2018年9月15日土曜日

『神との対話』に魅せられて



本『神と一つになること』の51ページに
「痛みは一つの経験だ。苦しみは、その経験についての判断である。」
と書かれてある。

この言葉に僕は、強く魅了された。

一般に、痛い経験をすると、苦しむ。

然し、痛い経験にあっても苦しまなくて良いのかもしれない。

我々凡人は、痛い目イコール苦しみと解釈する。



最近、姉が他界した。どうゆう訳か悲しいと思わなかった。

大きな事業をやっていたが、倒産し、とても苦しんでいた。

90歳を過ぎての戦いに終止符を打った。

姉は苦しみから解放されたのだとホッとした気持ちもあった。

(兄弟の中で人一倍深い関係にあったので、ある日突然、衝撃を受けて泣き出すかも知れない)

姉の夫、僕の大好きな兄さんは、二週間後、姉の後を追って病院で他界した。

二人は、とても仲が良かったので、天国で幸せな日々を過ごしているのだろうと思っている。

今回の姉の死と云う経験に苦しみを感じなかった。
今、友達や、生徒に手伝って貰って庭に小屋を建てている。

天使達の集う場所にした。

お婆ちゃん、母親、父親、姉夫婦、弟、友人達、そしてストラス バーグもやって来る。


『神との対話』に死は素晴らしい変革の経験だと書かれてある。

上記にあるように死を苦しみと解釈しなくても良いのかも知れない。


僕に、強く印象に残る死の場面の思い出がある。

アクターズスタジオの演技の場面で、一人の俳優が、死を演じて、 ものすごく明るく満面笑みを浮かべながらゆっくりと幸せそうに死んでいった。

その場面が強く印象に残っている。

『神との対話』に書かれているように、死は幸せな時になるよう願っている。

 死を天から与えられた、幸せのイベントと感じられれば、生きることも恐れなくなると『神との対話』に書かれてある。


『前世を記憶する20人の子供』イアン・スティーヴンソンの書いた本がある。

人間は生まれ変わると云う話をとても否定出来ないと思わされる。


死とは?
死後の世界とは?
生まれかわりとは?
等々驚くべきことの数々が、『神との対話』の
最終本『神へ帰る』に詳しく描かれている。

興味のある人は是非一度この本を手に取ってほしいと願っている。

ZEN

2018年9月13日木曜日

感情の解放 レポート



感情の解放
真の自分に出会う

抑圧された感情を全て吐き出し、自分自身を取り戻そう。
以前、十数年にわたって10数人が寝食を共にし、合宿クラスを開いた事がある。
全員、全力投球だった。毎朝、5時に起き2時間の訓練、アルバイトに駆けつけて夜の7時からの訓練に一丸となって励んだ事を記憶している。ここで、学んだ事がそれぞれの人生に役立っている事を心から願っている。
今回のレポートは、本来の自分自身を取り戻す、一生徒の自己変革への壮絶な闘いの記録である。

◆◆◆◆◆

2008年9月2日フィーリングリベレーションを受けて

①何を思い出して何を叫んだか
今日の朝、僕はゼン先生に「いつも、まとまりすぎている。まとめてしまう。」という問題点を指摘された。僕は、バイト中も、そのことをずっと考えていた。「どうにかしないといけない」と強く思った。この問題点を突き抜けないといけないと思った。帰宅後、スタジオに向かった。殻をやぶりたいと思った。体を力強く動かし続け、衝動が来たら、雄たけびをあげた。そして、ストップしないよういした。少しでも何か起これば、突き抜けるために、また体を動かし、声を上げた。そうすると、中から溢れんばかりのエネルギーが来た。自分の持っている真のパワーだと思えた。嬉しかった。みなぎるエネルギーと力強さが全身に流れていた。自分が、普段、いかにまとまっていたのかを知った。

そのあと、10分前にゼン先生に挨拶に行った。そのとき、ゼン先生に、今日の指摘についての大切さを僕は説かれた。挨拶のあと、もう、やるしかないと思えた。いま、解決するしかないと思えた。フィーリング・リベレーションのブレーキングにおいて、突き抜けるために、全エネルギーを賭けようと決意した。それを心に秘めてスタジオで、セッションを待った。

そして、フィーリング・リベレーションの時間が来た。フィーリング・フィベレーション宣言をしたとき、先にスタジオで自主練習したことが影響し、また何かと突き抜けたい思いが重なり、宣言の声や手の上げ方からして、違っているのが解った。そして
宣言の後タタタンPGをしたとき、腕全体で、空気を切ったかのような感触が起こり、ポーズを決めた。

お手手つないでに移った。身振りもいつもの調子ではなく、パターンにならないように必死だった。OPEN YOUR BODYも、体をバラバラに打ち砕くかのごとく、全身を激しく動かした。「子供になる」というセッションの本質から多少ズレてでも、今日はブレーキングにおいて、いつもの調子から突き抜けることを優先して、行った。
そうして行くうちに、子供の僕は、お腹の痛みを抱えていることに向き合いだした。「母ちゃん、母ちゃん、お腹痛いよ!!」「優しくしてよ!!」「なんで、変わったんや!!」など叫び続けた。今日は、ブレーキングが来なくても、常に体を崩し続けた。それも、いつもの調子ではなく、一歩でも先に突き抜けたいがために行った。途中のブレーキングの連続において、少しでも何か衝動が来たら、残さず、外に吐き続けようと、必死にやった。ゼン先生に、ブレーキングの指示が来たら、間髪入れずに、すぐに全力でやっていた。今日の僕は、ブレーキングを求めていた。
特に、貝殻おこし、焼けトタン、クレージーダンス、「水に溺れる」が強烈だった。抑圧された感情によって起きる衝動に、子供の僕は振り回されているかのようだった。セッション中において、起きた衝動は、全て抑圧された感情によって起きたものだった。その苦しい衝動に、体を振り回され痛みを味わった。子供の僕が抱えた苦しみや痛みの大きさを体をバラバラにしていくうちに、浮き彫りになった。
そして、こうしてやっていくうちに、胃の底に、ずっと溜まっていた抑圧された感情を嗚咽とともに、今日吐いた。余ることなく、全部吐いた。一滴残さず吐いた。突き抜けたい意志が、後押ししてくれた。
「怒り」が来た。母を思いっきりぶん殴り、そのあと床に転がっても、蹴り上げた。オオカミで母を噛み切り、ぶん回した。無我夢中だった。「哀しみ」に移ったとき、体が硬直してしまうくらいの哀しみが来た。「愛に対する要求」において、母に抱きついた。湧き上がる感情の渦の中で、必死に抱きついていた。いま思い返せば、意識があるのか無いのか解らない状態だったように思う。母の愛情を欲しいという思いしかなかったかもしれない。
ゼン先生の指示が聞こえ、はりつけと遠吠えで全部吐くことに必死だった。いつもなら、もうこれで良いとしてしまうところの、さらにその先に行くべく、声とともに、残っている感情を口から吐き出すことに邁進した。
波動とP.Gにおいても、ふと、こぼれてきた涙を拭い去るように、120%以上投げ込み、やれた。そして、エンジェルダンスをし、セッションを終えた。

(セッション後)
最後のゼン先生の話を聞いているとき、涙が目に浮かんだ。でも悲しいからではなく、嬉し涙であった。同時に、今日こうして全力でやったことで持てた自分への自身からくる力強さが来た。こうして、自分は今立っている。湧き上がるエネルギーがフツフツ起きる。これが自分だと確信しながらゼン先生の話を聞いていた。ゼン先生が組んだカリキュラムの意味。フィーリング・リベレーションに対するゼン先生の思い。そして、メンバーの人生を大切にしたい思い。僕は、ゼン先生の話を聴きながら、頭ではなく、胸で全てを受け取った。自分が、今日全てを投げ込んだから、ゼン先生の話を胸で受け取れたのだと思える。言葉ではなく、心でゼン先生に感謝した。

②今週のフィーリング・リベレーションに望んで、どんな用意をしたか?
課題・・・①で書いたように、ブレーキングにおいて突き抜ける課題を心に秘めて、セッションを待った。
結果・・・ブレーキングに全てを賭けた。すると、何か表面がはがされ、隠れていた抑圧された感情が浮かび上がってきているような感じになって、そのとき吐き気がして、一気に吐くことができた。
③今週の課題と、その結果について
課題・・・ブレーキングにおいて、突き抜けること。
結果・・・今日この課題に投げ込んだことは、フィーリング・リベレーションだけでなく、自分のこれからに通じるものだ。一度だけに終わらないようにしにといけない。一度だけで終わってしまうと、また元に戻る。
④小さいときの深い傷口に触れることを妨げているのは何か?
あと一歩突き抜けられないで、停滞しようとすること。
⑤それに対しての具体的な言動
その瞬間に全てを投げ込む。そして、突き抜ける。
⑥自分の洞察
まとまってしまって、突き抜けることをしないから、不安が訪れて、自信が無い。それを続けながら、どれだけ演技の訓練を続けて技量を高めても、いつまでも「まだだ、まだだ。」と僕は、やるだろう。今日、ゼン先生に問題点を突きつけられ、最近ずっと続いていた悩みがどうしてそうなるのか、ということと、そして、現状を打破するヒントを僕は与えられたと思えた。
本当は、僕は弱くないんだ。荒々しいし、気性も激しい。人と足並みをそろえたくない。こじんまりした人間でなく、もっと激しくダイナミクでもあるはずだ。人に強制されたり、流れに乗ることを極端に嫌うのも、それだけ一個の人間でありたいと思うからだ。でも、実際には、逆のことをしている。まとまろうとして、湧き上がる衝動を吐こうとしない。まるで能力を出し切っていない気がする。だから、僕は苦しいのだと思う。もう、自分を生きていないのだ。今日のフィーリング・リベレーションとゼン先生からの指摘から、これから進むべき方向はハッキリとしたので、あとは、やるだけだと思えた。もう、やるしかないのだ。自分自身も最近危機感を感じていたので、やるしかない。突き抜けるしか、この現状を突破することが出来ないのだ。
⑦最近の自分の変化について気づいたことは何か
ここまで、レポートで文章を長々と書いたが、もはややるしかない。いまの自分は、本当にやるしかない。「最近の変化」とは、そこまで自分が来ているということだ。ゼン先生の言う通り、もうレポートを書くことによってのみ留まっていられない。そういう現状にあることをハッキリと認識しておきます。
⑧今回のセッションで感謝できたことは何か
今日の、ゼン先生の言葉を僕は先ほども書きましたが、胸で、しっかりと受け取りました。自分の人生が、このフィーリング・リベレーションで懸かっているわけだし、ゼン先生に言われたからするのではなく、自らで全力で立ち向かうしか、他にありません。責任を持って、来週も行います。来週もよろしくお願いします。人生を変えるべく立ち向かいます。ゼン先生、本日もフィーリング・リベレーションをいただきまして、ありがとうございました。
⑨フィーリングリベレーション宣言
「私が、いつも、まとまってしまって突き抜けられない理由がフィーリング・リベレーショで解りました。これは、抑圧された感情だ。かかずりあうなと、声をかけ一歩前に出ます。タタタン、タタタン、GOGOGO!!」


◆◆◆◆◆

注)(感情の解放の目的に就いて一言)幼児期に抑え込まれた感情が、その人の人生に常に付き纏い、自分や他人に対しての不信感を生む。
この感情の解放は、心の汚れを掃き出そうという試みです。その人の生き方を歪め、暗いものにする身体の何処かにこびりついた否定的な感情を、意識的に体を緩め、動かし胸からの声に乗せて掃き出そうと言う試みです。健全な人をより健全な人にする、本来の自分らしさを取り戻す試みです。(我々は、病的な人を一切取り扱いません。それは、医者の仕事です。)
この感情の解放の結果として、人間本来の明かるさを取り戻す、人に優しくなる、親に対する思い遣りが深まる等々です。
10数年前の当時コミュニティーは、日々寝食を共にし、みゆきと僕の指導のもとに日々訓練をつずける事ができました。
現在、短期合宿クラスを開いていますが、感情の解放(フィーリング・ リベレイション)は、個人の自由意思に任せています。生徒は世間から完全に隔離された三階の100畳敷の広いスタジオで、いつでも好き勝手な時間に駆け上がって大声を出して暴れ回っていますが大変な効果があると思っています。
感情の解放(フィーリング リベレイション)は、心の汚れを掃き出して、風通しを良くするのが目的です。

ZEN

2018年9月9日日曜日

感情の解放



今朝の出来事

今朝、奇妙な体験をした。

朝、5時に起きて、妻ミユキと犬を連れ、隣にある美しい公園に散歩に出かけた。

前日の嵐で大きな木があちこちで何本も荒れ果てた景色に一変していた。

公園を一周してから、いつものように富士山の見えるお気に入りの、自宅のエンジェル ティーハウスで朝食をとった。

途中気分が悪くなり、ミユキに助けられ、いつ倒れるか不安の思いでベッドルームに辿り着き横になった。

いつの間にか眠りに落ちていた。



夢を見た。

僕のクラスを受けにきた人達が、お寺の休憩所のような畳敷きの広い部屋に三十人ほどの人々集まってきた。

僕を信頼してやってきた人達、無関心な人達、不信感を持っている人達等々。

僕は、右手に短い棒のようなものを持ち、ところかまわず打ち鳴らし、一人一人の顔を覗き込みながら訳も分からない事を大声でまくし立てていった。

こんな事をしたらクラスがメチャメチャになる、信頼感を失うことになるなど、どこかで知りながらもわめき散らし、右手に持った棒で左手の鐘を叩き部屋中を駆け回った。

そのうち、抑えが効かなくなった。

周りにあった家具をけとばし、放り投げ、大声で叫びながら駆けずりまわり、めちゃめちゃに暴れ回った。

どこかで心の片隅でまずいなと一瞬思ったが、気狂じみた衝動を止める事が出来なかった。

わめき散らしながらジャンプして頭から落ちた。

狂気の真っ只中、嵐のように、見境なく、全てのものを破壊尽くしていった。

自分の永年にわたって築き上げた価値観をも。

そして、深い眠りに落ちたらしい。


眼が覚めると、場所も時間も定かではなく静かな気持ちで眼が覚めた。

5,6時間経っていた。


台風一過、嵐の後の静けさ、ベッドの上で静かに何の不安も、苦しみも無く空白の中に、目覚めた自分がいた。


この、静けさを体験するためには、嵐を呼び起こす感情を解放する必要があるかもしれないと思った。


キューブラ・ロスは言っていた。

「この渓谷を嵐から守るために、覆いを被せたら、あの渓谷美を目の当たりにすることは出来ないと。」

感情を解放してみよう!


ZEN


2018年9月5日水曜日

第23回 ザ・メソード演技訓練の実際


自分らしさについて

俳優であろうがなかろうが、全ての人は、自分らしく生きたいと言う。

自分らしいということは、どういうことだろう?

自分の考えたこと、感じた事、望んだ事を即、なんの躊躇もなく表現し行動に移す。

それができるのは、子供達だ。

全ての感情、欲求を(泣いたり、笑ったり、怒ったり、欲しがったり)露わにする。

しかし、我々は一定の年齢に達すると社会に順応するために、親から、周囲から、
「ああしてはいけない」「こうしてはいけない」「こうしなければいけない」「ああしなくてはいけない」
と教え込まれる。

もちろんある年齢に達すれば子供のように裸で表に飛び出すわけにはいかない。
何が起きるか知っているからだ。

問題は、自分らしくありたいという衝動、自分らしさを表現しようとすると、「気をつけろ!」と声がしてブレーキをかけることになる。

教え込まれて警戒心、不安のために常にブレーキをかける。

そして、自分らしさを失っていく。


自分らしさを取り戻すには、不必要に、習慣的にブレーキを掛けないことだ。

地震等、物理的な不安は別として、不安は誰かが、あなたの頭に置いたものだ。

これらの不安を抱えて、あなたは、あなたらしく生きていくことはできない。

あなたがあなたらしく生きていくためには、体のあちこちにしがみついている不安(抑圧された感情)を見つけ出し、体を動かし引き剥がし声とともに外に吐き出すことだ。

僕は、これを「感情の解放」と呼んでいる。

俳優にとっても、一般社会人にとっても、自分らしく生きるために、人間本来の明るさ、生き生きさを取り戻すために、先ず第一に手がけるべきは、この感情の解放だと永年の経験を通して、確信している。

ZEN

2018年8月30日木曜日

第22回 ザ・メソード演技訓練の実際


訓練
番外編


今回の合宿クラスに30歳前後の美しい女性がやってきた。

ミュージカルをやっていると言う。

彼女は『オペラ座の怪人』の一場面を演じて、歌って踊った。

ダンスはそれ程でもなかったが(僕は、ニューヨークで、何年もプロを目指してダンス教室に通った経験がある)、長年訓練しただけあって、歌唱力は充分に感じられた。

しかし、歌い終わって何の感動も伝わって来なかった。

(物語は年前に、失った父親の想いを墓石のの前で歌う場面)

多くの歌手やダンサーたちは、人間は何故、踊るのだろう、歌うのだろうと言う単純な問いを自分に、投げかけるのを忘れている。

歌手やダンサーでなくても、世界中どこでも人々は感極まって歌い出す、踊り出す。

自分のこの熱い想いを言葉や、身振りで表しきれないからだ。


多くの研究生たちはこの事を忘れている。

人は何故歌うのか?
何故踊るのかを?

作曲家や詩人が、振付師が、芸術性の高い素晴らしい材料を与えてくれているのに、自分がどう思われるかで頭が一杯で、人は何故歌うのか、何故踊るのかを忘れている。

オペラ歌手のマリア・カラスやパヴァロッティなどは感動のあまりに、歌い出さなかったら死んでしまうと言う印象を与える。

ニジンスキーは、ジャンプすると降りて来ないのではないかという印象を与えたと言う。

マイケル ・ジャクソンにしてもそうだ。

彼は踊り出したら止まらない、誰かが抱き締めて止めるまでは。


我々パフォーミングアーチストは、人々に感動を与える仕事だ。

自分が感動を持てなくて、人々に何を与えられると言うのだろう。

観客に感動をより力強く、美しく伝える為の訓練に励む。

いつも、自分の価値観を伝えようと思って訓練に時間を費やすのは人生の無駄だ。

若きアーティストにもう一度改めて考えてみて欲しい。

「ひとは何故踊るのか?歌うのか?演技をするのか?」

ZEN


注)
今回の彼女への指導は、主に上記の認識を与えるだけの仕事になってしまったが、人目も構わず、涙を流し続けていたので、観客に感動を伝えるという仕事を果たせる能力は充分に持っていると思っている。
残念に思うことは時間の関係で、感動を持つこと、それを伝える方法を今回、指導できなかったことだ。
彼女は、長年培ったテクニックを持っているので、短期間に感動を伝える能力を獲得できると確信している。


2018年8月26日日曜日

第21回 ザ・メソード演技訓練の実際



訓練
センソリーウォーク
五感の記憶
番外編   
表現について

ストラスバーグは言っている。

「1948年、わたしがアクターズ・スタジオの芸術監督に就任した時、感動は体験できても表現することはできないものだといううことを、益々悟るようになった。」
と。

(本当に演技に取り組みたいと、志している人は、スタニスラフスキー、ストラスバーグ、の本を読んで欲しいと願っている。)

一般に多くの人は、自分の感じていることが表れない、伝わらない。

一例を挙げると昔、ニューヨークの空港で、姉と別れを告げた時、彼女が、無感動で、心ここに在らずという様な印象を受けた。

後で知ったのだが、あの時、姉は胸が張り裂けそうになるほど、悲しかったと言っていた。

多くの俳優たち、又は、一般の人達は自分の感じていることが伝わらないので、お芝居をする。

表情をこさえたり、不必要な大袈裟なジェスチャーを入れる。
そして伝わらない。

この問題の解決方法は、リラックスの訓練だ。

自分の身体からあらゆる緊張を追い出し、感じた事が何処にも邪魔されないで、胸からの声に載せるとともに、感情が眼に表れるように訓練し習慣づけることだ。

子供を見ればわかる。
感じた事が瞬時に表れる。

俳優訓練は、子供になる訓練だと言われるゆえんだ。

人々は、心配するかも知れない。 

リラックスの訓練によって否定的な感情、怒り、憎しみ、嫉妬心等を感じて、それが出てしまったら大変だと。

心配は一切無用。

感情にブレーキをかける事は、永年に渡り、人生で訓練されているからだ。

問題は、自分の感じた心情に習慣的にブレーキをかけないことだ。

多くの学者や、科学者が天からのインスピレーションを受け、偉大なる発見をする時、真理に到達する時、おうおうにして、散歩している時、お風呂に入っている時などだという。

つまり、リラックスしている時だ。

古今東西、リラックスを求め、又、真の自分を求め瞑想や、ヨガ、座禅、荒修行等が、行われてきた。

我々は、何かの修業を通してではなく、リラックスそのものを訓練しようと言うのだ。

先ず、自分の体のどの部分に、緊張があるかを見つけ、緩まる様に色々な方向に動かし、
緩んだかどうかをチェックする。

真理的な緊張といわれる首から上の、眼、こめかみ、顎、首も同様に緩めていく。

多くの場合、ある身体の一部(腰、顎、眉)等を意識的に緩めただけで、泣き出したり、笑い出したりする場合が多い。

永年にわたり無意識に感情を抑えて来たことによる。


今回の合宿生の一人に、会社を自分の部下に任せ、新しい世界を求めて、飛び込んで来た
30代の男性がいる。

口を一文字に閉じ眉を固めて厳しい表情をしていた。

全力投球でこの社会を生きて来ただけに強い意志の力を持ている。

「眉を上げてみよう。くちびるを緩めてみよう。」
等の僕の指示に従って瞬時に実行に移す。

しかし、我々アートの世界は情感の世界だ。

その素晴らしい意志の力をバックグランドに置いて、湧き出て来た感情、衝動に從うことを要求される。

たとえ、彼が今後どの様な方向に向かって進もうと、情緒の豊かさと、意志の強さを持ち合わせれば、彼の人生は、より輝きを放つと信じている。


ZEN

第20回 メソード演技訓練の実際



訓練
センソリーヲーク
五感の記憶
番外編

俳優訓練は、人間訓練だと強く感じています。

各自が永年、無意識に溜め込んだ否定的な感情を、身体を意識的に大きく動かし、リラックスさせることによって、身にこびりついた否定的な感情を大きな声と共に外界に解き放つ事が大切です。

人は、リラックスすると、その人らしさの姿を現します。

意識的にリラックスする事によって、常に自分自身に不満で、否定的な態度を取っていた人が、在るが儘の自分自身を受け入れ、自分とともに居ることに、安心感と充足感を感じる様になります。

本人が自分の身体のどの部分が緊張して居るのか気づかない事が多いと思います。

教師の仕事は、生徒自身の身体のどの部分が緊張しているのか、本人に気づきを与え、自分の身体を自分の努力でリラックスさせる能力を身につける様指導する事です。

又、リラックスができても、表現に繋がらないこともあります。

その時は、リラックスして何かを感じたら、即、声にして外に吐き出す様にガイドします。

この様なリラックスの訓練によって、本来のその人らしさが現れます。

自分とともに居る事が出来る様になり、自分との一体感を感じる様になります。

自分らしくいる、在るが儘の自分として立ち振る舞う。

自分を明るみに立たせる。

このリラックスを習得することは、俳優のみならず、全ての人にとって必要不可欠な事と確信しています。

自分の体は、自分でしか緩める事が出来ません。

リラックスを修得して、人生の日の当たる路を歩いて行きましょう。

今、合宿に通う男性は、合宿の面接で初めて会った時、表情も、体も、声もカチカチで大丈夫かなと心配したほどでした。

たった2,3回の訓練で今は明るく、他人の面倒見が良く、率先して僕の仕事まで喜んで手伝ってくれています。

ただ、リラックスしただけだと言うのに。


ZEN