2018年1月27日土曜日

俳優を目指す若者たちへ




今回は、元河口湖合宿クラスの一生徒のコメントを載せることにしました。

ゼン先生へ
私がゼン・スタに入って、
最も自分の根幹を揺るがし今までの人生を覆してくれたことは
『どんな感情を感じてもいいんだ!どんな自分で居てもいいんだ!』
と自分を丸ごと受け入れる、ということです。

そして自分を自分らしく居させない心理や身体の状態は『親との関係』に辿り着くということもゼン・スタに入って学びました。
これは人生を根本から変えてくれました。

私は幼い頃から
「怒らないの!」
「しっかりしなさい!」
「男の子が泣かないの!」
「口をポカーンと開けてないでよ。バカみたいじゃないの!」
と言われたことが多々ありました。

もちろんそれは愛情の裏返しとも今なら分かるのですが、当時は感情的にはとても傷を負いました。

するとどうなったか。

怒りや苛立ちを感じている自分を自分で叩き、責め、しっかりしなきゃと焦り空回り。
のんびりできず、いつも人目を気にしソワソワしながら生きていたのです。
僕の頭の中は元々お花畑でのんびり屋なのに、です。

「もっと自由に自分らしく生きたい!
僕はどんな感情も感じたいんだ!
怒りたい!
喜びたい!
自分を生きたい!」

そして演劇と出会い、恩師「ゼン・ヒラノ」に出会いました。

「人は皆、どんな感情も感じていい。
自分の花を咲かせなさい」

そう恩師から頂いた言葉そのままが、僕にとって人生の大切な言葉となっています。

一昨年、息子を授かり子供の成長を見守る毎日です。

ゼン・スタで学んだことを日々の生活に活かしています。

例えば、息子が泣いている時、ご機嫌を取ることもやりますが泣きたいだけ泣かせてあげるということ。

そして息子が何を訴え、何を感じているのか、どうしたいのか、どうして欲しいのか、きちんと向き合っています。

親の一方的な『静かにしなさい!こうしなさい!』ということはしないように心がけています。

僕自身が小さい頃にそれはして欲しくなかったからです。

ゼン・スタのセッション『フィーリング・リベレーション』で幼少期の親への要求を自分自身、体感しているので、子供がどうして欲しいのか、それをきちんと受け取ることを心がけています。

人間は感情の生き物です。
そして感情が発生するメカニズムは『要求が通るか通らないか』つまり『どうしたいのか』と密接に関わります。

ゼン・スタでは感情を誤魔化さないできちんと感じることができるようになります。

感情は感じることで嘘のように体内のエネルギーが通ります。

詰まっていたものが通り、それがそのまま自分のエネルギーの流れになり、生き生きしてきます。

社会生活では未だに感情を抑えることや誤魔化さざるを得ない、愛想笑いをすることもあります。

しかしその背後その奥にきちんと
『自分は今、抑えているな、緊張しているな、無理してるな』
と気付いている視点があります。
これは、きちんと自分の感じていることをきちんと感じてあげる、ということをトレーニングしてきた結果です。

この気付きの視点こそが『本当の自分』というものと密接に関わっているのだと思っています。

ゼミ・スタでトレーニングを受け、自分を遥かに許せるようになりました。

それまでは自分を責め、人を責め、社会を責めていましたから。

どんな自分にもOKを出せるようになりました。

OKを出す、ということは『許し』です。


私は思います
人は皆『許し』を求めています。
その許しは、社会的な地位や権力を得たりすることで得られると多くの人は考えます。
つまり誰かに認めてもらうことで許しを得ようとするのです。

でも本当のところ、
人は『誰か』に認められ許して欲しいのではなく、
何よりも誰よりも『自分自身』に認められ許して欲しいのです。

愛する誰よりも、家族よりも、どんな他人よりも、
一番近くに居る『自分』に許して欲しいんです。

自分に認めてもらいたいんです。

その許しは、感情です。

何を感じてもいい。
どんなことを感じてもいい。
感じたことを外に表すのはどこでやってもいい、ということではありませんがゼン・スタのスタジオでのセッションではそれが許されていました。

感情は出さないと自分が何を感じているのか、分からないのです。

感情は出さないと本当のところを体感できないのです。

人間は感情の生き物です。

感情を感じとることで自分自身を知ります。

頭でなく、胸の奥から自分自身を感じることがあります。

感情を丁寧に感じ取ることから
自分の人生は花開いてゆくのだと思っています。

私がゼン・ゼミで体感し、学んだことは計り知れません。

このことを日々の生活で子に伝え、子々孫々伝わってゆくことを楽しみにしています。

最後に恩師から教わった最高の言葉で締めくくりたいと思います。

「怖いと思ったらそれがGoサインだ。一歩前に出ろ!」
「自分の花を咲かせよう」

メールにて失礼いたします。
何かの参考になれば嬉しく思います。
ありがとうございました。

今、家族でやってることは
出張寿司を手がけてまして
ゼンさんのインスピレーション通り『寿司エンターテイナー』を仕事にして
まだまだ手探り状態ですが、
自分の花を咲かせたいと思っています。

ススム



ススムは河口湖合宿クラスに8年間滞在して、マサキと共にリーダーシップをとっていた。

その間、アルバイトで専門のすし屋勤めて本格的に腕を磨いたと聞いていた。

同じ合宿クラスのアミと出会って結婚し、先日、うまれたばかりの子供を抱えて、生き生きとして、とても幸せそうだった。

「今、何をやっているの?」
の僕の質問に答えて上記の返事を送ってきた。




ススムへ

ススム、アミ! 子供も生まれ今、仕事に情熱を持っていることが伝わってきて大変嬉しい。
現場で実績を積んだら、能力のある人、興味のある人々を集め教育し、会社を設立して社会貢献をして欲しいと願っている。
ススムのこれからやることは、魚に関する情報、知識、また、実際に現場を訪れて、漁夫の話を聞いたりしてライフストーリーを集めるのもいい。オーソリティーになって本を出すのだ。
実際の仕事の現場では、一切知識をひけらかすな! バカになれ、我々俳優はクラウンだ! 人びとを楽しませ、「ああ、楽しかった!面白かった!」と云わせてみよう。
人に喜びを与えることが、自分に喜びを与える、いちばんの近道だと云われるから。

ZEN


河口湖コミュニティ再開のお知らせ↓↓↓
http://zenhirano15.blogspot.jp/p/zensta.html?m=1

2018年1月19日金曜日

第54回 『神との会話』に魅せられて



今日は、この場をお借りして、身勝手な事を書かせて頂きたいと思っている。

僕はTVで、スポーツを観るのが好きだ。


まずは、相撲、白鵬。

僕にとって勝ち負けはどちらでも良い。

裸に帯一本のまわしをつけ、仕切り前に座し、相手と向き合う彼の一瞬の眼つき、その眼つきの中に双葉山、大鵬と、面々と引き継がれている日本人の魂の美しさ、崇高さを視る。

はるばるモンゴルからやって来て、日本人が忘れかけている礼節の尊さを引き継いでくれている事に、心より感謝と感動を覚える。


次は、スキージャンプ。

高梨選手。

より高く、より遠くへ飛翔したいという人間の魂のもつ根源的な要求を、我々に開示してくれているように思える。

スポンサーに諛う選手が多い中、自分の魂と向き合って、若い命を燃やしている。

是非勝ち続けて欲しいと願っている。

たとえ、負けてもあなたは、人生の勝者だ。

あなたは、自分の全てを投げ出して飛翔しようと努力している。

僕は、とてもあなたを愛しています。


次は、アイススケート。

日本から優秀な選手が続出している。

前回の宮原知子選手のスケーティングングには驚かされた。

心の深くに秘められた強い思い(魂)を喜びとともにスケーティングしていた事だ。

このような表現をするとは、全く思いもよらなかった。

感動を与えられた。

彼女はアーチストだ。

日本には、浅田真央、羽生結弦、宇野昌磨、宮原知子。

この四人は、自分が意識しているかは、別として強く魂の表現を望んでいる芸術家だ。

アイススケーティングは、氷の上を滑空するという、人々の幻想を掻き立て、美的感動を与えるという特殊なスポーツだ。

採点などを気にしないで、四人で芸術のために、競争心やエゴを棄てて、一体となってジョイントリサイタルを開ければスバラシイと思っている。

4回転など、失敗を気にしないで、転んだ後も、美しく構成して立ち上がり、(苦境から立ち上がる姿は、人々に大きな感動を与える)自分の魂を表現する。

 自分自身の芸術だから、他者と一切比較しない。

 あなたは、神と観客に生きている喜びと、感謝を捧げる。

スケート界の内部の事情は知らないが、世の為、人の為、自分の為に是非、若い命を燃やしている今、実現して欲しいと願っている。

各々の選手を支えてくれた人たち、そしてあなたを愛してくれている観客に、スケーティングアーティストとして、感謝と感動を与えて欲しと、心より願っている。


次は柔道。

闘志を秘めた身体に純白の上下、黒い帯をキリッと締めたいでたちに、どんなファッションデザイナーも敵わない。

柔道大国のフランス人が憧れるのも当然だ。

日々の練習の中、あるいは戦いの中で切磋琢磨しあう相手がいて、初めて自分自身を高めることができる。

その為に相手に敬意を表して、お辞儀をする。

武道の一流選手にこの礼節がある。

山下選手のオリンピック決勝戦に、なんの自意識も、もたずに足を引きずり決戦に臨む姿に感動した。

そして、「会場が異様な静寂に包まれる中、へーシングの勝利に歓喜したオランダ人スタッフは、 土足で畳にあがろうとした。しかしへーシングは、それを手で制止して畳にあげさせなかった。へーシングは、まさに【礼に始まり礼に終わる】という柔道の精神を持っ た、真の柔道家であったのです。 この行動からヘーシングは注目をあび、日本人は もちろん世界中から尊敬される存在となりました。」(目撃者談)

柔道の始祖、嘉納治五郎の教え。

【柔道の目的は、身体を鍛練して強健にし、精神の修養につとめて人格の完成をはかり、社会に貢献することである。】と示されている。


世界が注目する日本人の美徳は、礼節を重んじることにある。


僕はニューヨークに長年、住んでいたので、アメリカ人の気質を知っていますが、オープンで気軽に話しかけて来る。

ホテルのエレベーターに入って来て、見知らぬ人に気軽にグッモー二ングと声をかけて来るのがアメリカ人。

現代の日本の若者たちに伝えたいのは、アメリカ人のオープンさ(アメリカンナイズ)を学ぶことはよいことだが、日本人の世界が認める美徳、真の礼儀正しさ、相手に対する真の感謝の思いを忘れないで欲しいと願っている。


「我々は嘘をつく事は出来ない。その人の目を見ればわかる。目は魂の窓と云われるから。」
『神との対話』より。

 ZEN

河口湖コミュニティを春から再開します。
また、これまでのエッセイの全てが以下に投稿していますので、是非ご覧くださいませ。
↓↓↓
http://zenhirano15.blogspot.jp/p/zensta.htm

2018年1月15日月曜日

河口湖合宿クラスのお知らせ


今日、1月15日は、
私の誕生日です。

自らの人生を架け、
本年4月1日より1年間、
河口湖で、
合宿クラスを
スタートさせることに
決定しました。

お互いに励まし合い、
助け合い、
一丸となって
喜びの成長の場に
したいと願っています。

ゼン・ヒラノ

詳しくは以下にて
↓↓↓
http://zenhirano15.blogspot.jp/p/zensta.html?m=1


2018年1月13日土曜日

ザ・アクターズスタジオと恩師リー・ストラスバーグの思い出


~第5話~

(前回よりつづく)

スタジオの門をくぐると、メンバー達が興味津々寄ってきて、一階の各部屋全てを案内し、トイレまで見せてくれた。

アクターズ・スタジオは、教会を買い取って設立され、スタジオは、2階にあって、後半分は、ひな壇状の客席になている。

(アクターズ・スタジオは、世界的に有名なのにあまりにも狭い場所なので皆びっくりすると言う)

最前列の真ん中に、ストラスバーグが座る事になっている。

見学者は最後部席、ステージはなく、平土間で俳優達は演技をしてみせる。

プロデューサーや演出家は、完全にシャットアウト。

(俳優が、自分の抱える問題に正面から立ち向かえるように)

俳優にとって世界一神聖な場所と言われた。

百人以上のアカデミー賞受賞者を出したこの場所は、一時は、奇跡の場所と噂され、何か秘密兵器があるのではないかと噂されたこともあった。

スタジオは、出来ることをやって見せるところではない。

プロの俳優達が、自分ではどうしても解決できない演技上の問題を持ち込んで、ストラスバーグのサゼッションを仰ぐ場所である。

一流になればなるほど、演技に対して高度に、且つ、微妙な問題を抱え苦しむ。

ストラスバーグ曰く、
「問題は、今日解決するかもしれない。又、5年後かもしれない。でも、必ず解決してみせる。」
と。

当時、そんなことを全く知らない僕をメンバー達が、最前列のストラスバーグの隣に座らせてしまった。

ストラスバーグが、ジロッと僕を見た。

何も言わなかった。

何を喋っているのか、英語も分からなかったし、別に興奮もしなかった。

(感じられなかったのかもしれない)

今、考えられる理由は、当時、ハンサムで(自分では気が付かなかった)、スリムでダンスで鍛えた抜群のスタイル、静岡生まれで、有名になろうなんて全く考えていなかったせいかも知れない。

メンバー達は、「星の王子さま」が降り立ったと思ったのかもしれない。

何年か経った後、アルバという北欧の絶世の美人(スタジオは才能を探していて容姿を一切考慮しないので、美人は稀)に、「星の王子さま」を一緒にやろうと持ちかけられた。

ママゴトみたいなひどい演技で、ストラスバーグは、後頭部を掻きながら(彼の不機嫌な時のくせ)手厳しい批判を受けたことを思い出す。

当日の2時間のクラスが終わると、ストラスバーグはいつもの通り一言も口を聞かないで、サッサとスタジオを後にした。

やっと解放されて、急いで外に出ようとしたら、又メンバー達が僕を掴まえて、
「ゼン、今、子供のためのクリスマスのプロジェクトをやっているから参加するように。参加すれば、スタジオの見学を続けられる。」
と有無を言わさず強引に引っ張り込まれた。

記憶していることは、僕が、雨傘に隠れるたびに、子供達が興奮して大喜びだったことを思い出す。

翌日、雨傘を剣に見立て戦っている僕一人だけの大きな写真が、ニューヨーク タイムズ紙に載っていた。

これが、アクターズ・スタジオとの関わりの第一歩だった。


ZEN

2018年1月12日金曜日

俳優を目指す若者たちへ

スタニスラフスキーが言っている。
「先ず、最初に、我々俳優はエンター テイナー」
だと。


魚屋が魚を売り、パン屋がパンを売るように、
我々、俳優は観客に喜びと感動を売る。

歌手五木ひろしが、自分の公演が始まる前に、すべての客席の具合を実際に座ってチェックしたと言う。

又、「お客様は、神様です。」と歌手三波春夫が言っていたが、お客様を喜ばせ、幸せにすることが、自分の神様に出会うことが出来るやり方だったのだと思う。


もし、あなたが、地方の舞台等で公演し、10人ほどの観客の中におばあちゃんがいて、あなたたちの拙い演技を見て、そのおばあちゃんが 涙を流して、泣いたり笑ったりしてくれたら大成功。

舞台から駆け下りておばあちゃんの肩を揉んで差し上げよう。

我々俳優はエンターテイナーだから。


昔、ゼミ生たちは、公演の時に、掃除のおばさんが帰るのを見届けて拭き掃除をし、トイレに花を生けたり、客席を拭き直したりした。

又、会場が、分かりにくい場所にある時は、プラッカードを持って、カドカドに立っていたのを記憶している。

観客は、お金と時間(寿命)と、いろいろな思いを持って、あなたのところにやってくる。

たとえ自分の思うように演技がうまくいかなかったにしても、楽屋に引っ込んでいないで、感謝の言葉を告げ、笑顔でお客様をお見送りすることだ。

我々俳優はエンターテイナーだから。


以前、巣鴨のスタジオでの僕自身の講義会で、どうしても思うように伝えられなくて、時間は返せなかったが、お金を返したことがあった。

エゴからか、又、責任感からか、定かではないが 、この事も自分自身の成長に役立っていたのかもしれない。

人を喜ばせることは、
自分自身に喜びを与えることだ。


日常生活で、不安からどうしても人を、自分を非難しやすい。

今日1日、一回でいいから人を喜ばせてみよう。

(『神との対話』に書かれている以下の文章が 、あなたの参考になればと。)

神 g 著者 w ウオルッシュ
g「心に喜びを抱いていれば、いつまでも癒されるのだよ。」

W「でも、どうすれば心に喜びを抱いていられるのですか? 喜びがなかったら、どうして抱いていられますか?」

g「喜びはあるよ。」

w「でも、経験していない人もいます。」

g「そうゆうひとたちは、喜びの秘密を知らないのだ。」

w「秘密と言いますと?」

g「喜びは外に出さなければ感じられないということだ」

w「でも、感じられないものを外に出せますか?」

g「他の人が喜びを感じるのを、助けてやればいい。他者の中にある喜びを引き出せば 、自分の中にある喜びを外に出すことができる。」

w「どうすればそれができるか、分からない人もいます。偉大な言葉ですが。でも、それ がどんなことかわからないんですよ。」

g 「微笑みのような簡単なことでもいいのだよ。褒め言葉、愛情に満ちたまなざし、愛の営みのような優雅な方法でも可能だ。こうした工夫で、他者の、それに大勢の人の喜びを引き出すことができる。歌やダンス、絵筆の動き、粘土いじり、リズミカルなことば。手を取り合うこと、精神的な出会い、魂のパートナー。
何でも良いもの、愛すべきものを共に創り出すことは役に立つ。そうゆう様々な工夫で、他者の、それに大勢のひとの喜びを引き出すことができる。
感情を分かち合うこと。
真実を語ること。
批判をやわらげること。
耳を傾けること。
積極的に語ること。
赦そうとする決意。
手放そうとする選択。
与えようと云う努力。
受けとろうとと云う、広い心。
ひとの心の喜びを引き出す方法は何千もある。
決意さえすれば、方法はわかるよ。」



お願い。
元ゼミ生の体験談を送って欲しいと願っています。
(info@zenhirano.jpまで)
これからの自分の生き方の指針にしたいと思っています。

ゼン・ヒラノ



写真は、23年前、神戸地震の際、ゼミ生による「神戸の子供達を応援しよう。」
渋谷駅前にて。





2018年1月7日日曜日

第53回『神との対話』に魅せられて



今回は、僕の未熟な感想などを掲載しないで、『神との対話』の本文そのまま載せさせて頂いて、新年の御挨拶に換えさせて戴きます。 

         
神  g       著者 w
g
「心に喜びを抱いていれば、いつまでも癒されるのだよ。」

  W
「でも、どうすれば心に喜びを抱いていられるのですか?
 喜びがなかったら、どうして抱いていられますか?」

g
「喜びはあるよ。」

w
「でも、経験していない人もいます。」

g
「そういう人たちは、喜びの秘密を知らないのだ。」

 w
「秘密と言いますと?」

g
「喜びは外に出さなければ感じられないということだ」

 w
「でも、感じられないものを外に出せますか?」

g
「他の人が喜びを感じるのを助けてやればいい。
他者の中にある喜びを引き出せば、自分の中にある喜びを外に出すことができる。」

 w
「どうすればそれができるか、分からない人もいます。偉大な言葉ですが、でもそれ がどんなことかわからないんですよ。」

g
「微笑みのような簡単なことでもいいのだよ。
褒め言葉、愛情に満ちたまなざし、愛の営みのような優雅な方法でも可能だ。
こうした工夫で、他者の、それに大勢の人の喜びを引き出すことができる。
歌やダンス、絵筆の動き、粘土いじり、リズミカルなことば。
手を取り合うこと、
精神的な出会い、
魂のパートナー。
なんでも良いもの、愛すべきものを共に創り出すことは役に立つ。
そういう様々な工夫で、他者の、それに大勢のひとの喜びを引き出すことができる。
感情を分かち合うこと。
真実を語ること。
批判をやわらげること。
耳を傾けること。
積極的に語ること。
赦そうとする決意。
手放そうとする選択。
与えようと云う努力。
受けとろうとと云う、広い心。
ひとの心の喜びを引き出す方法は何千もある。
決意さえすれば、方法はわかるよ。」



2018年。
今年は、皆様にとって健康で、より輝きを放つ年と成りますように。
                                                                     
ゼン・ヒラノ

2018年1月6日土曜日

若き俳優を目指す若者たちへ


(前回の続き)

しかし、ジュンイチの質問のおかげで、昔のゼミ生やスタッフのことを思い出すチャンスを与えられた。


この場を借りて、勝手気ままに振る舞った僕の、スタッフ達に感謝の気持ちを伝えたい。



まず、伊尾知へ。

10数年ぶりに、東京に帰って来たばかりで、右も左も分からなかった僕のクラスの開講の為に、畳に這いつくばって計画表を書いていたあなたを、今でも思い出す。

ありがとう!


そしてマユミへ。

あなたの才能と努力はゼミ生を刺激し、勇気づけた。

あだ名はブルドック。

一度集中に入ると噛みついて離さないからだ。


そして、シラト。

誰からも信頼され、とかく、感情に流されやすい我々を見守ってゼミの大黒柱的存在だった。


そして、ヤギ。

ある日、巣鴨のビルディングのオーナーが1階をうっかり閉めてしまって、クラスが開けないと思った事があった。

その時、ヤギは近くに置いてあったバンの屋根に飛び乗り、そこから電柱を伝わって4階の窓を開け姿を消し、1階のドアを開けた。

止める暇もなく、アッという間の出来事だった。

当時のゼミの精神の象徴的出来事だった。

又、ヤギの「レフティー」の公演で発揮した演技力は、他を圧倒し、作品を成立させた。


そして、アリス。

アリスには、忘れがたい思い出がある。

マユミと演じた「子供の時間」で、死を決意し、最後に部屋を見回して、静かに出て行くシーンだ。

僕の人生で初めての経験。

「時間が止まった。」

今でも、あの時の不思議な感覚を思い出す。


また、巣鴨のスタジオでは、「フライデー シアター」と名付けて、クラスで見せた二人一組の場面を公開した事がある。

アクターズ・スタジオ・メンバーとしての僕の目からして観ても、次々に出てくる俳優たちの素晴らしさに驚かされたことがある。

教育とはその人の刺激して、自分の持っている素晴らしさを気付かせる事だと思った。


エルビス。

彼の行動力は、スザマシイ。

河口湖への引越しを彼が全てやりおおせた。

毎年、恒例の美ヶ原でのキャンプで、ぼくに内緒で山の中に積み上げ丸太を何十本とあちこちに積み上げ 火をつけ裸で踊った。

これぞ、青春。感動した。

しかし山火事が心配だった。

(今、彼はニューヨークで、二三百人のグループを引き連れてフェスティバルをやっている。)


又、美ヶ原では女性たちが10人ほど、横に一列になり手を繋いで人里離れた河原を「ゼン先生!」と大声でぼくを呼びながら幸せいっぱい歩いていたのを思い出す。


シュウサク。

コミュニティーの一番乗りの一人。

訓練よりも雑用が主で助けてくれた。

先日、やってきて、子供のようにはしゃいでいた。


イッキ、アズマ、トマリ。

長い間、クラスの雑用をひきうてくれたことに感謝している。


ヨシアキ。

東京クラスを10年間も受け、現在教える仕事に専念している。


ヨーコ。

河口湖の小劇場でみゆきの相手役として誠実な演技をしていたのを覚えている。


そして、モリツラ。

応接間の天井を見るたびに、考えられない長い時間をかけて丁寧にペイントしたのを思い出す。

やさしく、ナイーブなマロは、元気かな?


又、マサキ。

河口湖の合宿クラスに10年もいて毎朝5時半に起き、ススムとともにみんなを引っ張っていった。


ススムも

8年間、みんなと寝食を共にし、何百枚もあったDVDにレッテルを貼り整理整頓した。

先日、ススムはアミと赤ん坊を抱えてやって来た。ふたりで幸せそうだった。


ケイコは

長い間、コミュニティーのリーダーとして力を発揮してくれた。

ケイコがコミュニティーを離れる時にプレゼントしてくれたアーミースタイルのチェアーを未だ愛用している。


ヨシノリとアサは、

最近クラウンを二人でやってみたいと言ってきた。

とっても素晴らしいクラウンが誕生すると確信している。

是非実現して欲しいと願っている。


ミノリ。

彼女の中に人間の真の優しさを見ることがある。

自分を信じて進んで欲しい。


そしてツトム。

ゼンゼミのホームページを長時間をかけて一生懸命にこしらえてくれた。

今でもとても気に入っています。


そして、コウキ。

ヤンチャだったが、人一倍行動力に長けていた。

夕鶴のスタジオでの公演のすべてを引き受けて、一人でやり遂げた資金集めにも尽力してくれた。


ユイは

先日やってきて、少し元気がないなと心配したが、送ってきてくれた殺陣の写真を見て、その生命力と美しさに感動した。


そして、アヤコ。

ゼミの事務的な仕事を長年に渡って処理してくれた。

あなたがプレゼントしてくれた、たくさんのカップ。

使うたびにあなたを思い出しています。


アスカ。

未だに影になり、日向になり僕の仕事を支えてくれている。初めてクラスに来た時は、高校生のようだった。


この場を借りて心より感謝の思いを伝えたいと思っている。


最後になるが、

ぼくのワイフ、

平野みゆき。

誰か演技力において自分がトップだと、思うなら、いつでもみゆきを対決させる用意がある。

彼女の演技指導は経験豊富、他の追従を許さない。今、社会の指導者たちの問題解決に乗り出した。

この3年間、毎朝、5時に起きて研究を続けている。

(彼女に感謝していることは、毎日、三度、三度食事をこしらえてくれて、最近特に腕前が上がったことだ。)



当時のゼミを受けた人たちは、今、人生の中間点にいる。過去は存在しない。頭にあるだけだ。


でも、あの青春の時に、ゼミで燃やした情熱は胸の中に燻っている。


今、それぞれの人生で、それぞれの経験を積み重ね、自分の素晴らしさを体験する為に重要な人生の時期、新たな一歩を踏み出そうとする、新たな時期に来ていると思う。


「怖いと思ったら、一歩前にでろ。それがゴーサインだ。」

ストラスバーグ。


最後に、ジュンイチに感謝している。

ジュンイチのこれらの質問がなかったら、此れほどまでにゼミ生達を身近に、思い出すことができなかった。


又、ぼくの教師としての意欲に火をつけた。


今、もう一度、ここ河口湖で合宿クラスを始めたいと考えている。



ZEN

若き俳優を目指す若者たちへ


前回に続いてジュンイチの質問NO.3に答える。

質問)
なぜ、アクターズ スタジオで公開した「夕鶴」を日本で公開しないのか?



作品「夕鶴」はストラスバーグの30回忌に合わせて演出されたもので、全く未完成だった。

僕は、ストラスバーグを師とし尊敬し、愛して来た。

彼あってのアクターズ・スタジオだ。

メンバー達に、彼の偉業を再認識して欲しいと望んだ。


作品につい語れば、成功するはずが無い。

登場人物の与ひょうは、背が低く、ずんぐりしていてノロマだ。

その役を背が高く、ハンサムな男性が演じてプレイが成立するはずが無い。

しかし、みゆきのたっての願いで、当時、みゆきの熱心な生徒だったし、アートに熱く燃えていた彼を相手役にした。

僕の演出の発想は、素晴らしいと思っているが、作品は成立しなかった。

しかし、二人とも演技力を発揮した。

特にみゆきは、アニマルエクササイズ・鶴を徹底的に実践して鶴の化身だと人々に印象を与えたと思う。

女優、山本安江の夕鶴は有名だが、演技力としてはみゆきの方が上だと思っている。

山本安江の夕鶴に対する情熱、努力はみゆきの30倍だ。

でも、いつの日か、みゆきに此の夕鶴を演じ、我々のストラスバーグから受け継いだ方法論を通して、人々に深い感銘を与えて欲しいと思っている。

フィルムには、残っていないと思うが、山本安江の夕鶴の初期の舞台で、観客を震撼させたことが何度もあったと思う。

俳優はそのインスピレーションを繰り返す能力を持つことを要求される。

それがスタニスラフスキー、ストラスバーグの教えだ。

もう一つ、今回の公演で深く心に残ることがある。

夕鶴の冒頭の幕開けに前妻・伊藤ヨシの「赤とんぼ」の唄を流したことだ。

彼女は天性の不思議な声を持っていて、人のこころの深い所に染み込んでくる。

大きな劇場を借りてのストラスバーグの葬儀の時に、彼女はお琴を弾き続け、唄い続けた。

30回忌の公演で、ストラスバーグが、一番喜んだのはヨシの歌かもしれないと思っている。

又、スタジオで、公演して一番良かったことは、演技が終わった後、ストラスバーグを知るメンバーに出てもらって、思い出話を熱く語り合った事だ。



ジュンイチ。
僕は、恩師ストラスバーグを愛している、感謝している。

その為の公演だ。

「口を閉じて尻を振れ」

他人のことなど、すっぽかしておいて、自分の創造活動に専念すべきだと思う。


演出については、もう一つ思い出がある。

自分の人生が難しい時で、たまたま、ビレッジで、黒沢監督の「羅生門」を見た。

主題がハッキリとしていないと感じた。

初めて、自分から演出し、アクターズ・スタジオに持ち込もうとした。

スタジオに持ち込むために、日本で公演した。

なんの反応もなかった。

ただ一人、白土が興奮して飛び込んで来て、「ゼンさんは天才だ」と叫んだのを覚えている。

(ミケランジェロに比べたら百分の一)

同じ作品をメンバー達を使って一週間スタジオ公演した。

ストラスバーグがニューヨークで一番才能がある女優と言っていたペニー・アレンのただ一人を除いて、僕の生徒達の方がメンバーよりはるかに優れた演技をしていた。

しかし、スタジオ公演では、ロバート・デニーロが3回、観に来たと言っていた。

ポール・ ニューマンは、僕が帰国する時に駆けつけて来て
「ゼン、日本に帰るな。自分が全て引き受ける」
と言って来た。

ポール・ニューマンは、スタジオを愛し続け、ボランティア活動で百何十億円も寄付し、素晴らしい人格者だ。

しかし、僕は、このショービジネスの世界に馴染めなく断ったのを今でも、申し訳ないと思っている。

ストラスバーグに、傾倒したせいか、その後、教師の道を選んだ。

また、メンバーの演出家が僕に惚れ込んで、僕を主役に映画の企画を立てたこともあった。

夕鶴の公演で彼に会ったが、ワイフに付き添われ車椅子に乗ってやって来た。

まったく、動けず、口もきけず目と目を合わせた。

僕を育ててくれたストラスバーグとスタジオに作品を通して、恩返しができなくて、本当に申し訳ないと思っている。


ZEN

俳優を目指す若者たちへ


前回に続いてジュンイチの質問に答えることにする。

質問2)
レッスン費が高すぎるのではないか?

「何を馬鹿なことを言っているのだ。高いと思ったら受けなければ良い。」
ただそれだけだ。

安いから受けようとしたって身につくはずが無い。

みゆきのプライベート レッスンは、高額だ。

受講者は、毎回眼の色を変え教師と真剣勝負だ。

そこに成長がある。


昔、前妻、伊藤ヨシとニューヨークで生活していた頃、朝晩、日本レストランで働いて、空き時間に、僕はダンスに、ヨシは歌の個人レッスンに駆けつけた。

収入の殆ど全てをレッスン費につぎ込んだが、高いと思ったことはない。

又、ストラスバーグの個人のクラスを受けるために、(彼は、半年ニューヨーク、半年はロスアンジェルスで、クラスを開いていた。それに合わせて)僕は半年日本で仕事をして、半年彼のクラスを受けるために、ニューヨークに駆けつけた。

10年間続けた。

今、考えてみると、ニューヨークでの半年間の滞在費、食費、雑費、レッスン費は大変な額になったと思う。

三年ほど経った時、ストラスバーグに
「もうレッスン費を払わなくていい」
と云われた。

貴重な教えを受けるのに、無料など考えられない。

もちろん最後まで払い続けた。

又、ストラスバーグに、
「ゼンは全てをマスターしたから、もう来なくてもいい 」
と、云われた。

でも、彼の最後の日まで、通い続けた。

(ここで断っておくが、僕の一番の才能は演出能力であり、二番目は演技能力であり、三番目は教師としての能力だ。次の機会に述べることにする。)

殆ど、全ての運動選手、音楽家、ダンサー等の分野では、訓練方法が確立されている。

俳優の訓練は、てんでバラバラで確立されていない。

何をどう訓練したら良いかわからない。

ストラスバーグから聞いた話だが、
「むかしの名優と言われる人が、生涯忘れがたい演技を観客は目の当たりにしたが、次の晩は何も起こらない。霊感に見放されたのだ」
と。

どうやってこの問題を解決出来るかを模索し、探求したのがスタニスラフスキーであり、ストラスバーグだったと思う。



演技には、二つの事が要求される。

信じる事と、信じたことを繰り返す能力だ。

アートとは、不思議だ。

実際に熱烈に愛し合ってる二人を舞台に上げてもアートにならない。

いつも自分を大根役者呼ばわりしている相手に、想像力で恋に落ちれば、アートになる。

しかし、殆どの俳優は恋に落ちたフリをする。

それでは、具体的にどうするかと言えば、頭にあるあなたの恋人の記憶を相手役に移していく。

(エクササイズ パーソナリゼイション)

相手役の目の中にジットあなたを見つめている恋人のまなざしをみる。

髪型、肌の色、ちょっとした仕草等に、恋人をオーバーラップさせる。

基本的な五感の記憶の訓練を身につけていれば意外に簡単に出来る。

人は皆恋に落ちたがっているからだし、特に俳優は想像の世界に入り込みたいと強く、望んでいるからだ。

ワンシーンは大体15分、つまり、15分恋に落ちれば良いということになる。

しかし、10回中9回できなければプロだと言えない。

想像力に優れた俳優がいたとしても、明日も必ず信じられるという保証ない。

そこで、この五感の記憶の訓練が必要となる。

「頭にあるものを目の前に置くのだ」
とストラスバーグは言っていた。

もう一つ俳優にとって大切なことは、考えたこと、感じたことが人間本来の自然のコースを通って外に表れやすい事だ。

社会生活では、常に自分が考えた事、感じた事にブレーキをかける習慣がついて回る。

此の習慣が付いていない子供をみるといい。

何を考えているのか、何を感じているのか手に取るように分かる。


今晩、ウッピー・ゴールドバーグの映画「カラー パープル」を観たが、人間の心の多様性、意外性を見事に表現できる体(我々は楽器と呼んでいる)を持っている。

ちょっと観るつもりだったが、長時間最後まで彼女の表現力に惹かれて観てしまった。


ジュンイチのレッスン費が高いという課題から外れてしまったが、無料で教える教師はいる。

それは、あなた自身だ。

スタニスラフスキーの本も出ているし、映画もビデオもある。

徹底して自分と向き合い、演技とは何かを自分自身に問いかけ続ければ、答えは見つかる。

毎朝5時に起き、エクササイズをすることだ。

ZEN


五感の記憶の訓練の種類
1)カップ
2)鏡
3)太陽
4)味,匂い
5)聴覚
6)お風呂
7)シャワー
8)強い痛み
9)オーバーオール
10)好きな人、嫌いな人
11)思い出の品
12)思い出のの場所
13)酒
14)複合
15)アニマル エクササイズ
16)プライベート モーメント(公開の孤独)
17)燃え上がる記憶(感情の記憶)

在、アメリカでこのエクササイズ全てをデモンストレーション出来る俳優はいない。

出来るのは、ミユキと僕だけである。

近々、全てのエクササイズの実際をビデオに撮り、ストラスバーグの生涯をかけたこのエクササイズの遺産を後世(まずはアメリカの俳優たちに向けて)に残したいと決意している。