇宙の真実について、人間の存在理由について否定出来ないメッセージを送って来ていると僕は、確信している。

但し、現在の僕の能力では、とても理解したとは言えない。

神からの贈り物を目の前に差し出されているのに、見当違いな場所を必死に探し回っているような気がしてならない。

悲しいし、自分自身の努力の足りなさを申し訳ないと思っている。

一両日前に全9冊目の『神に帰る』の本を読み終えた。

5,6回目である。

そうして思った。

完結編(偉大なるメッセージだと確信している)は、僕にとって聖なる領域に一歩足を踏み入れる大きなチャンスになるかもと期待している。

待ち望んだ最終版を手元に置かない理由は、今ある『神との対話』等、全九冊の本を 又、最初からしっかりと読み直して、神からのメッセージの理解を深め「完結編」に備えたいと思っているからだ。

それとも、完結編を神棚に(神棚はもっていない)飾って置こうかな?


ZEN

2018年12月8日土曜日

抑圧された「感情の解放」について

俳優を志ざす人々へ

ザ、アクターズ・スタジオ
正会員 
ゼン・ヒラノ

最近、30代前半の容姿に恵まれた一女性E、が合宿クラスにやって来た。

2回目である。

普通、感情を曝け出す訓練は、初回の人にはやらないが、僕は、彼女から何らかの必要性を感じて1回目に感情の解放の訓練を誘導した。

彼女は、床にカラダを投げ出し大暴れして、大声で叫び、無意識に溜め込んだ感情を解放して行った。

彼女の訓練に喜んで投げ込む姿勢は、訓練を終わって立ち上がった時の彼女の表情の輝き、屈託のなさに、みゆきも僕も予期以上の成果を見せらて思わず微笑んだ。

彼女、Eは又やって来た。

予期しなかった。
(一回だけの受講だと思ったので、感情の解放を提供したので)
彼女は感情の解放の重要性、喜びを再体験したいと思ったのだろう。

感情の解放の訓練に大きな感銘を受けた為だろう。

彼女の想いを察して再度感情の解放をやることにした。


結果は、満足するものでは無かった。

本人も「前回の方が良かった。」と呟いていた。

(生徒の訓練を受ける時の態度は、他人や、前回の自分と比較すべきではない。今、与えられた課題にモーメント、モーメント瞬間、瞬間に全てを投げかけることが必要。)

この問題の原因を見つけるために、リラックスを再度チェックした。

鏡の前に立って腰を左右、前後、円を描くように指示した。

驚いたことに普通、誰でも出来る簡単な動きに強い抵抗を示し暗い、落ち込んだ表情になった。


人間は腰に重要な感情を溜め込むという事がある。

重要な感情とは、[怒リ、憎しみ、不安、罪の意識、嫉妬、挫折感、恐怖]等々。

大きな悲劇に直面し腰が抜けて泣き崩れ、とめどなく感情が、流れ出すシーンをテレビのドキュメンタリー等で見かけることがある。

(孫の突然の死を目の前にして、腰の力がいっぺんに抜けて地面に崩れ落ち泣き叫ぶ老婆)等。

上記の不必要、かつ、有害な感情を身体に溜め込む事(感情の抑圧)、あなたから活力を奪い、あなたらしさを奪っていく。


僕がオリジナルメンバーと呼んでいる毎月クラスに参加している三人に、クラスを数回受けて用意ができたと確信して、前回、フィーリングリベレイションを実践させたが、各自がそれぞれの明るさ、生き生きさ、自分らしさを全身で露わにしてとても感動した。

その人が、体に溜め込んだ不必要な感情を吐き出して、その人らしく生きていくことの素晴らしさ、大切さをいつも実感させられる。

先の女性Eは、クラスに再度参加したいと言って来たが、それまでに毎日、腰を緩めること、前後左右、円を描いたり、あらゆる方向に笑顔で動かして、腰まわりを緩めること。

効果を期待しないで、無心に腰をリラックスさせてクラスに参加する事が大切だと確信している。

前回、我々が見落としたのは、彼女の腰に溜め込んだ抑圧された強い感情だと思っている。

この女性Eは、人生の一時期に深い否定的な感情を背負い込み、彼女が持つ本来の明るさ、生き生きさ、真のやさしさを表すことを難しくしているのだと思う。

体の中に溜め込んだ否定的な感情を、身体を崩し、腰を揺り動かし、腰を緩め大きな声で外に吐き出す、叫び放出する。

(東京の自宅では大きな声を出せないし、暴れ回れないので、とにかく、腰を大きく動かし、緩めることに専念すればいい。)

E!あなたにとって何も、難しいことはない。

真の自分を取り戻したいと強く望んでいるのだから。

腰を動かし、床に転げまわり、全ての抑圧された感情を大声を出して吐き出すのだ。

泣いたり、笑ったり、叫んだりして。貴方も我々も、気づかなかった本来の自分に出会うことになると確信する。

 (我々の訓練は、何かを身に付ける事ではなく、まず、自分自身を白紙に戻す事。それから描きたいえを、描けばいい。)


恩師ストラスバーグは言った。
「怖いと思ったら、それがGOサインだ!一歩前にでろ」
と。

ZEN

2018年12月6日木曜日

短期合宿クラスを受けて



2018年11月24日

まず最初にゼン先生から、〝真実に対する養う感覚を養う〟
というお話が出た。
映画を見たときにいい演技がわかるか?…
真実に対する感覚を養い、自分の認識を高めて、自分で自分を成長させられる俳優になりなさいと。

実際に演技してる時は誰も助けてはくれない、自分自身でしか自分を動かす事は出来ないから、これは絶対ものにしなければいけない、絶対ものにするという思いと、今回はどんな発見があるだろうかとワクワクした気持ちが出てきた。

実際、私はいい演技が分からないという悩みがあった、特に洋画などは尚更わからない。
前回ゼン先生に言われてマーロンブロンドの作品 を見てみたが、確かに上手い。が、そこまでずば抜けて上手いだろうか、何が素晴らしいのか、他の名優と言われている俳優達と何が違うのかがわからない。
そんな疑問を持ったまま始まった合宿だった。

まずはミユキ先生のレッスンが始まった。
前回は最初だったということもあり、自分の思いう通りに身体を動かしていたやる気のエクササイズやタタタンPGあとはビッグな動きも今回はさらに動きを細かく指導していただいた。
ただ、身体に意識を集中させようとすると感情や想像がついてこない。
形の決まったものに感情をきちんと入れらるようにというお話がゼン先生からもミユキ先生からもあった。また、日本は形にとらわれるのが好きというのも納得だ。(個人的には歌舞伎は好きなのでよく見るが)
決められた形でも自由に感情が付いてくるように訓練していきたい。

ミユキ先生のレッスンではいつも新たな自分を発見できる。
身体のくせが心と一体化していて、飛ばす方向に足が向いていなかったり、普段の自分の生活すらも見直せるような発見が毎回ある。
こんなにも身体と心は繋がっているのかという事も実感できる。
ミユキ先生に細かく指摘して頂いた事を注意して日々の練習に励む。

夜のパフォーマンスでは、ミユキ先生に相手役をお願いし、ゼン先生にみてもらった。
始まる前にミユキ先生との打ち合わせの内容もすごく勉強になり、こうやって役を理解していくのかという事が分かったし、ゼン先生から色んな質問を投げかけられた時に、もっと細かく深く想像していかなければいけないという事にも気づく事が出来た。
教えて頂いた5原則を元に想像の世界を創り上げていきたい。

その後の映画鑑賞は、本当に本当に勉強になった。
普段映画を見ながら解説してもらう機会など私生活、および他の演技レッスンでも全くない。
ゼン先生が、ビデオを止めて、これはちゃんと人の話を聞いている目だとか、目をよく見ていなさいと教えてくださった、動き方、嘘か本当かの見分け方、いい演技と悪い演技のポイントを教えてくださった。
演技を見る時のポイントがよくわかるし、
何より自分の演技をどうよくしていくかという事にも通じる本当にいい時間だった。
私は自然に感情が出るようにしようと思うあまり、セリフをどういう風に言うかとか、自分の演技の事しか考えておらず、相手役はおかまいなし。
相手が話している時の自分の表情、ちゃんと相手のセリフを聞くと言うこともこの鑑賞を通して教わった。
また、目は心の窓という事も、この鑑賞を通じて自分の理解がさらに深まった気がする。
それを更に自分の演技に活かしていけるように。。。
映画鑑賞は是非また受けたいと思ったし、本当に学びの多い時間だった。

11月25日

センソリーのレッスンから始まった。
まずはリラックスから…
だが、崩して広げるを繰り返していてもなかなか自分の感情が変わらない。
ミユキ先生にも指摘された通り、崩すというのが、出来ていなかった。
自分では崩しているつもりで毎回練習していたので、そこからやり直さなければと思う。
崩すってどういう事?
声が一本調子になってしまう問題も解決したい。崩して広げる。
引き続き練習して自分のものにしていく、絶対に。

センソリーはコップから始まった、考えると動きが止まる、コップを感じようとすると考えてしまう。

手に目が付いているようにと言われた通り、
コップを肌で感じられるようになるまで引き続きトレーニングあるのみ。

今回も2日とは思えないほど学びの多い合宿だった。
ただ毎回変わっていく自分が本当に楽しい。
そして、何より素晴らしいのが、
今までは演技をしたいと思っていても、どこか苦しい、でも演技したい。と思いながらやっていたが、このレッスンを受けるたびに、想像の世界へ入りたい、演技したい。早く演技したいという思いが本当に強くなっている。どんどん演技が楽しくなる気がしてしょうがない。
そして私の人生も!

ゼン先生ミユキ先生に出会えて本当に良かった!

今回も本当にありがとうございます!

エリー

2018年12月1日土曜日

インプロビゼーション 即興について

若き俳優たちへの提言


インプロビゼーション
即興について


ザ・アクターズスタジオ
正会員
ゼン・ヒラノ

アクターズスタジオのクラスで、戯曲の一場面を演じる時に、誰一人台詞どうりに演じたりしない。

まず第一に、戯曲の内容について、何が書かれているのか?  場所はどんなところか? (場所ができ、信じられれば演技は必ず成功するとバフタンコフが言っている)  その場所で何が起きているのか、自分が演じる役の性格、動作、癖、相手との人間関係を体験するために即興的に演技してみる。

つまり、誰が?いつ?何処で?何を?如何にしたか?を確かめ、体験するために場面を進めていく。

これらのことを模索しながらドラマを進めていく。


人間は日常生活で、言葉を口にする時、必ず考えて言葉にする。

多くの俳優は台詞の記憶を言葉にする。

だから生きられない。

台詞は覚えて忘れろと言われる。

人生と同じく、俳優は台詞を考えた結果言えれば、生きられる。


もし、あなたが「宝くじで一千万円当たったら何を買う?」と聞かれたら考える。

僕だったら、マツダのオープンカー(500万円)を買って東北の紅葉を観に行く。
たまには、あちこちの、上級の温泉旅館にノンビリと泊まってココロとカラダをを癒す。
その前に借金を返す。等々

もし、二度目に同じ事を聞かれたたら、上記に述べた記憶を話す。

改めて考えたりしない 。

何回もリハーサルして記憶された台詞を初めて質問されたように、改めて考えられれば、生きられる。

台詞は覚えて忘れろと言われる。


何度、同じ場面を演じても、リハーサルは無かった、今初めて聞いたと言う感覚が無かったら、アカデミー賞は貰えないし、舞台でドキドキと想像の世界に生きている俳優の至高の喜びを体験することは出来ない。

Illusion of the First Time
と言う有名な言葉がある。

リハーサルは無かった。
今初めて、ものごとは刻々と目の前で、起きていると言う感覚である。


これまでに、演技についていろいろ説明してきた。

スタニスラフスキー、ストラスバーグを通して培われたメソード演技を、もし、あなたが、自分たちのアプローチの方が、優れていると主張するなら、いつでも、あなたのグループの一番の俳優を舞台で演じさせ、見せてほしい。

そしたら、我々の訓練による俳優を対抗させメソードアクターの卓越性をいつでも証明出来ると確信している。

ZEN

2018年11月25日日曜日

短期合宿クラスを受けて


この短期合宿では毎回、何かを気付かせてもらい、本当の自分を引き出してもらえる。


今回も大きな変化を私にくれた


。初めの講義では私は初っ端、注意をされた。


全然、その時は自分の中では納得がいってなかった。


そんな、合宿の始まりだった。


それから、ミユキ先生の実習では今までやってきた訓練の復習や細かいところを注意してもらえて次回までの課題も貰える。


人生に役立つことも教えてもらえる。


私はあがり症で人前に立つと緊張してしまう。
なんで、そうなってしまうのは外面に目がいっているからであって、内側に自分を意識してやればいいのだ。
確かにそうだ、大概はいいところを見せてやろうと思っているからで自分が楽しんで自分の想像の世界に入ればいいのだ。


「自分の好きなようにように演技をすれば良い」という言葉にもびっくりした。




ミユキ先生の実習が終わった後はゼン先生の実習が始まる。


まずはリラックスを見てもらい、気合いを入れる、タタタンPGをやった。


私はリラックスは良いが表現ができない。


自分でも分かる。


家のときとの感覚とスタジオでやってる感覚とは違って心が開かない。


ゼン先生に
「僕を睨めつけなさい」
と何度も言われた。


私は言われた通りに先生を睨みつけた。
瞬きを忘れるぐらいに睨んだ。
今、自分の抱えてることも含めて睨んだ。


そのまま、気合いを入れるとタタタンPGをやった。


なんだか、すっきりする。数時間前とは心の軽さが違う。


ゼン先生は今まで抱えてきた、私の重荷を少しずつ取り除いてくれる。




そして、その夜はゼン先生達の前でパフォーマンスをした。


私は歌を歌った。


歌い終わった後に自分でも酷いと感じた。


ゼン先生に厳しい言葉をもらった。


それはそうだ、エンターテイナーなのに何の演出もなく歌ってしまったからだ。


先生はめちゃくちゃに好きなように舞台を駆け回りなりながら、歌いなさいと言われた。


とにかく、やってみた。


でも、どこか恥ずかしさがあって、思いっきりできない。


恥ずかしさをなくしたい。


でも、その時はできなかった。


スタジオの3階ではどんな大声を出してもいい。
一人で3階に行き、そんな自分が大っ嫌いだから、この世の嫌いなことを全て吐きだして、暴れまわる。


でも最終的にはそんなことどうでもいいやってなれた。





2日目の初めはミユキ先生の実習だ。


そこでは、リラックスからのセンソリーをやった。


今日も最初は心が開かずに見苦しい。


でも、ミユキ先生の声が遠くで何も考えないで思いっきりやっていいよって聞こえた瞬間に心が弾けて、楽しくなった。


嬉しい、悲しい、色んな感情が溢れた。


何とも言えない感覚だ。


ストップがかかった瞬間はとろ〜んとしているがだんだん、しっかりしてきて、心が楽になった。


でも、それが一人でできたらなと強く思う。




それから、ゼン先生に最終的に歩き方のチェックをしてもらった。


初めての短期合宿でもやったのとは全然、違うのが自分でもわかる。


楽に歩いてるんだが、しっかり歩いてる。


1日目に叱ってもらい、2日目には重荷が取れたからだと思う。


目つきも変わったと言ってもらえた。


初めの講義では気づいていなかったことだ。


声もいつも、自信のない喋り方をしていたが、今はハッキリ喋る感覚がわかる。


1日目に注意されたことが凄く分かった。




そうやって、いつも自分を知るきっかけを与えてくれる。


ゼン先生は本当のことを言ってきてくれる、ぶつかってきてくれる。


本当に嬉しいことであって、今まで会ってきた先生では初めてだ。


本当に感謝だ。


5月から始まって、毎回、気づかされて、変われる。


ゼン先生とミユキ先生に出会わなかったら、今の自分はないと断言できる。




それに加え、ゼン先生と夜に映画鑑賞をするのがたまらなく大好きだ。


どの演技が良いか悪いかを事細かに教えてくれる。凄く贅沢で楽しい。


そして、人生で生きていく上でのマナーもたくさん教えてくれて、学べることが沢山だ。


自分の成長に繋がることだらけだ。


でも、もっと成長していきたい。


だから、毎月、参加するのだろう。


そして、こんな機会はそう簡単にあるものではない。


ゼン先生とミユキ先生には感謝でいっぱいだ。


いつも、いつも、素敵なものをくださり、ありがとうございます。





ゼン演技スタジオが大好きなアサヒ

俳優を志す人々への提言



短期合宿クラスの指導方針について
戯曲の場面を演じるにあったて


ザ アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ

俳優は、自分の良く知った生活を演じる事ができなくては、ましてや他人の、自分がよく知らない生活を演じるには無理がある。

(例えばシェークスピア)

例えば、実人生では相手が好きで、恋に落ちる。

しかし、俳優は現場で、そして又は、舞台で指定された相手役と決められた時間に、実人生で体験した感情を持てるかどうか?

舞台では毎晩、映画では続けて何回も、それが出来なければ、俳優の役目を果たせないし、仕事にありつけません。

例えば、恋に落ちた場面を演じるとします。

方法は2つあります。

恋に落ちたことを手振り身振り表情を使って演じて見せるか、本当に恋に落ちた体験を表現するか。

つまり、恋に落ちた振りをするか、恋に落ちた体験をするかです。

もう1つ問題があります。

恋心を感じたとしてそれが外に表れるかどうか、

観客に伝わるかどうかということです。

又、10回のうち9回出来なければプロと言えないと言われます。

そして、全ての深い感情は眼に表れます。

身体の隅々までリラックスしていれば、感情は眼に表れます。

眼は魂の窓と言われますから。


抜群の想像力を持っていて、この人はあなたの恋人ですよと言われて、顔が赤らみ胸がときめく人は少ない。

指定された時間と場所で、 この課題を解決しようとの試みがメソードアクティングのセンソリー訓練の1つ、パーソナリゼーションです。


パーソナリゼーションとは、自分の恋人の姿、かたちを 目の前の相手役に移し替えていく
作業です。

ザ、アクターズスタジオでのぼくの体験談をいうと、7、8人であるプレイを演じた時に、僕にとって稀なことですが、僕の相手役がどうしても好きになれませんでした。

相手もそれを察してか、ギクシャクとした関係になりました。

スタジオのクラス中に、かなり離れた席にいた彼を、僕が尊敬していた知人の鳴海四郎さん(立教大の教授で英文学者)に置き換えて、何回も何回も盗み見し、このパーソナリゼーションの移し替えによって、彼を鳴海四郎さんだと信じられ、役に要求される感情を持てるようになりました。

その後顔を合わせるたび、微笑みが自然に浮かんで来て、戯曲の要求する自然で素晴らしい関係を持つ事ができました。

その作品を発表する頃には、パーソナリゼーションのエクササイズなど、全く忘れて舞台のみではなく普段でも、とても親しい関係になっていました。


あなたも想像の世界で、毎晩、恋に落ち胸をときめかしたかったら、パーソナリゼイーションのエクササイズを使う事です。


舞台での一場面は、15分間以内と言われます。


15分間胸をときめかせる訓練をしてして見て下さい。


想像の世界で、15分間恋におちるのです。




ZEN

2018年11月14日水曜日

怒りを 悲しみを 喜びを 開放しよう!

怒りを解放しよう! 悲しみを解放しよう! 喜びを解放しよう!
感情を解放しよう!
「感情の解放」



ザ・アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ

合宿クラス初めて受ける人に先ずやって貰うことは椅子に座って体を緩めて貰います。

習慣的な緊張があるか、身体の何処に緊張があるかを調べてみて、本人に、からだのどの部分に緊張があるのを気付かせ、その緊張を自分の努力で取り去る方法を教えます。

習慣的な緊張を緩めるだけで、多くの人が、感情がほとばしり、笑ったり、泣き出したりします。

その場合、本人がその感情が、はけ切るまで、言葉ではなく胸から声を出し続けるようガイドします。

長い間、習慣的にためこみ、持ち続けたからだの緊張を取るだけで、その人、本来の姿が現れることに驚かされます。


次にもう一歩踏みこんで「感情の解放」の訓練に入ります。

(この感情の解放の訓練のアプローチはここで説明できません。本人を無防備にし、驚きを与え溜め込んだ不必要な抑圧された感情を体の外に吐き出すためです。)


リラックスについて、くどいようですが、人々は、幼児期を過ぎ一定の年齢に達して、社会生活を営む様になると、感情を抑えることを要求されます。

学校でも、会社でも好き勝手に振る舞うワケにはいきません。

衝動に従って幼い子供の様に、泣いたり、笑ったり、裸で外に飛び出すわけにはいきません。

人々は、自分のこうしたいとゆう要求や、衝動を押さえ込むように訓練されます。

はけ口を失った感情や欲求は、消えて無くなりません。

自分の身体のどこかに押さえ込まれ、棲み着きます。

それを抑圧された感情と言います。


怒り、憎しみ、猜疑心、劣等感、羨ましさ等々の感情は、時々表面に突き上げて来てあなたを苦しめます。

役に立たない、否定的な感情です。

ちょっとした事に怒りを爆発させたり、不信感に襲われたり、愛されないのではないかという孤独感、不安感に襲われ苦しみます。


勿論、明るく、いきいきと、人に親切で、生きる事に感謝してありがたい、ありがたいと言って、生きている人もいます

(僕の友人で85才、両脚が不自由で松葉杖無しでは動けません。施療師で、彼女の助けを必要とする人がいれば、 重いリュックサックを背負って、夜行バスに乗って駆けつけます。彼女を見ていると、僕は2回ほど生まれ変わらないと、彼女のレベルに達しないなと思ってしまいます。)


話は逸れましたが、抑圧された感情にさいなまされる人々は、特に両親によって植え付けられると言われます。

(子供は、自分を主張して、親 の愛情を失うワケにはいきません。)

この抑圧された感情を、今までの習慣的な動きから解放させ(床に転がって暴れまわる)、自分の体に潜んでいる抑圧された感情を大きな声を胸から出して、悩みや、苦しみから自分を解放するように導きます。

(その時、その人によってアプローチを変えます。)

このように書くと大袈裟のように聞こえるかも知れませんが、こんなカタブツだと思う人まで、喜んで投げ込んで、その人、それぞれの本来の姿を表します。

この感情の解放の訓練はこれまでに、一度も失敗した事がありません。

それは、すべての人は、自分を解放したいと望んでいるし、安心して自分を晒け出せる場所があり、そして長い間の経験と、我々教師を全面的に信頼してくれているからだと思っています。

ZEN

2018年11月11日日曜日

合宿クラス 受講生からのレポート



【11月5日〜6日 短期合宿】

今月も引き続き短期合宿を開催して頂きありがとうございます。今月で短期合宿が始まり6ヶ月目になりますが、毎回の合宿で自分自身では体感することができない成長やできていない事への気づきを与えて頂いておりますが、今回は特に自分自身の成長面、気づきの面両方大きなものを得たという感じがしています。

 ゼン先生の講義では普段の社会生活の中で自分の目上の方とのコミュニケーションをどのようにすべきかを迷っていたので、質問をぶつけた所、目上の方には感謝が必要だと的確に答えて頂きとてもシンプルかつ意外と人が出来ていないことだと教えて頂きました。自分が少し難しく考え過ぎていたなと感じました。
 演技の事ももちろんですが、このスタジオで普段の社会生活の疑問やマナーも同時に鍛えて頂いたお陰で、実社会でも役立つことが増えて来ました。特に、前回の合宿で食事の際のフォークとナイフの使い方・テーブルマナーを少しご教授頂きました。その後、僕自身が友人の結婚式に出席した際そのフォークやナイフの使い方・テーブルマナーを教えて頂いていた事が活かされて会場スタッフの方に喜ばれたり、一緒にいた友人や先生方からも褒められることがありました。これは偶然ではありしたが、結果的にこのスタジオで学んだことが必ずどこかで役立つのだなと肌で感じた瞬間でした。

実習に関しても、合宿のスタート時から基礎的な訓練を続けてきて、だんだんと改善点が繊細になってきているとみゆき先生にも言われ、それは成長しているからこそ出る課題だと言うことで、今までしてきたことが正しい方向だったんだと1つ実感できました。ですが僕は俳優として殻を破っていかないといけないことも浮き彫りになりました。僕は普段から仕事柄もありきっちり、正しく、ちゃんとしようとし過ぎる。という事をゼン先生・みゆき先生に指摘されました。それらは親の影響やこれまでの人生の周りの環境でそのような性格になっているという事でした。僕はその通りだと思いました。ちゃんとやらないと怒られる。正しくやれば誰かが褒めてくれる。しっかりしていれば自分が傷つくような事は起きない。これらの事が無意識に心を支配して行動していたなととても思い当たるものがありました。正しくしっかりやるということは、確かに普段の社会生活の中では必ず必要になるものですが、俳優としては崩す事もできなければならないし、仕事にならない。アクターズスタジオのメンバー達は両方必ずできるよ。ゼン先生が仰ってくれました。まさにこれが今回僕の中での大きな気づきであり、今後僕自身が越えて行かなければならないものだと悟りました。
このもっと崩して、緩めて、自分自身をフリーにすることができるように普段からリラックスの訓練、五感の記憶の訓練などをできさせないように頑張らないことを頑張るという意識で臨んでいこうと思っています。
また反対に成長面でも新たに感じた事がありました。それはゼン先生とみゆき先生にも褒められた"素直さ"でした。僕は過去の合宿で今の自分の性格や特徴から目を背けずに省みる事を教えて頂きその結果僕はとてもプライドが高く、それが例え自分の知らないことや経験のないことでも反発しようとしたり、無意識に人にどう見られるかという事を最優先として行動していて、その結果素直な態度が出づらい。そんな人間でした。ですが今回の合宿では素直が一番いい所だとゼン先生には仰って頂き、変化できてきているという事に気づけた事はとても自信になりました。またこれは改善されたというよりも、本当の自分が出てきているということが僕にとって喜びになりました。

また前回の合宿から取り入れられているゼン先生・みゆき先生、仲間たちの前でのパフォーマンスですがこれは度胸だけではなくエンターテイナーに必要なことを教えて頂きました。パフォーマンスで今の自分にできることは、はっきり言って何もありません。ですが、自分自身の未来の為の時間になっている事はとても実感しました。ゼン先生が演出や心構え、一流という基準を示してくれました。このパフォーマンスを通してベストをとにかく尽くすことを1番学びました。

また夜にあったビデオ会でゼン先生が実際の映画を一緒に観ながら、良い演技と悪い演技を解説して頂くのが毎回楽しみにしております。今の自分では良い演技と悪い演技の分別がついていないと思います。ですがゼン先生の解説を聞き、より多く良い映画を観続けることによって必ず良い演技か悪い演技かがわかるようになるとゼン先生は仰ってくれました。ゼン先生は特にアカデミー賞作品は少なくとも観ておいた方が良いとの事でしたので、僕も今現在日頃からアカデミー賞作品を中心にゼン先生がオススメする映画を観ています。これを継続するということが大事だとおもいます。ゼン先生でも最初から良い演技かどうかを分別できたわけではなく、長く継続したからこそだと仰っていました。僕自身も観続けるということをして行き、ゼン先生が居なくても分かるようになりたいと強く思いました。

ここまで、約半年続けてきましたがほんの少しづつではありますが前に未来に進んでいることを初めて実感しています。今までの人生、社会生活では前に進んでいるという感覚は僕にはありませんでした。ほんの少しかもしれませんがこれからの未来への一歩目が踏み出されたことに、うまく表現するのが難しいですが、これまで感じたことの無いものを感じています。
 僕には既にやる事や、継続することが明確になっています。それをする事が未来に続くと信じて少しづつでも進んで行きます。
ゼン先生、みゆき先生、そしてアサヒ今回も多くの事を教えて頂きました。ありがとうございました!また次回もよろしくお願い致します!



ワズ

2018年11月1日木曜日

リラックス


ザ アクターズ・スタジオ 正会員
ゼン・ヒラノ


リラックス、リラックス、リラックス・・・・・・



最近,合宿クラスに一般の人が参加する事がある。

一回限りの受講の為、リラックスを徹底して訓練する事にしている。

瞑想、座禅、ヨガ、太極拳等は、歴史もあり非常に優れた訓練だと確信している。

多くの場合、人々はこれらの訓練を通してリラックスを獲得するようになる。

しかし、我々は、【リラックスそのものを訓練して】獲得しようと試みる。

リラックスとは何か、を知りたかったら、緊張とは何かを考えてみればいい。

緊張とは、不必要な力だ。

(不必要なものは、不必要である。)

ただ、立っているのに、脚を踏ん張ったり、肩を怒らしたり、しかめっ面をする必要はない。

(不必要なこの緊張が不安を呼び寄せる。)

一杯飲むと、リラックスするが、二週間目には、二杯必要になる。

風呂に入ればリラックスするが、面接は出来ない。

(緊張したら自分にリラックスしろと命令してリラックスする以外に方法はない。)


リラックスするには具体的に、其の人の身体のどの部分に緊張があるかを、見つける必要がある。

永年、何千人の人達を扱ってきたお陰で、其の人の身体の、どの部分に緊張があるか、僕の体が反応し、その部分が、緊張するので、直感的にわかる事が多い。

(リラックスの訓練は、自分の身体の緊張を見つけ、リラックスしろと命令して、その命令がに体が従う様にすることだ。)


又、リラックスが素晴らしいのに表情に乏しい人がある。

このことを本人に気付かせ顔を緩め感じたことをあるがままに声にのせると、其の人の本来の自然な美しい表情が表れる。


リラックスには、もう1つ精神的な緊張を緩める方法がある。

首から上の何箇所の部分をガイドして、緩める方法だ。

しかし、これらリラックスの具体的方法を誌上で説明するのは難しい。

泳げない人に、水泳の本を渡しても、泳げる様になるのは難しいと同じ。

リラックスのやり方を文章で説明することは、殆ど、無理だと思っている。


リラックスを習得することで、本来の自分の声、表情、動作、そして、より積極的に自分を表現する様になる。

もう1つリラックスの大きな課題は、永年、無意識に溜め込んだ抑圧された感情だ。

(それは自分自身のあるべき姿を歪めてしまう。)

これらの感情を吐き出す具体的な方法を(感情の解放、フィーリング リベレイション)僕のガイドによって行う事によって、真の自分らしさを取り戻すことが、出来ることである。


ZEN


(リラックスに、必要性と興味を持っている人は、是非、一泊二日の短期合宿クラスを受けて欲しいと願っている。一回のみで充分で、リラックスとは何か、本当の自分とは何かを知り、自分の心身を自分でリラックスさせる能力を手にいれることが出来るようになる。)

2018年10月30日火曜日

俳優を志す人々への提言


ザ アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ

短期合宿クラスの指導方針について~


以前のコミュニティクラスは、みんなで毎月寝泊まりを共にして、朝5時に起きて訓練、昼間はアルバイトそして夜は訓練を繰り返すという生活だった。

個々の俳優達の成長過程をじっくり見守れたし、次にどんな課題を与えたら良いか見当がついた。


今回、短期合宿クラスを開いて大切なことを認識させられた。

何人かは、毎月参加することに決まっている。

次のクラスまでの課題を与え、毎日のエクササイズも各自試行錯誤して努力している。

何か質問があれば、いつも答えることにしている。

しかし、問題は、一回限り受講しようとやって来た人達だ。

僕の長年の習慣で、時間を掛けてシステマティックに成長させようとイメージしてしまう。

今回の合宿クラスは一泊二日の一回勝負で、本人に、本当に役に立つ事を持って帰ってもらう義務がある。

それには、本人が何を求めてやって来たのか、はっきり知る必要が有り、又、何を与えたらその人の成長に役だつか、より、冷静に判断する必要がある。

『神との対話』に、人は、贈りものを受け取りにやって来ると書いてあった。

教師としてその人の為になり、喜ぶ贈りものを渡す義務がある。


数週間前、歌手である一女性に、役に立つ贈りものを渡せなくて、このところ、毎日のように思い出しては心を痛めている。

アクターズ・スタジオでは、俳優の抱えている問題を解決する為のみにあって、社交辞令は一切しない。

しかしここ河口湖の合宿訓練は、初対面で一回限りのことがある。

お世辞抜きに速、問題解決にあたる僕の態度に相手は面食らったかもしれない。

今後、僕が心掛けるべき事は、先ず、相手を安心させ、相手の長所を褒めて、信頼を勝ち取り、無条件にこちらの誘導に従って貰うことだと認識した。

今回やって来たのその女性は、容姿も、歌唱力持っている。

ミュージカルオペラ座の怪人の一場面、愛する父親の墓の前で死の悲しみを歌ったのだが、其の悲しみが伝わってこない。

もし、この歌を歌って審査員をを涙させることができたら、仕事にありつける確率はグット高くなる。

(これは彼女のだけの問題だけでなく、すべての俳優、歌手等の歴史的問題である。)

それでは、このドラマチックな深い感動を、決められた場所と時間に起こさせることができるか?だ。


この問題の解決策に立ち向かったのが、スタニスラフスキーであり、ストラスバーグのメソード アクティングである。


歌手は俳優に比べ、感動を表現するのに大変有利な立場にある。

歌詞にメロディーがつき、リズムとテンポも付き、伴奏者がつく。

セリフだけを与えられ感動を要求される俳優に比べて大きなアドバンテージを与えられている。

勿論、どんな分野でも才能と、訓練が必要だが、歌手は基本訓練さえ出来ていれば、感動を入れる方法「感情の記憶の訓練」を習得すれば、人々に感動を与えるのは、難しくないと確信している。

ZEN  

2018年10月27日土曜日

『神との対話』に魅せられて


ゼン・ヒラノ

斉藤ひとりさんと云う人がいる。

僕のワイフ、ミユキが、
「ひとりさんと云う人がいてこんな話をしている」
と言って、一言僕に告げた。

驚いた!
この人は神の使い、メッセンジャーだと直感した。

20年に渡って読んでいる『神との対話』を我々庶民に、非常にわかりやすく、笑いや、冗談交じりに話しかけてくる。

この人の驚くべき才能、常に人を笑わせるコメディアンであり、崇高な心理をユーモアなセンスいっぱいに語る、話術の天才だと驚いている。


コメディアンというと大袈裟な顔つき、身振り手振りで人を笑わせようとするが、
もし、あなたが、コメディアンになろうと志しているなら斉藤ひとりさんから学ぶといい。


しかし、コメディアンは生まれつきだとも言われる。


アクターズスタジオにコメディアンと言われた一人の女性がいた。

ただ単に舞台に出てきて椅子に腰掛け、テーブルに置かれたコーヒーカップを持ち上げコーヒーを飲もうとすると、メンバー達がどっと笑う。

彼女は驚いてカップを置くと又、みんながどっと笑う。


個人的な話になるが、僕も、スタジオのイベントで、みんなを爆笑させた事があった。

スタジオでNO、1と言われた俳優が、
「ゼン、もしかしたらあんたは、コメディアンかもしれない。あんまり可笑しくて、床に頭をぶっつけコブができた」
と額を見せに来た。

例えば、チャップリン、バスター・キートン等は喜劇の天才だ。

それにプラスして驚異的な努力の実行者だ。

時間も、体力も、お金も無視して命懸けで仕事に打ち込む。

「才能があっても努力がなければものにならないし、才能があっても努力がなければ、ものにならない。」
と言われる。


話は逸れたが、斉藤ひとりさんは、人間の生き方の真実を伝えるのに一切努力が見られないので、僕は、彼は神の使い、真のメッセンジャーだと思っている。


僕は、『神との対話』に、より興味をもっているので、彼の話は3つか、4つしか聞いてないが、たまたま、今日聞いた話にも感銘を受けた。

どの本にも
「感謝はあなたを救う、世界を救う、有難うを連発しろ」
と書かれているが、斎藤ひとり曰く、
「1日に4回感謝されるように努めろ!」
と言っている。

「有難うございます」「有難うございます」
とデパートの店員のように、何十回口で言うのは誰でも簡単だ。

しかし、他人から、心から感謝の意を受け取るのは、至難の技、この様な事を彼はユーモアたっぷりに、アリキタリに、冗談まじりにさえ人々に話しかけてくる。

彼は天才だと確信させられるが、それは、彼の考えではなく単に神の使いメッセンジャーであることには、間違いない。

(彼の話しぶりに、工夫も努力も見えないから)

彼の多くのファンの人たちも同じ想いだと思うが、彼の存在に心から感謝すると共に、深く尊敬しています。

ZEN



2018年10月21日日曜日

俳優を志す人々へ ~俳優の表現力について~


NY ザ アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ

俳優の表現力について~


芸術家と呼ばれる其々の人達は、自分の考えや、イメージ、感動を具体的な手段を通して
人々に伝えようとする人達だと思う。

ある人は、文字で、絵画で、音を通して、体の動きを駆使して等々。


しかし、俳優の表現材料は生きている人間の思考、感情、意思、イメージ等である。

つまり、普段生活の為に使っているこの肉体と精神、思考を使って芸術を表現しようと試みる。

ほかの芸術の分野では考えられないが、演劇では、俳優は嘘をつく。


好きでもない相手役に好きそうな表情を見せ、怒ってもいないのに腕を振り上げ怒声を撒き散らしたり、舞台に上がって不安で一杯なのに平静を装う。


又は、俳優が役が要求するこれこれの深い感情を持っていても、表現に繋がらない。

相手に伝わらないことが多い。


それは、理由がある。


成長し、社会の一員としてやっていく過程で、色々な制約を強いられるからだ。

その為、感じた事が、あるがままに表せなくなる。

人生のみならず、  舞台でも同じ事が起こる。


たとえ役の心情を掴みとり、観客に伝えたくても、表現出来ない為 、 大袈裟なジェスチャーをしたり、顔を しかめたり、不必要に感情を絞り出したりする。


自分の感情が、とても表れやすい俳優がいる。

歴史的に見ても女優が多いと言われる。

重要な感情は眼に現れる。


俳優の才能は、人間の喜怒哀楽の感情を深く感じられ、眼で伝えられる能力だと思っている。


腕を振り回したり、しかめっ面をしたり、大声で叫んだりする事は、どんな俳優でも出来るが、「眼の色」だけは変えられない。

アカデミー賞を貰ったような女優達 の眼を何回も何回も繰り返し観て、研究して欲しいと思っている。


感情は、リラックスが良く、身体の何処にも邪魔されなければ眼に現れる。


「感情は、魂の窓」と言われるから。


ZEN

俳優を志す人々へ ~俳優芸術について~

   NY  ザ  アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ

~俳優芸術について~


俳優の仕事は、人前に出るので、人の視線を浴びて緊張しやすい。

ましてや人前で自分の感情を曝け出さなければならない。

劣等感、羞恥心、嫉妬心 、恋心、暴力 、 愛 、不安、殺意、等々、
人間の持つ全ての感情を表さなければならない。

俳優自身の中に潜んでいる自分自身の感情を露わにし、
人前に曝け出さなければならない。


自分の演じる役の感情など、何処にも落ちていない。

俳優は役を生きる為に、
自分の身体の何処かに隠し持っている全ての感情を、
観客の前に曝け出さなければならない。


日常生活でこれらの感情をさらけ出せば悲劇になる。

想像の世界でこれらの感情をさらけ出せばアートになる。


役の人生、生き様を深く理解し、
役が持ったであろう全ての感情を、
俳優自身の秘められた感情を露わにすることによって芸術となり、
人々に感動を与える。


俳優の演技が至高のレベルに達し、
観客に感動を伝える事が出来れば、
他の芸術を凌駕すると言われる。


空に向かって手の届かないところに手を差し伸べよう!


ZEN

2018年10月18日木曜日

俳優を志す人々へ ~真実に対する感覚について~


ザ アクターズ・スタジオ正会員
 ゼン・ヒラノ

~真実に対する感覚について~


僕は、信じている。

「あなたに必要な全てのものは天が与えてくれている。」と。

ただ、それぞれが持っているものを、本人に気づかせる人が必要だ。

それが教師の役目だと思っている。


最近、非常に驚いたことに出くわした。

俳優のみならず、多くの人が、自分の生き方を求め、成長を求め、
又は、資格を求めていろいろなイベントやクラスに参加し、海外に行ってまで出かけて、莫大な労力と時間とお金を費やしてる。


人々の精神性を高めようと励んでいる教師達のリラックスを調べさせて貰うと、
習慣的な緊張を手放せない人がいることに驚かされる事がある。

多くの人は、何かを取得しようと必死に追い求めるが、
まずは、自分自身の体に求め澄みついた、あるいは溜め込んだ不必要なものを掃き出して、心の中を風通しを良くする必要があると思っている。


そのアプローチがリラックスであり、感情の解放だと思う。


(最近、考えついた事だが、オープン ハウスの日に、無料でリラックスを調べてあげようと。10分程度で済む。もし本人に問題があれば 、自分自身で緊張を手放す方法をガイドすることにする。但し、教師等、指導的立場にある人に限らせて貰おうと思っています。)


たとえ、どんなクラスや、訓練を受けようが、(訓練を受ける時は白紙で、無条件であるべき)終ってから 、教わった事が自分に役立つかどうか吟味すべきだ。

自分の真実に対する感覚を高めるためにも、必要不可欠なことだと思っている。


ストラスバーグは、スタニスラフスキーの提案した訓練課題を全てテストしてみて、自分にとって役にたつもののみをを選択したと言っていた。


僕自身もそうだ。

メソード アクティングと並行して、ストラスバーグが、否定していたマイケル・チェーホフの俳優の訓練方法を素晴らしいと共感して、自分なりに訓練に励んできた。

お陰で、俳優としての肉体と感情の結びつきにかけて、また、その表現力に於いて僕の右に出る人は居ないと確信している。

このレベルに達する事が出来たのは、二人の偉大な師の刺激を受けて、自分なりに研究した結果だと確信している。


以前の繰り返しになるが、今この書斎の窓から見える十数メートルに達し、毅然と立ってる木は、たった一粒の種から始まった。

一粒の種に大木に成長するための全てのエッセンスが組み込まれている。

必要とするのは、太陽や雨等の刺激だ。

一人一人の生徒が、
それぞれの真に望む方向に成長するための素質と機会は天から与えられている。

その気づきを与える役目を果たせれば、僕は、とても嬉しく、幸せである。

ZEN

2018年10月17日水曜日

俳優を志す人々へ ~表現力について~



ザ アクターズ・スタジオ正会員
 ゼン・ヒラノ

~表現力について~


心に何が起きたか、非常に表れやすい人がいる。

一番素晴らしいのは子供達だ。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、感じた事が、瞬時に表情に現れる。

(俳優訓練は子供になる訓練だともいわれる。)

リアリティー(実感していること)が、8あっても、3しか出せない俳優がいたとしたら、実感している事が5しかないのに、5出せるとしたら後者の俳優が評価される。


俳優は表現力を強化することを要求される。


多分一番分かりやすい例は、酔った人たちだ。

酔うと顔や身体の筋肉が緩む。いつものブレーキが働かず、考えたり、感じた事があるがままに表れやすい。

つまり、心身がリラックスし、いつものブレーキが効かなくなる。

1杯引っ掛けると必ず、いい演技をすると言われる。

しかし、問題は二週間目には2杯 飲まなければ効かなくなる。俳優にアル中の人が多い。


ある俳優は考えた事、感じた事が非常に表れやすい。

そして、それらの感情は眼に表れる。


歴史的に見て女性の方が多い。

アカデミー賞候補に上がる多くの女優たちは、この眼の表現力に恵まれている。

トップクラスの女性の映画を彼女達のまなざしを、眼の表現力を繰り返し見て欲しい。

三流の俳優達は、やたらに表情を大げさに造ったり、声を張り上げたりして表現しようとする、想像の世界で 真実の恋を経験していないし、観客に伝わらないのではないかと、大げさな振る舞いをする。

(眼は魂の窓だといわれる。)

深い感情は眼に表れるが、それを 、邪魔しているのは、社会で本当に感じた事を表さないようにする習慣にある。


俳優として訓練することは、胸の想いが、何処にも邪魔されないで眼に流れ込むようにすることだ。

身体のあらゆる部分をリラックスさせる。

肩、胸 、首、顎、腰(強い感情は腰で止める事が多い)等々。


トップクラスの俳優達は、リラックスがいい。

リラックスがいい人は集中力がいい。

我々はこれらの俳優達に追いつくために、リラックスを集中力そのものを訓練をする。


才能があっても努力が無ければものにならないし、
努力があっても才能がなければものにならないといわれる。


僕自身の考えは 、たとえ才能が見つからなくとも 、一つのものを求めての並々ならぬ投げかけての努力は 、例え貴方が、俳優にならなくとも、この人生を堂々と生きていく力を身につけると確信している。


ZEN

俳優を志す人々へ


ザ アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ


どんな分野でも、トップを目指すには、才能と努力がいる。

才能があっても努力がなければ、役に立たないし、
努力があっても才能がなければ役に立たない。

では、俳優の才能とはなんだろう?  

それは想像力だ。

想像されたものを信ずる能力だ。

相手役を恋人だと信じて胸がときめく。
全てを失って生活に追い込められ絶望し、自殺をこころみる等々。

この想像の世界に完全に入り込んでも百分の一の意識があれば舞台から落っこたり、病院に行くことはないと言われる。


Acting is believing と言われる。
信じれば見えてくる。

神様にどうか信じられるようになりますとお願いしてもなかなか叶えられない。

天は自らを助けるものを助けると言われるから。


観客が一杯の客席を前にして、森の奥深く煌々とした月の光を浴びて、この世を去った愛する人に想いを馳せることができるだろうか?


信じやすい人がいる。

信じた事が非常に表れやすい人がいる。

人々はそれを才能と言う。


才能は何処からやって来るのだろう。

天からやって来る。

しかし、才能があっても努力がなければ使いものにならない。


観客を感動される演技は何処からくるのだろう。


これは僕個人の考えだが、生徒を見ていると、
多くの場合、本人は意識していないが、
多くの場合、幼少期に受けた苦しい想いを、手放したい、失われた愛を取り戻し表現したい等の欲求から来るのだと確信させられる。

そして、その想いが、
苦しみから解放されたい、本来の自分を表現したい、
俳優になりたいとゆう要求に繋がるのだと思う。

(感情の解放の訓練によって実感させられる。)


俳優は認識と共に成長すると言われる。

役の感情はどこからやって来るのかと云う認識だ。

個々の俳優自身が、自分自身の胸の奥に秘められた深い想いを、そして、自分自身の抑圧された感情の解放のために、それを使って、役の感情を表現し、観客の深い感動を呼び起こすために、解放すべきだと思っているのだと。


演技は感情の世界だと言われる。

まずは秘められた個々の抑圧された感情を解放し、自分自身の目の前に置いてみよう。

(役の感情など何処にも落ちていない。自分の感情を使うしか方法は見つからない。要するに役が要求する感情は、あなたのからだの何処かに潜んでいる。記憶された感情を使うしかない。)

正しい俳優訓練は、自分自身の理解で有り、人間理解であると思っている。


ZEN


2018年10月9日火曜日

河口湖の短期合宿クラス ~真実に対する感覚~



ザ ニューヨーク・アクターズスタジオ
正会員
ゼン・ヒラノ

俳優は嘘をつく。

愛してもいないのに愛していると言い、困ってもいないのに困った振りをし、痛くもないのに、痛そうな表情を見せる。

(勿論トップクラスの俳優がそんな事をしたら、アカデミー賞の候補に上がらない。)

他の芸術分野、スポーツ分野では嘘はつけない。

ダンサーが転べば、転ばない振りをする事は出来ないし、音楽家が音を外せば、誰でも気がつく。

(以前、ニューヨークのメトロポリタンオペラハウスで、七、八十人のオーケストラで、たった一人が一瞬、検討違いの音を出し、観客全員がどよめいた経験がある)

又、スポーツ選手がビリでゴールを切って、勝利宣言をするワケにはいかない。


俳優の成長を蝕んでいるのは、この嘘をついてゴマカシが通る事だと思う。

俳優にとって大切な課題は、嘘をつかないこと、この「真実に対する感覚」を育てることと言われる。


トップクラスの俳優が、撮影現場で全員が拍手しているのに、もう一度やらせてくれと要求することがある。

自分の真実に対する感覚が許さないのだ。

俳優が、OKが出た、拍手がもらえたで満足していては、俳優の成長は望めない。

俳優の成長に必要な事は、自分はどう思うか?自分にとって何が正しいか?

この「真実に対する感覚」を人知れず育てていく事だ。


俳優の仕事は信じる事だ。

演技とは信じる事。

信じられれば生きられる。子供を見ればいい。

泣いたり、笑ったり怒ったり感じた事を瞬時に表す
(俳優訓練は子供になる訓練だとも言われる。)

ある俳優は、想像力が優れていて、相手役は恋人ですよ!と言われると胸がドキドキする。

その気になって恋を体験する。

演技は信じること、信じたものを繰り返す能力を要求される。

毎回、カメラの前で、又は、舞台に上がって俳優は要求された感情を繰り返すことを要求される。

プロは要求された感情を現場で、10回に9回繰り返すことを要求される。


これらの問題の解決に向かったのが、スタニスラフスキーでありストラスバーグの努力である。

個々の俳優が秘められた恋、嫉妬心、怒り、挫折感、孤独感等々自分の心の奥に秘んでいる感情を露わにして、役の人生の喜怒哀楽の生き様を、自分個人の体験を通して観客に伝える。

それは、俳優自身の心の秘密を役を通して観客に伝えるのが俳優の仕事だと確信している。

(役の嫉妬心など何処にも落ちていない。自分の嫉妬心を役のために使う以外に方法はない。)

これらの問題を解決する、具体的な訓練として、
「リラックスと注意の集中、感情の解放訓練、五感の記憶の訓練、感情の記憶の再現」だと確信している。



ZEN 

2018年10月6日土曜日

河口湖の一泊合宿演技クラス



ザ・アクターズ・スタジオ 正会員 ゼン・ヒラノ

スターとは?
誰しも、青春の多感な時期には、
人の注目を集めたい、
他人に尊敬される様になりたい、
有名になりたい、
スターになりたいと渇望する時期があると思う。


音楽の世界では、
例外を除いて6,7歳までに世界のトップで、活躍出来るかとうか決まってしまう。

天から与えられた才能は明らかで、天才ピアニストと言われている辻井君をみれば分かる。

一度聞いた曲は全て記憶してしまう。

そして、自分の求める音を追いかけての努力が異常だ。

(異常な努力を出来る人を天才だとも言われる)


スポーツの世界でも大谷翔平選手をみればわかる。

日本人だと思え無い背丈と体格を持ち、
100年に一人、ベーブルースの後継者と言われる、彼の野球に対する情熱、努力が胸を打つ。

この様に他の分野では、初めからスターの存在は明らかだが、俳優の場合、舞台で観客の前に立って、ライトを浴びないと分からないと言われる。


よく、若い俳優たちは、スターになりたいと渇望するが、本人が出て来ただけで、人々を魅了してしまうスターの特質は、スタニスラフスキーは天からの贈り物だと言っている。

人は、スターに成ることはできない。

それは、天が、そして観客が決める事だと思う。

(マーロン ブランドは、演技力とスター性を兼ね備えた珍しい例だと言われる。)

でも、スターに成らなくても、想像の世界に入り込み、台本に書かれた役の人生を自分に起きたことの様に体験し、表現し、観客に感動を与えることは出来る。


僕は、誰かをスターにしようと思って生徒を訓練したことは一度もない。

俳優の喜びを、役に生きる喜びを、人々を感動させる喜びを体験して欲しいと願って訓練している。

(勿論、生徒の誰かがスターになって3億円ほど寄付してくれると嬉しいのだが。)


俳優訓練は人間訓練だと言われる。

人生でつけた心の汚れを吐き出し(感情の解放訓練を通して)、真の自分らしさを取り戻す。

そして役の生きざまを理解し、同調し、その役の眼でこの世界を見、考え、行動に移せる様にする。


俳優訓練によって人間を深く理解する様に成る。

我々は、自分の眼でこの世の中を見ているが、俳優は役の眼を通して世界を観、理解し行動に移す事を要求される。


僕の深く尊敬する演出家 エリア ・カザンは、
「演技とは人間理解だ。」
と言っている。


ZEN
 

2018年10月5日金曜日

フィーリング・リベレーション 感情の開放の実際

 
 
ザ・アクターズ スタジオ正会員  ゼン ・ヒラノ
 

勿論俳優を含めて、多くの人が、
否定的な感情(怒り、憎しみ、嫉妬心、劣等感、羨望、挫折感、羞恥心、猜疑心、不安)等々の感情に悩まされ、
自分を責めたり、他人を恨んだりして、日々の貴重な時間を誰のプラスにもならない重荷を背負って人生を歩み続けているように思われます。

(俳優はこれらの感情を表現することを要求される。)
 
重荷とは、あるがままの自分では愛されないのではないかというという不安です。
 
あるがままの自分らしさで生きていければいい。

不必要にガードを固め鍵をいくつも付け始めるとますます不安になっていきます。

(この世で一番強い人は、無防備な人だと言われるから。)
 
誰もが、自分らしく生きたい!
警戒心からフリーでいたい!
不安でなく愛を持ってこの世を生きていきたい!と願います。

 
人間の行動の動機には、二つしか無いと言われます。

愛に基づくか、不安に基づくかのどちらかだと。

どうして、多くの我々は、愛に基づいて生きていけないのでしょう。
 
それは、幼少期に、主に親から、こうしなさい、ああしなさいと言いつけられ、それに従います。

幼い子供にとって、親の愛を失うことは死に値するからです。

(元生徒のレポートに、彼の体験を通して、子供がいじめで、自殺することは、絶対にあり得ないと言っています。それは親の愛を失なったからだと。次の機会に彼のコメントを発表したいと思っています。)
 
多くの場合、この幼少期に受けた心の傷は、体や心の何処かに住み着いて、其の人の思考、態度、行動に否定的な影響を与え続け、自分らしく生きることを妨げます。

(俳優の創造活動は人生で受けた傷から深みを増すと言われる。)
 
この与えられた人生を自分らしく生きるために、又、俳優が、どんな感情も自由に表現し得る為にフィーリングリベレイション(感情の解放)を、俳優訓練の一部門として、ここ河口湖のスタジオで実施しています。
 
この訓練は意外と簡単ですが、二つの条件を必要とします。

 
一つは、場所。
どんなに大きな声を出そうが、動き回って物音を立てようが、安心して出来る場所。

二つ目は、本人の気づかないうちに本人の押さえ込んだ感情を誘発し、大声を出して外に吐き出させるようにガイドし得る事です。

より身体を緩め、ずらし、広げ、転げ回って永年押さえ込んだ思いを叫び声とともに喚き散らします。

 
このように書くと、大変な修羅場の様な印象を受けると思いますが、本人は泣いたり、笑ったり、怒ったりしたりして、開放感を味わって大喜び。

こちらがストップをかけるまで止めようとする人は一人もいません。
 
最後に、「ああ、面白かった、楽しかった」と叫んで終ることにしています。

忽然と生き生きさ、やさしさ、美しさ等、その人本来の姿が現れます。

その人達を見て、僕は、いつも感動を覚えます。

 
俳優にとって必要不可欠なことは、
フィーリングリベレーションを通して体験したような、自分自身の深い感情を、与えられた役を通して表現出来る能力を獲得することです。

メソード アクティングが『体験の芸術』と言われる所以です。

 
ZEN
 

2018年9月19日水曜日

『神との対話』に魅せられて


『神との対話』にの本に、
「成長は神の存在の証し」
と書かれてあった。

改めて考えてみると確かにそうだと思わされる。


生まれた子供が歩き始める。

両親の喜びは常軌を逸している。

(ストラスバーグが言っていた。
「もし、子供に歩き方を教えなければ、歩けるようにならないとしたら、10年はかかるだろう」と。)

この美しい奇跡の地球、
日が昇り、花が咲き、鳥が鳴き、河が流れる。

人間はなぜ、この地球に生きているかとゆうと、この世の喜怒哀楽を通して自分自身の成長を体験したいからだという。

しかし、現状は地球規模で考えてみても、それぞれの利権のために土地を破壊し、海はゴミだらけ、空気を汚し、1日何万人が餓死しているのに、分かち合うとはしない。

お互いに不信感を募らせ、自国の優越性を誇示し、不安で家の扉に鍵をいくつも掛けて怯えている。

退化している。 

(この様な状況は、それぞれの個人の心の中にも、起こっている事だと自覚させられる。)

人間が地球規模の大きな危機に直面し、人類一丸となって、それを乗り越える事によって、神からのメッセージ、成長の真の意味を体験できるのだと思う。


天国は、愛と平和、光に満たされ、全てのものが満ち足りていて、幸せであることのこと、天国の様に毎日、明るければ暗闇を体感できない。

そのために神は、地球を存在させた。

幸せを体感させる為にこの地球に暗闇を存在させたと言われる。


まず、天から与えられた、人間の素晴らしさを体験する為に、自分の心の闇を追い出そう。

僕の勝手な思惑かも知れないが、ここ河口湖の合宿でやっている「感情の解放」が、一人、一人の心の暗闇に光を当てる仕事だと確信している。


ZEN


注)僕が『神との対話』について熱い想いで投稿しているが、いわゆる、信者ではない。
ここに書かれていることが人智を超えて、素晴らしいと思っているからだ。
本当に神が存在するかどうかは、死ねば判ると思っている。

2018年9月15日土曜日

感情の解放 レポート

フィーリング・ リベレーション
(感情の解放)


前回のレポートについて
ゼン・ヒラノ

前回のレポートの目的は、ここ河口湖コミュニティーにおいて、健全な自分を取り戻す為に感情の解放の訓練と向き合い、青春の全てを懸けて闘った勇気ある若者たちの記録をみなさんに紹介したいと思ったからである。

僕の永年のサポーターが、こんな体験談をだしたら、人は見向きもしなくなると、大変心配して、是非やめて欲しいと訴えてきた。

僕は、彼らが、自分の真の姿を求めて、勇敢に戦いに挑んだ若者たちの、青春の輝きを伝えたいと願い、十数年前のレポートを掲載した。

例えばある人が、癌に侵された。
健康を取り戻したいと手術を決意した。
医者は患者の要請に従って手術を行った。
たまたま、居合わせた人が血が吹き出すのをみて
「何てひどい事をするんだ!」
と大騒ぎしてわめき散らしたとする。

我々は健康を取り戻したいと戦っただけなのに。

我々教師として 、個々の人間関係に一切関心がない。

我々の関心は個々の 人現関係による抑圧された感情そのものを手放せたかどうかである。

今回は、ある生徒のレポートを紹介することにする。




◆◆◆◆◆

今週からディケアセンターで働き始めた。今まで全く関わりがなく、どちらかと言えば敬遠さえしていた場所だ。でも、一週間働いてみて、本当に勉強になっているし、やりがいも感じている。人と深く関わり合う仕事なので感じることも多い。そこではいろんな生活が見える。一人のおばあちゃんの背中が忘れられない。お年寄りを送り届けると、ほとんどの人が家族に出迎えられるのに対して、そのおばあちゃんは一人、誰もいない部屋へと入っていく。もう大分、認知症も進んでいて、会話をするのも難しいのだが、おばあちゃんは独りで暮らしている。

ある日、そのおばあちゃんを家に送っている時だった。そのおばあちゃんは、他の人が温かく家族に出迎えられている光景を車の窓からじっと見ていた。全く目をそらさないで、何も喋らず、しばらくの間じっとその光景を凝視していた。僕はそんなおばあちゃんの背中を後ろから見ていた。おばあちゃんの背中は誰かの忘れ物のようにじっと固まっていた。

それから、おばあちゃんを独りで暮らす家に送った。おばあちゃんは、家には入らずに、しばらく僕らの乗った車を眺めていて、ときどき手を振った。このおばあちゃんに対して僕がしてあげられること。それはおばあちゃんが週3回来るこの場所をとても楽しく生きがいになるように努力することだと思い、決心した。

どんな職業でもおんなじだ。いい介護とか悪い介護とか、おばあちゃんたちは考えていないのと同じで、観客もいい演技とか悪い演技とか、そんなことは考えていない。ただ感動したくって、大笑いしたくって劇場に足を運ぶ。本当に人を喜ばせることに尽きるのだ。そのことを決して忘れてはならない。全く努力のしない俳優と、ちょっと勉強して俳優よがりな演技をする俳優が本当に多い。僕にもその傾向があると思う。アピールするとはなんたることか。演技を自己主張の道具に、マスターベーションにするとはなんたることか。そんなことをして、お金をもらうとは一体、なんたることか。もし、あのおばあちゃんが、なけなしのお金を払って足を運んだ舞台で、俳優が「おれはメソードをやってるんだ」「どうだ、おれのいい演技を見ろ」みたいなエゴだらけの演技をしていたら、その俳優は本当に死ぬべきだと心から思う。いま、僕は自分に対して言っている。もし、あのおばあちゃんが舞台に足を運ぶのなら、いい演技かどうかなんてどうだっていい。あのおばあちゃんを笑わせてほしいと思うし、感動させてほしいと思う。とにかく「あぁ楽しかった」と言わせてほしい。そして、もし、その舞台に立つ俳優が僕であるならば、僕は本当に裸になろうが、やけどをしようが、絶対にそうしなければならない。いや、絶対にそうしたい。あのおばあちゃんを時間を忘れさせて喜ばせるためなら、喜んで、なんでもしたい。この気持ちを絶対に忘れない。いつも自分に言い聞かせよう。「もし、あのおばあちゃんが、劇場に来ているなら」と。



ゼン先生、ミユキ先生、一週間ありがとうございました。明日もよろしくお願い致します。



◆◆◆◆◆


10数年前のゼン・ヒラノ河口湖コミュニティーは、「荒削りで、タッチング」を目標に掲げてやってきた。
ゼミ生の一人一人は、若さを爆発させ、闇雲に突き進み輝いていた。
美しいと思った。

久し振りにコミュニティー生のレポートを読み、わがままで、勝手気儘な僕を信頼し、全力を尽くして、勇敢に困難な課題に立ち向かった生徒たちに心より感謝しています。
あの当時の青春の輝きを心の片隅に置いて、素晴らしい人生を歩んでください。

ZEN




『神との対話』に魅せられて



本『神と一つになること』の51ページに
「痛みは一つの経験だ。苦しみは、その経験についての判断である。」
と書かれてある。

この言葉に僕は、強く魅了された。

一般に、痛い経験をすると、苦しむ。

然し、痛い経験にあっても苦しまなくて良いのかもしれない。

我々凡人は、痛い目イコール苦しみと解釈する。



最近、姉が他界した。どうゆう訳か悲しいと思わなかった。

大きな事業をやっていたが、倒産し、とても苦しんでいた。

90歳を過ぎての戦いに終止符を打った。

姉は苦しみから解放されたのだとホッとした気持ちもあった。

(兄弟の中で人一倍深い関係にあったので、ある日突然、衝撃を受けて泣き出すかも知れない)

姉の夫、僕の大好きな兄さんは、二週間後、姉の後を追って病院で他界した。

二人は、とても仲が良かったので、天国で幸せな日々を過ごしているのだろうと思っている。

今回の姉の死と云う経験に苦しみを感じなかった。
今、友達や、生徒に手伝って貰って庭に小屋を建てている。

天使達の集う場所にした。

お婆ちゃん、母親、父親、姉夫婦、弟、友人達、そしてストラス バーグもやって来る。


『神との対話』に死は素晴らしい変革の経験だと書かれてある。

上記にあるように死を苦しみと解釈しなくても良いのかも知れない。


僕に、強く印象に残る死の場面の思い出がある。

アクターズスタジオの演技の場面で、一人の俳優が、死を演じて、 ものすごく明るく満面笑みを浮かべながらゆっくりと幸せそうに死んでいった。

その場面が強く印象に残っている。

『神との対話』に書かれているように、死は幸せな時になるよう願っている。

 死を天から与えられた、幸せのイベントと感じられれば、生きることも恐れなくなると『神との対話』に書かれてある。


『前世を記憶する20人の子供』イアン・スティーヴンソンの書いた本がある。

人間は生まれ変わると云う話をとても否定出来ないと思わされる。


死とは?
死後の世界とは?
生まれかわりとは?
等々驚くべきことの数々が、『神との対話』の
最終本『神へ帰る』に詳しく描かれている。

興味のある人は是非一度この本を手に取ってほしいと願っている。

ZEN

2018年9月13日木曜日

感情の解放 レポート



感情の解放
真の自分に出会う

抑圧された感情を全て吐き出し、自分自身を取り戻そう。
以前、十数年にわたって10数人が寝食を共にし、合宿クラスを開いた事がある。
全員、全力投球だった。毎朝、5時に起き2時間の訓練、アルバイトに駆けつけて夜の7時からの訓練に一丸となって励んだ事を記憶している。ここで、学んだ事がそれぞれの人生に役立っている事を心から願っている。
今回のレポートは、本来の自分自身を取り戻す、一生徒の自己変革への壮絶な闘いの記録である。

◆◆◆◆◆

2008年9月2日フィーリングリベレーションを受けて

①何を思い出して何を叫んだか
今日の朝、僕はゼン先生に「いつも、まとまりすぎている。まとめてしまう。」という問題点を指摘された。僕は、バイト中も、そのことをずっと考えていた。「どうにかしないといけない」と強く思った。この問題点を突き抜けないといけないと思った。帰宅後、スタジオに向かった。殻をやぶりたいと思った。体を力強く動かし続け、衝動が来たら、雄たけびをあげた。そして、ストップしないよういした。少しでも何か起これば、突き抜けるために、また体を動かし、声を上げた。そうすると、中から溢れんばかりのエネルギーが来た。自分の持っている真のパワーだと思えた。嬉しかった。みなぎるエネルギーと力強さが全身に流れていた。自分が、普段、いかにまとまっていたのかを知った。

そのあと、10分前にゼン先生に挨拶に行った。そのとき、ゼン先生に、今日の指摘についての大切さを僕は説かれた。挨拶のあと、もう、やるしかないと思えた。いま、解決するしかないと思えた。フィーリング・リベレーションのブレーキングにおいて、突き抜けるために、全エネルギーを賭けようと決意した。それを心に秘めてスタジオで、セッションを待った。

そして、フィーリング・リベレーションの時間が来た。フィーリング・フィベレーション宣言をしたとき、先にスタジオで自主練習したことが影響し、また何かと突き抜けたい思いが重なり、宣言の声や手の上げ方からして、違っているのが解った。そして
宣言の後タタタンPGをしたとき、腕全体で、空気を切ったかのような感触が起こり、ポーズを決めた。

お手手つないでに移った。身振りもいつもの調子ではなく、パターンにならないように必死だった。OPEN YOUR BODYも、体をバラバラに打ち砕くかのごとく、全身を激しく動かした。「子供になる」というセッションの本質から多少ズレてでも、今日はブレーキングにおいて、いつもの調子から突き抜けることを優先して、行った。
そうして行くうちに、子供の僕は、お腹の痛みを抱えていることに向き合いだした。「母ちゃん、母ちゃん、お腹痛いよ!!」「優しくしてよ!!」「なんで、変わったんや!!」など叫び続けた。今日は、ブレーキングが来なくても、常に体を崩し続けた。それも、いつもの調子ではなく、一歩でも先に突き抜けたいがために行った。途中のブレーキングの連続において、少しでも何か衝動が来たら、残さず、外に吐き続けようと、必死にやった。ゼン先生に、ブレーキングの指示が来たら、間髪入れずに、すぐに全力でやっていた。今日の僕は、ブレーキングを求めていた。
特に、貝殻おこし、焼けトタン、クレージーダンス、「水に溺れる」が強烈だった。抑圧された感情によって起きる衝動に、子供の僕は振り回されているかのようだった。セッション中において、起きた衝動は、全て抑圧された感情によって起きたものだった。その苦しい衝動に、体を振り回され痛みを味わった。子供の僕が抱えた苦しみや痛みの大きさを体をバラバラにしていくうちに、浮き彫りになった。
そして、こうしてやっていくうちに、胃の底に、ずっと溜まっていた抑圧された感情を嗚咽とともに、今日吐いた。余ることなく、全部吐いた。一滴残さず吐いた。突き抜けたい意志が、後押ししてくれた。
「怒り」が来た。母を思いっきりぶん殴り、そのあと床に転がっても、蹴り上げた。オオカミで母を噛み切り、ぶん回した。無我夢中だった。「哀しみ」に移ったとき、体が硬直してしまうくらいの哀しみが来た。「愛に対する要求」において、母に抱きついた。湧き上がる感情の渦の中で、必死に抱きついていた。いま思い返せば、意識があるのか無いのか解らない状態だったように思う。母の愛情を欲しいという思いしかなかったかもしれない。
ゼン先生の指示が聞こえ、はりつけと遠吠えで全部吐くことに必死だった。いつもなら、もうこれで良いとしてしまうところの、さらにその先に行くべく、声とともに、残っている感情を口から吐き出すことに邁進した。
波動とP.Gにおいても、ふと、こぼれてきた涙を拭い去るように、120%以上投げ込み、やれた。そして、エンジェルダンスをし、セッションを終えた。

(セッション後)
最後のゼン先生の話を聞いているとき、涙が目に浮かんだ。でも悲しいからではなく、嬉し涙であった。同時に、今日こうして全力でやったことで持てた自分への自身からくる力強さが来た。こうして、自分は今立っている。湧き上がるエネルギーがフツフツ起きる。これが自分だと確信しながらゼン先生の話を聞いていた。ゼン先生が組んだカリキュラムの意味。フィーリング・リベレーションに対するゼン先生の思い。そして、メンバーの人生を大切にしたい思い。僕は、ゼン先生の話を聴きながら、頭ではなく、胸で全てを受け取った。自分が、今日全てを投げ込んだから、ゼン先生の話を胸で受け取れたのだと思える。言葉ではなく、心でゼン先生に感謝した。

②今週のフィーリング・リベレーションに望んで、どんな用意をしたか?
課題・・・①で書いたように、ブレーキングにおいて突き抜ける課題を心に秘めて、セッションを待った。
結果・・・ブレーキングに全てを賭けた。すると、何か表面がはがされ、隠れていた抑圧された感情が浮かび上がってきているような感じになって、そのとき吐き気がして、一気に吐くことができた。
③今週の課題と、その結果について
課題・・・ブレーキングにおいて、突き抜けること。
結果・・・今日この課題に投げ込んだことは、フィーリング・リベレーションだけでなく、自分のこれからに通じるものだ。一度だけに終わらないようにしにといけない。一度だけで終わってしまうと、また元に戻る。
④小さいときの深い傷口に触れることを妨げているのは何か?
あと一歩突き抜けられないで、停滞しようとすること。
⑤それに対しての具体的な言動
その瞬間に全てを投げ込む。そして、突き抜ける。
⑥自分の洞察
まとまってしまって、突き抜けることをしないから、不安が訪れて、自信が無い。それを続けながら、どれだけ演技の訓練を続けて技量を高めても、いつまでも「まだだ、まだだ。」と僕は、やるだろう。今日、ゼン先生に問題点を突きつけられ、最近ずっと続いていた悩みがどうしてそうなるのか、ということと、そして、現状を打破するヒントを僕は与えられたと思えた。
本当は、僕は弱くないんだ。荒々しいし、気性も激しい。人と足並みをそろえたくない。こじんまりした人間でなく、もっと激しくダイナミクでもあるはずだ。人に強制されたり、流れに乗ることを極端に嫌うのも、それだけ一個の人間でありたいと思うからだ。でも、実際には、逆のことをしている。まとまろうとして、湧き上がる衝動を吐こうとしない。まるで能力を出し切っていない気がする。だから、僕は苦しいのだと思う。もう、自分を生きていないのだ。今日のフィーリング・リベレーションとゼン先生からの指摘から、これから進むべき方向はハッキリとしたので、あとは、やるだけだと思えた。もう、やるしかないのだ。自分自身も最近危機感を感じていたので、やるしかない。突き抜けるしか、この現状を突破することが出来ないのだ。
⑦最近の自分の変化について気づいたことは何か
ここまで、レポートで文章を長々と書いたが、もはややるしかない。いまの自分は、本当にやるしかない。「最近の変化」とは、そこまで自分が来ているということだ。ゼン先生の言う通り、もうレポートを書くことによってのみ留まっていられない。そういう現状にあることをハッキリと認識しておきます。
⑧今回のセッションで感謝できたことは何か
今日の、ゼン先生の言葉を僕は先ほども書きましたが、胸で、しっかりと受け取りました。自分の人生が、このフィーリング・リベレーションで懸かっているわけだし、ゼン先生に言われたからするのではなく、自らで全力で立ち向かうしか、他にありません。責任を持って、来週も行います。来週もよろしくお願いします。人生を変えるべく立ち向かいます。ゼン先生、本日もフィーリング・リベレーションをいただきまして、ありがとうございました。
⑨フィーリングリベレーション宣言
「私が、いつも、まとまってしまって突き抜けられない理由がフィーリング・リベレーショで解りました。これは、抑圧された感情だ。かかずりあうなと、声をかけ一歩前に出ます。タタタン、タタタン、GOGOGO!!」


◆◆◆◆◆

注)(感情の解放の目的に就いて一言)幼児期に抑え込まれた感情が、その人の人生に常に付き纏い、自分や他人に対しての不信感を生む。
この感情の解放は、心の汚れを掃き出そうという試みです。その人の生き方を歪め、暗いものにする身体の何処かにこびりついた否定的な感情を、意識的に体を緩め、動かし胸からの声に乗せて掃き出そうと言う試みです。健全な人をより健全な人にする、本来の自分らしさを取り戻す試みです。(我々は、病的な人を一切取り扱いません。それは、医者の仕事です。)
この感情の解放の結果として、人間本来の明かるさを取り戻す、人に優しくなる、親に対する思い遣りが深まる等々です。
10数年前の当時コミュニティーは、日々寝食を共にし、みゆきと僕の指導のもとに日々訓練をつずける事ができました。
現在、短期合宿クラスを開いていますが、感情の解放(フィーリング・ リベレイション)は、個人の自由意思に任せています。生徒は世間から完全に隔離された三階の100畳敷の広いスタジオで、いつでも好き勝手な時間に駆け上がって大声を出して暴れ回っていますが大変な効果があると思っています。
感情の解放(フィーリング リベレイション)は、心の汚れを掃き出して、風通しを良くするのが目的です。

ZEN