≪抑圧された感情について≫
~続編~
ゼン・ヒラノ
ゼン・ヒラノ
ここ河口湖でクラスをスタートさせようと思っている。
ここ河口湖スタジオでは、ザ・アクターズ スタジオの精神を引き継いで(宗教、政治、男女差別、年功、ゴシップ等一切を排除)、個々の人間的成長を目指してクラスを開く。
訓練によって、各自が抑圧された感情からフリーになり、
あるがままの自分、本来の自分を表すことによって、
真の人間関係が生まれ、大きな喜びを体験する事が出来る。
あるがままの自分、本来の自分を表すことによって、
真の人間関係が生まれ、大きな喜びを体験する事が出来る。
クラスの終わりに、よく、みんなが、泣いたり、笑ったり、自然発生的に、抱きあったりする。
感情の解放の具体的なアプローチは、井戸にたまった濁り水を掻き出すと、透きとおった新鮮な水が湧き出してくる。
濁った水とは、幼少期から溜め込んだ感情、[怒ってはいけない、泣いてはいけない、不安を見せてはいけない等々]、と云われて押さえ込んだ抑圧された感情だ。
濁った水とは、幼少期から溜め込んだ感情、[怒ってはいけない、泣いてはいけない、不安を見せてはいけない等々]、と云われて押さえ込んだ抑圧された感情だ。
怒りや、悲しみの感情を持つこと自体は問題がない。
問題は、それらの感情を押さえ込んで、自分の体の中に溜めてしまうことだ。
それを感情の抑圧と言う。
感情を抑圧することは、人間の精神にも、肉体にも大きなダメージを与える。
では、その感情をどこで、いかに、押さえ込んでいるか。
それは、筋肉や骨や、体のあらゆる部分で。
特に腰は重要な感情を抑え込むと云われる。
目の前で、肉親を失うなど、悲劇に直面した時に腰を抜かし錯乱状態になる。
泣きたい時、歯を食いしばったり、怒りを首を固めたりして抑え込む。
つまりブレーキをかける。
否定的な感情を持つこと自体は問題ない。
感情の無い世界など誰も住みたく無い。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜怒哀楽が人生をカラフルにする。
問題は、感情を押さえ込んでしまうことだ。
多くの人達は、日々の生活で、「気を付けろ、気を付けろ」と、ブレーキをかける。
其れを不安と呼ぶ。
ブレーキばかり踏んでいたら、どこにも行き着かない。
たまには、ブレーキを放し未知の世界に突っ走ってみよう。
たまには、ブレーキを放し未知の世界に突っ走ってみよう。
それが、感情の解放だ。
体の中にあって、感情を押しとどめているブレーキを外していく作業。
それが、感情の解放だ。
(ブレーキを外したからといて、相手を罵倒し、殴り倒すことは、起こらない。ブレーキをかける練習は、一生やってきたからだ。かけたい時には、いつでもかけられる。)
それが、感情の解放だ。
(ブレーキを外したからといて、相手を罵倒し、殴り倒すことは、起こらない。ブレーキをかける練習は、一生やってきたからだ。かけたい時には、いつでもかけられる。)
感情の解放の具体的なアプローチは、自分自身の体の緊張した部分を見つけ緩めていく事だ。
僕の仕事は、本人に自分の身体のどの部分が緊張しているかの気づきを与え、自分自身で緊張をとる能力を身につける手助けをすることだ。
その時、大切なことは、何か(悲しみ、怒り、嫉妬心等)を感じたら、その感情を声に乗せて外の世界に解き放つことだ。
実際に、スタジオという、安心して感情を解放出来る、守られた場所で、僕のガイドに従って、体を緩めたり、ずらしたり、広げたりさせながら、感情の解放に導くのだが、と言っても、一人一人、問題点が違うので、具体的に、この場で説明するのは難しい。
ZEN
注) 押し入れに入り、布団を被り、または車での走行中、それか富士山のてっぺんで「ぶっ殺してやる。バカにするな!」と気がすむまで何回も叫んでみたり、「悲しいよー、みんないなくなちゃたー!」と気の済むまでおいおい
と泣いたらいい。
感情は外に出たがっている。
大切なことは、終わったら、感情を引きずらないで、
と泣いたらいい。
感情は外に出たがっている。
大切なことは、終わったら、感情を引きずらないで、
「ああ、清々した。楽しかった。」
と大声で叫んで明るく幕を閉じる。
(感情の解放の重要性については、神との対話、第3冊の第1章に書かれています。)