今朝、朝早く、ワイフ、ミユキが駆けつけて来て
「ここ、エンジェルガーデンの庭に不思議なサークルが出来ている。」
と緊張した面もちで僕に告げた。
「ここ、エンジェルガーデンの庭に不思議なサークルが出来ている。」
と緊張した面もちで僕に告げた。
2階のベランダから覗いてみると、ここ、エンジェルガーデンの庭の芝生の上に、幅20センチ、直径2メートル程の円が描かれていた。
第一印象は、余りにも完璧な円が描かれていたことである。
今回、15人程の人が集まっての会の3日目の朝である。
僕の尊敬するOさんグループも参加した会の主旨は、人々の触れ合いと、その喜びを、ここから、世界に発信したいと云う。
ちょっと、覗いてみると、みんなで食事(Kちゃん担当の完全健康食)、そして、音楽に合わせて踊ったりして、真剣で、和気あいあいの雰囲気に包まれていた。
(今回ドラムを持ち込んでの、にゅーさんの演奏には、驚かされた。彼の叩き出す音は限りなく純粋でエゴからフリー、聖なる響きがあった。彼の生き方を強く感じさせられた。)
『神との対話』に、
「神からのメッセージには、驚きがある。否定し難い真実がある」
と書かれてあった。
「神からのメッセージには、驚きがある。否定し難い真実がある」
と書かれてあった。
僕には、今回の、この庭のサークルは、人々の輪を大切にする事、というメッセージのように思えた。
「神からのメッセージは、我々に常に送られている」
と言う。
と言う。
夏の強烈な日差しの中に、
青い空にポカンと浮かんだ白い雲の中に、
小川のせせらぎ、
鳥のさえずり、
虫の鳴き声、
一輪の花の香りの中に
神のメッセージは、送られていると云う。
そして、歌に、踊りに、テレビ番組の中にもメッセージは送られていると云う。
気が付かないのは、我々が聞き取ろうとしないだけなのだと。
また、我々の問題は、神のメッセージでなく、他人のメッセージに左右されやすい事だと思っている。
『神との対話』に、
「頭にあるものは他人の置いたもの、胸にあるものは自分が置いたもの。」
と。
「頭にあるものは他人の置いたもの、胸にあるものは自分が置いたもの。」
と。
何か行動を起こそうと決心した時、正しい選択は、自分の胸に聞くべきだと思っている。
他人の言動に左右されないで、自分の胸に聞いて夢の実現に、真っしぐらに突き進んで欲しいと願っている。
何事も、信じれば見えてくる。
よく、人々は、「これこれは、真実だ。これに従えば間違えない」と云う様なことを言ってくる。
確かにその人にとって、真実だろう。
しかし、
「この世に、客観的真実は無い」
と書かれている。
「この世に、客観的真実は無い」
と書かれている。
どんな事でも必ず、その人の主観が入る。
「これこれは、自分にとって真実だが、貴方はどう思う?」
と聞け、と『神との対話』に書かれている。
僕は、『神との対話』は、メッセンジャーを通してではなく、
神が、直接我々に語りかけた奇跡の出来事だと思っている。
又、どうしてか、個人的に、『神との対話』を何故か勧めた事がない。
今回、この紙面を借りて、
「この神との対話は、僕にとって真実だが、しかし、貴方はどう思う?」
と問いかける機会を与えられたと思っている。
「この神との対話は、僕にとって真実だが、しかし、貴方はどう思う?」
と問いかける機会を与えられたと思っている。
ZEN