~微笑みについて~
―第2話―
我々は、この身体を、感情を表す楽器だと見なしている。
例えば、ピアノ等、音楽の楽器は、調律師によって完璧に調律されている。
ピアノは演奏者のエネルギー、
タッチに従って正確に表現される。
一方、 人間の身体という楽器は生きていて、演奏者に反抗する。
嘘をつく。
好きだという鍵盤を押しても、
無関心を装ったり、
嫌いなのに好きだと
言ったりする。
ピアノは演奏者の体の外にあり 、なんの感情も持たず、ピアニストの意思を忠実に反映する。
人間という楽器は、
長い間の社会生活で植え付けられた損得感情、偏見、思い込みが、邪魔して、あるがまま 、感じるがままの自分を表現出来ない。
「失敗するな 」
「気をつけろ」
とブレーキをかける。
人間の感情にブレーキをかけるのは、緊張だ。
筋肉を緊張させて感情を押さえる。
泣きたいのを我慢して奥歯を噛み締める。
腰で耐えていた感情が、重大な局面を迎えると(愛する人の死とか)、崩れて錯乱状態となる。
あなたの肯定的な感情、愛を伝えたっかたら、足をブレーキからアクセルに踏み換えるべきだ。
オープンしたら否定的な感情を止められなくなると心配するかも知れないが、不要。
感情にブレーキを掛けるのは、
やってきたので、
かけたい時はいつでもかけられる。
愛を、そして自分らしさを表現したかったら 、それを邪魔している体の緊張をとる事だ。
自分の身体の緊張している部分を見つけ、緩まるように動かして、緩んだかどうかチェックして、胸からヴァイブレーションを入れて声を出し、感情をあるがままに、感じるがままに表現されるように訓練する。(具体的な訓練を文章にするのは至難の技)
神との対話指示に従えば、
こんなリラックスなんか必要が無いかとも思えて来る。
神の聖なるメッセージ
「あなたははっきりと目覚める。
微笑みがそこへ連れていってくれる。
シンプルな微笑みだ。
一瞬、すべてを止めて、
ただ、微笑む。
何かに向かって微笑むのではない。
ただ、良い気分だから微笑む。
心が秘密を知っているから微笑む。
魂が秘密を知っているから微笑む。
そのために微笑む。
たくさん微笑む。
その微笑みが、どんな痛みも癒してくれる。
あなたは、方法を教えてくれと言う。
まず、呼吸をしなさい。
長く、深く呼吸をしなさい。
生命という無を、満ち溢れるエネルギーを、満ち溢れる愛を 静かに呼吸しなさい。
あなたが、呼吸しているのは、神の愛だ。
深く呼吸しなさい。
そうすれば感じられる。
深く、深く呼吸しなさい。
そうすれば、泣きたくなる程の愛が溢れ出す。
嬉しくて、泣きたくなる。
神に出会うから…。」
と書かれている。
(第3冊 p、202 )
ZEN
メッセージに全身全霊で耳を傾ければ、聖なる領域に足を踏み入れる事になる。