2018年10月30日火曜日

俳優を志す人々への提言


ザ アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ

短期合宿クラスの指導方針について~


以前のコミュニティクラスは、みんなで毎月寝泊まりを共にして、朝5時に起きて訓練、昼間はアルバイトそして夜は訓練を繰り返すという生活だった。

個々の俳優達の成長過程をじっくり見守れたし、次にどんな課題を与えたら良いか見当がついた。


今回、短期合宿クラスを開いて大切なことを認識させられた。

何人かは、毎月参加することに決まっている。

次のクラスまでの課題を与え、毎日のエクササイズも各自試行錯誤して努力している。

何か質問があれば、いつも答えることにしている。

しかし、問題は、一回限り受講しようとやって来た人達だ。

僕の長年の習慣で、時間を掛けてシステマティックに成長させようとイメージしてしまう。

今回の合宿クラスは一泊二日の一回勝負で、本人に、本当に役に立つ事を持って帰ってもらう義務がある。

それには、本人が何を求めてやって来たのか、はっきり知る必要が有り、又、何を与えたらその人の成長に役だつか、より、冷静に判断する必要がある。

『神との対話』に、人は、贈りものを受け取りにやって来ると書いてあった。

教師としてその人の為になり、喜ぶ贈りものを渡す義務がある。


数週間前、歌手である一女性に、役に立つ贈りものを渡せなくて、このところ、毎日のように思い出しては心を痛めている。

アクターズ・スタジオでは、俳優の抱えている問題を解決する為のみにあって、社交辞令は一切しない。

しかしここ河口湖の合宿訓練は、初対面で一回限りのことがある。

お世辞抜きに速、問題解決にあたる僕の態度に相手は面食らったかもしれない。

今後、僕が心掛けるべき事は、先ず、相手を安心させ、相手の長所を褒めて、信頼を勝ち取り、無条件にこちらの誘導に従って貰うことだと認識した。

今回やって来たのその女性は、容姿も、歌唱力持っている。

ミュージカルオペラ座の怪人の一場面、愛する父親の墓の前で死の悲しみを歌ったのだが、其の悲しみが伝わってこない。

もし、この歌を歌って審査員をを涙させることができたら、仕事にありつける確率はグット高くなる。

(これは彼女のだけの問題だけでなく、すべての俳優、歌手等の歴史的問題である。)

それでは、このドラマチックな深い感動を、決められた場所と時間に起こさせることができるか?だ。


この問題の解決策に立ち向かったのが、スタニスラフスキーであり、ストラスバーグのメソード アクティングである。


歌手は俳優に比べ、感動を表現するのに大変有利な立場にある。

歌詞にメロディーがつき、リズムとテンポも付き、伴奏者がつく。

セリフだけを与えられ感動を要求される俳優に比べて大きなアドバンテージを与えられている。

勿論、どんな分野でも才能と、訓練が必要だが、歌手は基本訓練さえ出来ていれば、感動を入れる方法「感情の記憶の訓練」を習得すれば、人々に感動を与えるのは、難しくないと確信している。

ZEN  

2018年10月27日土曜日

『神との対話』に魅せられて


ゼン・ヒラノ

斉藤ひとりさんと云う人がいる。

僕のワイフ、ミユキが、
「ひとりさんと云う人がいてこんな話をしている」
と言って、一言僕に告げた。

驚いた!
この人は神の使い、メッセンジャーだと直感した。

20年に渡って読んでいる『神との対話』を我々庶民に、非常にわかりやすく、笑いや、冗談交じりに話しかけてくる。

この人の驚くべき才能、常に人を笑わせるコメディアンであり、崇高な心理をユーモアなセンスいっぱいに語る、話術の天才だと驚いている。


コメディアンというと大袈裟な顔つき、身振り手振りで人を笑わせようとするが、
もし、あなたが、コメディアンになろうと志しているなら斉藤ひとりさんから学ぶといい。


しかし、コメディアンは生まれつきだとも言われる。


アクターズスタジオにコメディアンと言われた一人の女性がいた。

ただ単に舞台に出てきて椅子に腰掛け、テーブルに置かれたコーヒーカップを持ち上げコーヒーを飲もうとすると、メンバー達がどっと笑う。

彼女は驚いてカップを置くと又、みんながどっと笑う。


個人的な話になるが、僕も、スタジオのイベントで、みんなを爆笑させた事があった。

スタジオでNO、1と言われた俳優が、
「ゼン、もしかしたらあんたは、コメディアンかもしれない。あんまり可笑しくて、床に頭をぶっつけコブができた」
と額を見せに来た。

例えば、チャップリン、バスター・キートン等は喜劇の天才だ。

それにプラスして驚異的な努力の実行者だ。

時間も、体力も、お金も無視して命懸けで仕事に打ち込む。

「才能があっても努力がなければものにならないし、才能があっても努力がなければ、ものにならない。」
と言われる。


話は逸れたが、斉藤ひとりさんは、人間の生き方の真実を伝えるのに一切努力が見られないので、僕は、彼は神の使い、真のメッセンジャーだと思っている。


僕は、『神との対話』に、より興味をもっているので、彼の話は3つか、4つしか聞いてないが、たまたま、今日聞いた話にも感銘を受けた。

どの本にも
「感謝はあなたを救う、世界を救う、有難うを連発しろ」
と書かれているが、斎藤ひとり曰く、
「1日に4回感謝されるように努めろ!」
と言っている。

「有難うございます」「有難うございます」
とデパートの店員のように、何十回口で言うのは誰でも簡単だ。

しかし、他人から、心から感謝の意を受け取るのは、至難の技、この様な事を彼はユーモアたっぷりに、アリキタリに、冗談まじりにさえ人々に話しかけてくる。

彼は天才だと確信させられるが、それは、彼の考えではなく単に神の使いメッセンジャーであることには、間違いない。

(彼の話しぶりに、工夫も努力も見えないから)

彼の多くのファンの人たちも同じ想いだと思うが、彼の存在に心から感謝すると共に、深く尊敬しています。

ZEN



2018年10月21日日曜日

俳優を志す人々へ ~俳優の表現力について~


NY ザ アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ

俳優の表現力について~


芸術家と呼ばれる其々の人達は、自分の考えや、イメージ、感動を具体的な手段を通して
人々に伝えようとする人達だと思う。

ある人は、文字で、絵画で、音を通して、体の動きを駆使して等々。


しかし、俳優の表現材料は生きている人間の思考、感情、意思、イメージ等である。

つまり、普段生活の為に使っているこの肉体と精神、思考を使って芸術を表現しようと試みる。

ほかの芸術の分野では考えられないが、演劇では、俳優は嘘をつく。


好きでもない相手役に好きそうな表情を見せ、怒ってもいないのに腕を振り上げ怒声を撒き散らしたり、舞台に上がって不安で一杯なのに平静を装う。


又は、俳優が役が要求するこれこれの深い感情を持っていても、表現に繋がらない。

相手に伝わらないことが多い。


それは、理由がある。


成長し、社会の一員としてやっていく過程で、色々な制約を強いられるからだ。

その為、感じた事が、あるがままに表せなくなる。

人生のみならず、  舞台でも同じ事が起こる。


たとえ役の心情を掴みとり、観客に伝えたくても、表現出来ない為 、 大袈裟なジェスチャーをしたり、顔を しかめたり、不必要に感情を絞り出したりする。


自分の感情が、とても表れやすい俳優がいる。

歴史的に見ても女優が多いと言われる。

重要な感情は眼に現れる。


俳優の才能は、人間の喜怒哀楽の感情を深く感じられ、眼で伝えられる能力だと思っている。


腕を振り回したり、しかめっ面をしたり、大声で叫んだりする事は、どんな俳優でも出来るが、「眼の色」だけは変えられない。

アカデミー賞を貰ったような女優達 の眼を何回も何回も繰り返し観て、研究して欲しいと思っている。


感情は、リラックスが良く、身体の何処にも邪魔されなければ眼に現れる。


「感情は、魂の窓」と言われるから。


ZEN

俳優を志す人々へ ~俳優芸術について~

   NY  ザ  アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ

~俳優芸術について~


俳優の仕事は、人前に出るので、人の視線を浴びて緊張しやすい。

ましてや人前で自分の感情を曝け出さなければならない。

劣等感、羞恥心、嫉妬心 、恋心、暴力 、 愛 、不安、殺意、等々、
人間の持つ全ての感情を表さなければならない。

俳優自身の中に潜んでいる自分自身の感情を露わにし、
人前に曝け出さなければならない。


自分の演じる役の感情など、何処にも落ちていない。

俳優は役を生きる為に、
自分の身体の何処かに隠し持っている全ての感情を、
観客の前に曝け出さなければならない。


日常生活でこれらの感情をさらけ出せば悲劇になる。

想像の世界でこれらの感情をさらけ出せばアートになる。


役の人生、生き様を深く理解し、
役が持ったであろう全ての感情を、
俳優自身の秘められた感情を露わにすることによって芸術となり、
人々に感動を与える。


俳優の演技が至高のレベルに達し、
観客に感動を伝える事が出来れば、
他の芸術を凌駕すると言われる。


空に向かって手の届かないところに手を差し伸べよう!


ZEN

2018年10月18日木曜日

俳優を志す人々へ ~真実に対する感覚について~


ザ アクターズ・スタジオ正会員
 ゼン・ヒラノ

~真実に対する感覚について~


僕は、信じている。

「あなたに必要な全てのものは天が与えてくれている。」と。

ただ、それぞれが持っているものを、本人に気づかせる人が必要だ。

それが教師の役目だと思っている。


最近、非常に驚いたことに出くわした。

俳優のみならず、多くの人が、自分の生き方を求め、成長を求め、
又は、資格を求めていろいろなイベントやクラスに参加し、海外に行ってまで出かけて、莫大な労力と時間とお金を費やしてる。


人々の精神性を高めようと励んでいる教師達のリラックスを調べさせて貰うと、
習慣的な緊張を手放せない人がいることに驚かされる事がある。

多くの人は、何かを取得しようと必死に追い求めるが、
まずは、自分自身の体に求め澄みついた、あるいは溜め込んだ不必要なものを掃き出して、心の中を風通しを良くする必要があると思っている。


そのアプローチがリラックスであり、感情の解放だと思う。


(最近、考えついた事だが、オープン ハウスの日に、無料でリラックスを調べてあげようと。10分程度で済む。もし本人に問題があれば 、自分自身で緊張を手放す方法をガイドすることにする。但し、教師等、指導的立場にある人に限らせて貰おうと思っています。)


たとえ、どんなクラスや、訓練を受けようが、(訓練を受ける時は白紙で、無条件であるべき)終ってから 、教わった事が自分に役立つかどうか吟味すべきだ。

自分の真実に対する感覚を高めるためにも、必要不可欠なことだと思っている。


ストラスバーグは、スタニスラフスキーの提案した訓練課題を全てテストしてみて、自分にとって役にたつもののみをを選択したと言っていた。


僕自身もそうだ。

メソード アクティングと並行して、ストラスバーグが、否定していたマイケル・チェーホフの俳優の訓練方法を素晴らしいと共感して、自分なりに訓練に励んできた。

お陰で、俳優としての肉体と感情の結びつきにかけて、また、その表現力に於いて僕の右に出る人は居ないと確信している。

このレベルに達する事が出来たのは、二人の偉大な師の刺激を受けて、自分なりに研究した結果だと確信している。


以前の繰り返しになるが、今この書斎の窓から見える十数メートルに達し、毅然と立ってる木は、たった一粒の種から始まった。

一粒の種に大木に成長するための全てのエッセンスが組み込まれている。

必要とするのは、太陽や雨等の刺激だ。

一人一人の生徒が、
それぞれの真に望む方向に成長するための素質と機会は天から与えられている。

その気づきを与える役目を果たせれば、僕は、とても嬉しく、幸せである。

ZEN

2018年10月17日水曜日

俳優を志す人々へ ~表現力について~



ザ アクターズ・スタジオ正会員
 ゼン・ヒラノ

~表現力について~


心に何が起きたか、非常に表れやすい人がいる。

一番素晴らしいのは子供達だ。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、感じた事が、瞬時に表情に現れる。

(俳優訓練は子供になる訓練だともいわれる。)

リアリティー(実感していること)が、8あっても、3しか出せない俳優がいたとしたら、実感している事が5しかないのに、5出せるとしたら後者の俳優が評価される。


俳優は表現力を強化することを要求される。


多分一番分かりやすい例は、酔った人たちだ。

酔うと顔や身体の筋肉が緩む。いつものブレーキが働かず、考えたり、感じた事があるがままに表れやすい。

つまり、心身がリラックスし、いつものブレーキが効かなくなる。

1杯引っ掛けると必ず、いい演技をすると言われる。

しかし、問題は二週間目には2杯 飲まなければ効かなくなる。俳優にアル中の人が多い。


ある俳優は考えた事、感じた事が非常に表れやすい。

そして、それらの感情は眼に表れる。


歴史的に見て女性の方が多い。

アカデミー賞候補に上がる多くの女優たちは、この眼の表現力に恵まれている。

トップクラスの女性の映画を彼女達のまなざしを、眼の表現力を繰り返し見て欲しい。

三流の俳優達は、やたらに表情を大げさに造ったり、声を張り上げたりして表現しようとする、想像の世界で 真実の恋を経験していないし、観客に伝わらないのではないかと、大げさな振る舞いをする。

(眼は魂の窓だといわれる。)

深い感情は眼に表れるが、それを 、邪魔しているのは、社会で本当に感じた事を表さないようにする習慣にある。


俳優として訓練することは、胸の想いが、何処にも邪魔されないで眼に流れ込むようにすることだ。

身体のあらゆる部分をリラックスさせる。

肩、胸 、首、顎、腰(強い感情は腰で止める事が多い)等々。


トップクラスの俳優達は、リラックスがいい。

リラックスがいい人は集中力がいい。

我々はこれらの俳優達に追いつくために、リラックスを集中力そのものを訓練をする。


才能があっても努力が無ければものにならないし、
努力があっても才能がなければものにならないといわれる。


僕自身の考えは 、たとえ才能が見つからなくとも 、一つのものを求めての並々ならぬ投げかけての努力は 、例え貴方が、俳優にならなくとも、この人生を堂々と生きていく力を身につけると確信している。


ZEN

俳優を志す人々へ


ザ アクターズ・スタジオ正会員 
ゼン・ヒラノ


どんな分野でも、トップを目指すには、才能と努力がいる。

才能があっても努力がなければ、役に立たないし、
努力があっても才能がなければ役に立たない。

では、俳優の才能とはなんだろう?  

それは想像力だ。

想像されたものを信ずる能力だ。

相手役を恋人だと信じて胸がときめく。
全てを失って生活に追い込められ絶望し、自殺をこころみる等々。

この想像の世界に完全に入り込んでも百分の一の意識があれば舞台から落っこたり、病院に行くことはないと言われる。


Acting is believing と言われる。
信じれば見えてくる。

神様にどうか信じられるようになりますとお願いしてもなかなか叶えられない。

天は自らを助けるものを助けると言われるから。


観客が一杯の客席を前にして、森の奥深く煌々とした月の光を浴びて、この世を去った愛する人に想いを馳せることができるだろうか?


信じやすい人がいる。

信じた事が非常に表れやすい人がいる。

人々はそれを才能と言う。


才能は何処からやって来るのだろう。

天からやって来る。

しかし、才能があっても努力がなければ使いものにならない。


観客を感動される演技は何処からくるのだろう。


これは僕個人の考えだが、生徒を見ていると、
多くの場合、本人は意識していないが、
多くの場合、幼少期に受けた苦しい想いを、手放したい、失われた愛を取り戻し表現したい等の欲求から来るのだと確信させられる。

そして、その想いが、
苦しみから解放されたい、本来の自分を表現したい、
俳優になりたいとゆう要求に繋がるのだと思う。

(感情の解放の訓練によって実感させられる。)


俳優は認識と共に成長すると言われる。

役の感情はどこからやって来るのかと云う認識だ。

個々の俳優自身が、自分自身の胸の奥に秘められた深い想いを、そして、自分自身の抑圧された感情の解放のために、それを使って、役の感情を表現し、観客の深い感動を呼び起こすために、解放すべきだと思っているのだと。


演技は感情の世界だと言われる。

まずは秘められた個々の抑圧された感情を解放し、自分自身の目の前に置いてみよう。

(役の感情など何処にも落ちていない。自分の感情を使うしか方法は見つからない。要するに役が要求する感情は、あなたのからだの何処かに潜んでいる。記憶された感情を使うしかない。)

正しい俳優訓練は、自分自身の理解で有り、人間理解であると思っている。


ZEN


2018年10月9日火曜日

河口湖の短期合宿クラス ~真実に対する感覚~



ザ ニューヨーク・アクターズスタジオ
正会員
ゼン・ヒラノ

俳優は嘘をつく。

愛してもいないのに愛していると言い、困ってもいないのに困った振りをし、痛くもないのに、痛そうな表情を見せる。

(勿論トップクラスの俳優がそんな事をしたら、アカデミー賞の候補に上がらない。)

他の芸術分野、スポーツ分野では嘘はつけない。

ダンサーが転べば、転ばない振りをする事は出来ないし、音楽家が音を外せば、誰でも気がつく。

(以前、ニューヨークのメトロポリタンオペラハウスで、七、八十人のオーケストラで、たった一人が一瞬、検討違いの音を出し、観客全員がどよめいた経験がある)

又、スポーツ選手がビリでゴールを切って、勝利宣言をするワケにはいかない。


俳優の成長を蝕んでいるのは、この嘘をついてゴマカシが通る事だと思う。

俳優にとって大切な課題は、嘘をつかないこと、この「真実に対する感覚」を育てることと言われる。


トップクラスの俳優が、撮影現場で全員が拍手しているのに、もう一度やらせてくれと要求することがある。

自分の真実に対する感覚が許さないのだ。

俳優が、OKが出た、拍手がもらえたで満足していては、俳優の成長は望めない。

俳優の成長に必要な事は、自分はどう思うか?自分にとって何が正しいか?

この「真実に対する感覚」を人知れず育てていく事だ。


俳優の仕事は信じる事だ。

演技とは信じる事。

信じられれば生きられる。子供を見ればいい。

泣いたり、笑ったり怒ったり感じた事を瞬時に表す
(俳優訓練は子供になる訓練だとも言われる。)

ある俳優は、想像力が優れていて、相手役は恋人ですよ!と言われると胸がドキドキする。

その気になって恋を体験する。

演技は信じること、信じたものを繰り返す能力を要求される。

毎回、カメラの前で、又は、舞台に上がって俳優は要求された感情を繰り返すことを要求される。

プロは要求された感情を現場で、10回に9回繰り返すことを要求される。


これらの問題の解決に向かったのが、スタニスラフスキーでありストラスバーグの努力である。

個々の俳優が秘められた恋、嫉妬心、怒り、挫折感、孤独感等々自分の心の奥に秘んでいる感情を露わにして、役の人生の喜怒哀楽の生き様を、自分個人の体験を通して観客に伝える。

それは、俳優自身の心の秘密を役を通して観客に伝えるのが俳優の仕事だと確信している。

(役の嫉妬心など何処にも落ちていない。自分の嫉妬心を役のために使う以外に方法はない。)

これらの問題を解決する、具体的な訓練として、
「リラックスと注意の集中、感情の解放訓練、五感の記憶の訓練、感情の記憶の再現」だと確信している。



ZEN 

2018年10月6日土曜日

河口湖の一泊合宿演技クラス



ザ・アクターズ・スタジオ 正会員 ゼン・ヒラノ

スターとは?
誰しも、青春の多感な時期には、
人の注目を集めたい、
他人に尊敬される様になりたい、
有名になりたい、
スターになりたいと渇望する時期があると思う。


音楽の世界では、
例外を除いて6,7歳までに世界のトップで、活躍出来るかとうか決まってしまう。

天から与えられた才能は明らかで、天才ピアニストと言われている辻井君をみれば分かる。

一度聞いた曲は全て記憶してしまう。

そして、自分の求める音を追いかけての努力が異常だ。

(異常な努力を出来る人を天才だとも言われる)


スポーツの世界でも大谷翔平選手をみればわかる。

日本人だと思え無い背丈と体格を持ち、
100年に一人、ベーブルースの後継者と言われる、彼の野球に対する情熱、努力が胸を打つ。

この様に他の分野では、初めからスターの存在は明らかだが、俳優の場合、舞台で観客の前に立って、ライトを浴びないと分からないと言われる。


よく、若い俳優たちは、スターになりたいと渇望するが、本人が出て来ただけで、人々を魅了してしまうスターの特質は、スタニスラフスキーは天からの贈り物だと言っている。

人は、スターに成ることはできない。

それは、天が、そして観客が決める事だと思う。

(マーロン ブランドは、演技力とスター性を兼ね備えた珍しい例だと言われる。)

でも、スターに成らなくても、想像の世界に入り込み、台本に書かれた役の人生を自分に起きたことの様に体験し、表現し、観客に感動を与えることは出来る。


僕は、誰かをスターにしようと思って生徒を訓練したことは一度もない。

俳優の喜びを、役に生きる喜びを、人々を感動させる喜びを体験して欲しいと願って訓練している。

(勿論、生徒の誰かがスターになって3億円ほど寄付してくれると嬉しいのだが。)


俳優訓練は人間訓練だと言われる。

人生でつけた心の汚れを吐き出し(感情の解放訓練を通して)、真の自分らしさを取り戻す。

そして役の生きざまを理解し、同調し、その役の眼でこの世界を見、考え、行動に移せる様にする。


俳優訓練によって人間を深く理解する様に成る。

我々は、自分の眼でこの世の中を見ているが、俳優は役の眼を通して世界を観、理解し行動に移す事を要求される。


僕の深く尊敬する演出家 エリア ・カザンは、
「演技とは人間理解だ。」
と言っている。


ZEN
 

2018年10月5日金曜日

フィーリング・リベレーション 感情の開放の実際

 
 
ザ・アクターズ スタジオ正会員  ゼン ・ヒラノ
 

勿論俳優を含めて、多くの人が、
否定的な感情(怒り、憎しみ、嫉妬心、劣等感、羨望、挫折感、羞恥心、猜疑心、不安)等々の感情に悩まされ、
自分を責めたり、他人を恨んだりして、日々の貴重な時間を誰のプラスにもならない重荷を背負って人生を歩み続けているように思われます。

(俳優はこれらの感情を表現することを要求される。)
 
重荷とは、あるがままの自分では愛されないのではないかというという不安です。
 
あるがままの自分らしさで生きていければいい。

不必要にガードを固め鍵をいくつも付け始めるとますます不安になっていきます。

(この世で一番強い人は、無防備な人だと言われるから。)
 
誰もが、自分らしく生きたい!
警戒心からフリーでいたい!
不安でなく愛を持ってこの世を生きていきたい!と願います。

 
人間の行動の動機には、二つしか無いと言われます。

愛に基づくか、不安に基づくかのどちらかだと。

どうして、多くの我々は、愛に基づいて生きていけないのでしょう。
 
それは、幼少期に、主に親から、こうしなさい、ああしなさいと言いつけられ、それに従います。

幼い子供にとって、親の愛を失うことは死に値するからです。

(元生徒のレポートに、彼の体験を通して、子供がいじめで、自殺することは、絶対にあり得ないと言っています。それは親の愛を失なったからだと。次の機会に彼のコメントを発表したいと思っています。)
 
多くの場合、この幼少期に受けた心の傷は、体や心の何処かに住み着いて、其の人の思考、態度、行動に否定的な影響を与え続け、自分らしく生きることを妨げます。

(俳優の創造活動は人生で受けた傷から深みを増すと言われる。)
 
この与えられた人生を自分らしく生きるために、又、俳優が、どんな感情も自由に表現し得る為にフィーリングリベレイション(感情の解放)を、俳優訓練の一部門として、ここ河口湖のスタジオで実施しています。
 
この訓練は意外と簡単ですが、二つの条件を必要とします。

 
一つは、場所。
どんなに大きな声を出そうが、動き回って物音を立てようが、安心して出来る場所。

二つ目は、本人の気づかないうちに本人の押さえ込んだ感情を誘発し、大声を出して外に吐き出させるようにガイドし得る事です。

より身体を緩め、ずらし、広げ、転げ回って永年押さえ込んだ思いを叫び声とともに喚き散らします。

 
このように書くと、大変な修羅場の様な印象を受けると思いますが、本人は泣いたり、笑ったり、怒ったりしたりして、開放感を味わって大喜び。

こちらがストップをかけるまで止めようとする人は一人もいません。
 
最後に、「ああ、面白かった、楽しかった」と叫んで終ることにしています。

忽然と生き生きさ、やさしさ、美しさ等、その人本来の姿が現れます。

その人達を見て、僕は、いつも感動を覚えます。

 
俳優にとって必要不可欠なことは、
フィーリングリベレーションを通して体験したような、自分自身の深い感情を、与えられた役を通して表現出来る能力を獲得することです。

メソード アクティングが『体験の芸術』と言われる所以です。

 
ZEN