これまでの40年間の長きにわたり、無遅刻、無欠席、無我夢中で、人々を指導してきた。
仕事を離れた今、ふと立ち止まり、時々、
僕は一体全体何をやってきたのだろう?
本当に人々の役に立ったのだろうか?
みんなの人生の大切な日々を僕の独断と偏見で無意味なものにしてしまったのではなかったかと、自分を攻める時がある。
僕は一体全体何をやってきたのだろう?
本当に人々の役に立ったのだろうか?
みんなの人生の大切な日々を僕の独断と偏見で無意味なものにしてしまったのではなかったかと、自分を攻める時がある。
『神との対話』に、
「全ての出来事は、自他共に、何かを学ぶために、成長の為に、用意される。」
と書いてある。
「全ての出来事は、自他共に、何かを学ぶために、成長の為に、用意される。」
と書いてある。
考えてみれば、人間という聖なる存在を傷つけることが出来ると考えることこそ、おこがましいと思った。
ふと、思い付いて、昔のアルバムを紐解いてみた。
どの写真も、生徒たちの喜び溢れた笑顔で埋め尽くされていた。
あの当時、遅刻、ゴシップ禁止、みんなで一丸となって訓練に没頭したあの青春時代。
一人一人の胸の奥深く、一粒の種を蒔いたのかもしれないと思った。
一人一人の胸の奥深く、一粒の種を蒔いたのかもしれないと思った。
是非、花を咲かせて欲しい。
又、当時を思い出す一つの出来事があった。
以前、巣鴨の駅の近くにあった4階建てのビル。その最上階を借りてクラスを開いていた。
或る日の事、表玄関に鍵が掛が掛かっていて、入れない。裏に回ってみたが、鉄のシャッターが降りていた。困った。
今日はクラスが開けないと思ったその途端、スタッフの一人、Yが何も言わずに、近くに駐車してあったバンの屋根に飛び乗り、そこから電柱に飛び移って4階の高さまでよじ登り、窓を開け入り込み、1階のシャッターを開けた。あっという間の危険極まりない出来事だった。(本人も後になって脚が震えたと言っていた。)
或る日の事、表玄関に鍵が掛が掛かっていて、入れない。裏に回ってみたが、鉄のシャッターが降りていた。困った。
今日はクラスが開けないと思ったその途端、スタッフの一人、Yが何も言わずに、近くに駐車してあったバンの屋根に飛び乗り、そこから電柱に飛び移って4階の高さまでよじ登り、窓を開け入り込み、1階のシャッターを開けた。あっという間の危険極まりない出来事だった。(本人も後になって脚が震えたと言っていた。)
生徒たちのクラスに対する、ひた向きな情熱が、熱く伝わってきた。
みんなの青春だった。
今、思い出しても熱いものが込み上げてくる。
ここ何年か、生徒を一切とらないで、妻、ミユキと静かに暮らしている。
僕の、残された人生で、何か人の役に立てないか、自分の知識、経験、信条を通して貢献できないかと考えている。
先日、ここ、河口湖スタジオの卒業生が、久し振りに4人ほどやって来た。
その内二人はここで知り合って結婚し、嬉しげに子どもを抱え、又、一人は女性で、武術を教えているとの事、はしゃいでいた。もう一人は、スッカリと大人になり、ハンサムでとても魅力的、美しい微笑みを絶やさず静かに立っていた。
考えてみれば、そのうち二人は、10年ほど、そして、一人は5年ここ河口湖のスタジオで、僕やミユキと寝食を共にし、毎朝、5時に起き稽古に励んできた連中だ。
この人たちこそ、次の世代のリーダーシップを担う人々だ。
ガンバってもらおう。
彼らに会った後ふと、気が付いて教師としての認定書を出すことにした。
「とても、嬉しいです。 来週、伺います。よろしくお願いします。」
とのメールが届いた。
とのメールが届いた。
僕の残された人生でなにをやるべきかを考えていた矢先、『神との対話』の一節が目にとまった。
「人々に、その人自身を取り戻してやること、それを、あなたの務めに、最大の喜びにしなさい。」
と。
と。
僕が 、ザ ・アクターズ スタジオの恩師リー・ ストラスバーグから学んだ事の一つは、
俳優を人間にすること、
あるがままの自分にすることだ。
あるがままの自分にすることだ。
あるがままの自分でいる事は、
一般の全ての人の要求だ。
一般の全ての人の要求だ。
それには、
自分が感じたことをあるがまま、
感じるがままに表す事が出来るようにする事だ。
自分が感じたことをあるがまま、
感じるがままに表す事が出来るようにする事だ。
(そのための、具体的なアプローチについては 、次回につづく。)
ZEN