~第3話~
最近は、若い人は、ジーパンで気軽に海外に出かけるが、当時(半世紀程前)は外国に出かけるなどは、大変な事だった。
義理の兄貴達が羽田空港に駆けつけて、「平野頑張れ!」のノボリを立てて見送ってくれた。
一生の別れだと思って涙が止まらなかった。
飛行機の中でも泣き通しだった。
ハワイのホテルについて見たこともない広い部屋に通され、大きな鏡に向かってオイオイ泣いた。
泣きながら自分の顔の表情をチェックしていた覚えがある。
俳優になりたかったのかもしれない。
当時、日大の演劇科に所属していて、授業料の仕送りも、友達が困っていたので、貸してあげたんだが、戻ってこなかった。
何かのキッカケで舞踏家、元藤あきこ、の指導のもと、7人程のダンサーが集まって、ジョイントリサイタルをやる事になった。
僕にとっては初めての舞台だったが、かなりの知名度のあるダンサーたちの集まりで、目黒公会堂だったと思うが、超満員の盛況だった。
期待に反してぼくの作品がセンセーショナルな評判をとった。
元藤あきこに
「ゼンさん、あと2回公演をやれば、日本で有名な舞踏家になるよ。」
と言われた。
「ゼンさん、あと2回公演をやれば、日本で有名な舞踏家になるよ。」
と言われた。
僕は、静岡生まれで、富士山の頂き、海あり、温泉あり、風光明媚、気候温暖、優しい人々に囲まれて育った。
歴史上有名人は誰一人この地から出ていない。
東京でチケットを売ったり、又、人間関係の煩わしさから離れたかったのだと思う。
何となく
「アメリカに行こうかな?」
と言ったら周りから、いついくんだと言われて不本意ながら、飛行機に乗る事になった。
「アメリカに行こうかな?」
と言ったら周りから、いついくんだと言われて不本意ながら、飛行機に乗る事になった。
ケネディー空港に着いて、ニューヨークに向かうバスの中、近くに座っていた美しい女性に今晩どこに泊まっていいか分からなくて困っている、と言ったら彼女のボーイフレンドが、ターミナルに迎えに来るので探してあげると言われた。
結局、YMCAに連れて行かれた。
当時、SEXに関する知識は全く無知で、YMCAは有名な同性愛者の巣だということを知らなかった。
8階か9階の今まで泊まった事のない小ちゃな部屋に放り込まれ、ベットと机とその上に聖書が1冊置かれてあるだけ。
シャワーに行くと、5、6人の屈強な男達が、僕を睨みつけている。
又、長い廊下を通って自分の部屋に戻ろうとすると、各部屋の扉が開いていて、素っ裸で僕をにらみつけている。
戦争が終わってまだ、間もない時期だったので、日本人に敵意を持っていて殺されると思った。
当時、ぼくは、ハンサムでダンスで鍛えた美しい身体をしていたので彼らにとって大変魅力的に見えたのだとだと思う。
とても孤独で寂しくて、日本語を話したくて必死になって日本人を探したが誰一人見つからなかった。
なんとか誰かと話したくて、YMCAの隣が駐車場、そこに、おじさんが居たが、声を掛ける勇気がなくて、その前を行ったり来たりした。
思い切って勇気を振り絞り、話仕掛けたら、
「Wihat do you want!」
とすごい剣幕で怒鳴られた。
「Wihat do you want!」
とすごい剣幕で怒鳴られた。
僕が、あまり青い顔をして、眼が血走って居たので危険を感じたのだろう。
しかし、たどたどしい英語で、寂しくて誰かと話しをしたかったと伝えたら、その晩、僕を自宅に読んでくれて、ごはんを食べさせてくれた。
ZEN