まず、僕自身バツグンに記憶力が悪いので、記憶に頼ることを諦めた。
それに引き換え、スタニス・ラフスキーや恩師ストラスバーグの記憶力は驚異的である。
ストラスバーグとロスアンジェルスの古いレコード(78回転)を棚や床に無差別に置かれた店で一緒に買っていた時に 、一人の高齢の男性が入って来て、これこれのレコード探しているのだがと尋ねていた。
店主は、「それは分からないね」と首を横に振った。
すると棚にかけられたハシゴの上からストラスバーグは、指差して
「あの棚の何段目の真ん中あたりにあるよ。」
と。
「あの棚の何段目の真ん中あたりにあるよ。」
と。
驚いた。
またある時、 ニューヨーク のビレッジにある古いレコード専門店で確か、数十枚のレコードを購入した。
多分、店員が入れ忘れたのだと思うが、数日後店に戻って、これこれのレコードが足りないと言って、十数枚のレコードのタイトルをすべて店員に伝えた。
驚いた!
いったい、この人の頭の構造はどうなっているのだろう?
十分の一でも授かりたいと思った。
又、レコードの話になるが、毎月、一回、車で一時間半ほどのロングアイランドにあるレコードディーラー の所に必ず僕を連れて出かけた。
ディーラーが送り迎えをしてくるのだが、その間二人でレコードの話で 持ちきり、レコードに記された番号まで言い合って、ただでさえ英語が不得意な僕にとってまったく、意味不明だった。
ディーラーの家に着くと、彼の奥さんがいつも、ランチを用意してくれた。
多分、それが僕の一番の楽しみだったかもしれない。
(最後に行った時に、ランチはなかった。奥さんは居なかった。交通事故で息子と共に他界したとの事)
彼は、何事も無かったように我々に伝えた。
我々を送り届けて、ひとり自分の家に帰ってきた彼の姿を想像すると、今でも涙が込み上げてくる。
ストラスバーグは、全米で五本の指に入るレコード蒐集家で全て78回転のレコードのみだ。
その理由はたぶん現代は偉大な音楽家は存在しないからだと思う。
僕も蓄音機でカルーソー(110年前の録音)を聴くが、二度とこのような偉大な歌手は、存在するはずがないと思う。
偉大なものは自然現象と同じく沈黙を強いる。
拍手をするなど毛頭思えない。
カルーソーのみならず、ハイへッツ、カザルス、シャリアピン、トスカニーニ、数え上げたらきりがない。
昔は海外演奏と言ったら何週間も船に乗り、波に揺られ太陽の浮き沈み、満天の星を目の当たりにし、人生は50年と言われた時代。
今、生きているという生命の尊さを実感したのだと思う。
生命の尊さ、神に対する畏敬の念と感謝、そこから偉大な芸術が生まれる。
現代には、沈黙を強いるような偉大な芸術は、いっさい存在しない。
演奏旅行といえば、一晩飛行機に乗って莫大な金銭を手にする時代に偉大なアートが生まれるはずがない。
又、俳優にしても、昔は毎晩舞台に立たなければ、お金は貰えない。
今は、一本映画に出演すれば何億というお金が入る。
名優が生まれるはずがない。
もし、現代で偉大なものを後世に残したかったら戦争をやめることだ。
それに引き換え各国は、自分の国の新兵器の開発に血眼になっている。
戦争を止めるには、どうしたらいいかを彼らから一言も聴いたことがない。
ZEN