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2017年9月26日火曜日

第40回『神との対話』に魅せられて

第39回まで《神との対話のすすめ》と題して掲載してきたが、この本の中に
「この本を誰が読んでいるのか、いつ、これから、誰が読み始めるのかすべて解っている。」
と書かれてある。

僕も個人的にこの本を他人に殆どすすめたことはない。

なるほどと納得した。

で、今回から このエッセイのタイトルを《『神との対話』に魅せられて》に変えることにしました。
又、『神との対話』を簡略化して、『KT』とします。

よろしく。

KTの文中に
「充分ある」という意識を体験しなさい。
と書かれてある。

自己を変革しなさい。
世界を変えなさい。
不足だ。
「足りない」という人間の意識、 それが、すべての不安、プレッシャー、競争、嫉妬、怒り、葛藤、そして殺し合いの根本原因だ。

と書かれてある。

人間の本性は、善、なのだと思う。

PKO活動にしても、川に溺れている人を、自分の命の危険もかえりみず飛び込んだり、消防士が人の命を救うために、燃え盛る火の中に駆け込んでいく。
又、孫が車の下敷きになり、駆けつけたおばあちゃんがその車を持ち上げたと云う話を聞いたこともある。

これらの行動は頭の判断ではなく、人間の誰にも備わっている魂の本質だと思う。

人間の本性は善なのに、支配欲、独占欲、名誉欲が人類の心を蝕んでいて、戦争が絶えない。

地球には、分かち合えば、充分の資源があるのに、毎日四万人の人が、餓死していると言う。

KTに、
「全ては充分にあり、不足なものは何も無いと考えろ」
と書かれてある。

でも、我々の実際の生活に当てはめて考えてみると、欲しいもの、足りないものだらけ。

例えば、自分には、お金が足りない。借金がある。(借金が充分にある。)支払いを迫られている。

KTにそんな時こそ、
「王侯貴族のように振舞え」
と書かれてある。

神様が言うのだから必ず解決すると100パーセント信じて、威厳と優雅さをたたえ、ゆったりと構えてみて、何が起こるかみてみよう。どうせ、払えないのだから。

全ての経験は自分自身の成長のチャンスと言われるから。

自分自身の人生を振り返ってみて、とことん追い詰められて、その困難を乗り越えた時、人間としての喜びと、貴重な体験をさせて貰ったと云う思いがある。

私達の多くは、いつも、日々の生活であれが足りない、これが足りないと、足りない物ばかりに意識が向いている。

しかし、身の周りを見回して気が付いてみると、足りてる物が充分にある事に気付かされる。

この一年、友達の助けを借りて大掃除をやり、不要なものを片っ端から捨てた。

10年以上使ったことのない不要物が八畳間いっぱい、一部屋分出た。

いつも、あれが足りない、これが足りないと思わされて生活してきたが、幸せに生きる為に必要な物は、ごく少なくて良いと痛感させられた。

平和な日本で、
衣食住が足りていて、
「充分ある」
と実感させられた。

あとは自分の胸に
愛あればこそ。

ZEN