2017年1月27日金曜日

第八回 『神との対話』のすすめ

時々、20年も30年も前の出来事を思い出して、
「チクショウ!どうしてあんな事をやってしまたんだ。恥ずかしい!」とわめくことがある。
(勿論、一人の時)
神との対話の本に、
【何かにつけ恥じ入るのは、自意識の強い人間だ】
と書いてあった。
今まで気づかなかったが、思いがけず、指摘されて、僕は、可成り自意識の強い人間だと納得した。この気づきを与えられ、何か、嬉しい気持ちになった。
考えてみれば、第一、相手は、そんな事、問題にしなかったどころか、気づきもしなかったかもしれない。今度、チクショウと始めたら、即
「ゼン!みっともないぞ、恥を知れ!
と怒鳴ればいいと思ったが、上記に、恥じ入ると云うのは、他人にどう見られるかを重視する自意識の強い人間の反応だと書いてある。
分かりました!
やっぱり僕は自意識が強いんだ。
でも、納得すれば、半分は解決したことになる。
嬉しい。
【頭にあるものは、誰かが置いたもの。胸にあるものは、自分が置いたもの】
という言葉かある。
自分の主義主張、信念、善悪、道徳観念、人生観等々の多くは、本で読んだり、誰かの話の聞き覚え、かも知れない。
例えば、幸せとは何か?
自分の胸に聞いてみよう。
今の自分は幸せかどうか?
習慣的に不平不満をまくし立てないで、現在の生活で幸せを感じたのはいつ?なぜ?
どうして?その理由は?
幸せって向こうからやて来ると言われるが、どこから?
幸せとは感情だ。
感情は魂の言葉だ。
自分の魂は、何と云っているか?
等々、自分で考えてみたい。
先日TV放送で、片脚を失った100メートルの世界チャンピオンの訓練風景を観た。
日々の生活の全てをいかに早く走るかに捧げていた。
片脚を失ったことで多くの事を学んだと言っていた。
満面笑みを浮かべて、幸せだと言っていた。
「例え、神様が脚を元通りに戻してあげると云っても断わると。」
失って幸せになるなんて。
この世に生を受けて今がある。
胸に手を当てて
「あなたは幸せですか?」
と自分に聞いてみたい。
僕の身近に、人を助けることを歓びとしている84歳の松葉杖なしでは動けない、両脚の不自由な女性がいる。
人に会うと ありがたい、ありがたい、皆様のおかげや」と。
僕の前では
「神様のおかげや」
を付け足して。
『神との対話 』にプラス思考の最高のかたちは、
「感謝の言葉だ 。」
と書かれている。
朝起きて目が見えてありがたい。
耳が聞こえてありがたい。
(僕は、補聴器をつけている。)
補聴器があってありがたい。
パートナーや、友達は今何をしているだろう?
一人一人の顔を思い浮かべると楽しくなる。
みなさんありがとう。
今日は素晴らしい天気、ありがたい。
この世に命を授けてくれてありがとう。
胸の中でもそっと手を合わせれば習慣になるかもしれない。
感謝は、あなたを救う、世界を救うと言われるから。
いつも思うのだが、僕の文章能力では、この本の偉大さは、とても伝えることは出来ない。大きなリンゴを何とかして噛み付こうとしているように思える。
何時もだったら、さっと読みとうしてしまうページをフェイスブック投稿のお陰で、何回も何回も読み返すようになり感謝しています。
ありがとう
ZEN
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