2017年1月20日金曜日

第七回 「神との対話」の本のすすめ

僕は、「信じれば見えてくる」と云う言葉を信じている。
人生は、苦難の連続だと信じ、忍耐あるのみと考えればその様な体験をするだろう。
又、人生は、祝祭だ。
喜びと、人々の愛に満ち溢れていると考えればその様な体験をするだろう。
私ごとになるが、3年ほど前、東北に紅葉を観に行った途中、
息切れがひどく石段の途中で動けなくなった。
病院に行ったら検査の結果心臓に、問題があると言われた。
それ以後、ずっと朝晩薬を飲み続け、又、ジムに通い運動、食事に気を配った。
数週間前に、突然、手が痙攣して自宅の階段の下にうずくまり動けなくなってしまった。
左手にいつでも飲める様にショク時の薬をつまみ、一時間ほど耐え続けて平静を取り戻し、
二階にあるベッドに横になることが出来た。
翌日、病院に行ったら心臓発作で手が痙攣することは無いと言われ、血液検査の結果、「心臓にはまったく問題がない、あんたは、30代の若さだ」とその医師は驚いていた。
病気だと云う思い込みが、ストレスを生んでしまった。その溜まったストレスを解消する為に心療内科を紹介された。
紹介された医師は、素晴らしい人で、確か診療は午後6時までとあったが、僕が面談を受けたのが、730分。それから30分ほど時間をかけ、柔和な態度でこちらのあらゆる質問に答え、不安を取り除いてくれた。待合室には未だ6,7人の患者が残っているというのに。
他人に対して、これほど時間をとることが出来る医師に対し、自己主張の多い自分を顧みて、己の未熟さを痛感させられた。
本題に戻って、人は、否定的な考えに取り憑かれると地獄を体験する。
上記の僕の例を挙げると、心臓が悪い、いつも心臓発作を起こして死ぬのでは無いのかと(考え)、この3年間、不安と共に生きるという生活を体験した。
『神との対話』に死を恐れる人は、生きる事も恐れると書いてある。
この人類史上、死ななかった人は、一人もいない。
我々は死を受け入れなければならないし、『神との対話』最終話の9冊目『神へ帰る』に、
「死は素晴らしい体験」
だと書かれている。
テレビ等で、病で死を宣告された人達が、それをきっかけに、生きる真の喜びを見出した人々をよく見かける。
僕も、自分の死を迎える前に、死は素晴らし世界への魂の旅立ちだと確信したい。
多くの人は、習慣化された否定的な考えや、生活から抜け出すのは難しい。
そのパターンを変える方法が『神との対話』の本に書いてある。
普通、人はまず、考え、言葉にし、そして行動に移す。
人生を苦しんでいる人は、考えが否定的で、それを言葉にし、否定的な行動を起こし、落ち込む。
自分の人生を、肯定的なものに変えるには、このパターンを逆転しろと云う。
「何か少しでも、新しい考え、面白い考えが浮かんだら、即、行動に移せ」
と言っている。
つまり、まず、行動を起こして、言葉にして、それから考えると。
これが欲しいと思ったら高いの、安いの、この次にしようなどと考えないで直ぐ買ってしまう。
部屋を綺麗にしたいと思ったら直ぐ掃除を始める。
誰々に会いたいと思ったら即、電話をかける。
この様に、考えないで、まず行動に移す事を続けていけば、今までの否定的な生き方から抜け出し、肯定的な人生を歩んで行けるようになると云う。
実際に、友人メンバーの一人であるHさん(たぶん60)は、次に何かをやろうとやろうと考えるやいなや、椅子から立ち上がっている。
庭に木を数十本も植えたり、一人では持てそうもない材木を何本も運び込んで来たり、知らない間に収納小屋を建てたりして
「ああ、今日も楽しかった」
と笑みを浮かべて帰っていく。
この人どうなっているのだろうと呆気にとられる。
Hさんは、自分のことは、あまり話さないが、海外での援助活動に長い間携わっていたと云う。
「今、目前に在り、問うこと無し。」の精神が宿っているのだろう。
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