「リラックスについて」
リラックスについて考える時、恩師 リー・ストラスバーグのことを思い出す。
彼はリラックスが俳優訓練の最重要課題として何十年にわたって研究してきたのに、誰かが
「リラックスとは何ですか?」
と質問すると、彼の記憶からではなく、その場で改めて考えて答えを出している。
「リラックスとは何ですか?」
と質問すると、彼の記憶からではなく、その場で改めて考えて答えを出している。
彼は、
「リラックスは何か?を知るためには、緊張とは何か?を考えるといい」
と言っていた。
「リラックスは何か?を知るためには、緊張とは何か?を考えるといい」
と言っていた。
たとえば、100メートルを10秒を切って走り抜ける選手、殴り合っているボクシングの選手に対して、解説者は「今日はリラックスがいいですね」と言う。
何故か?
リラックスとは、不必要な力を入れていないということである。
人間が立っているためには、立っているための必要なエネルギーがいる。
肩をいからしたり、膝を固めたりする必要がない。
肩をいからしたり、膝を固めたりする必要がない。
不必要なものは、不必要であると。
何故リラックスをすることが必要かというと、集中力が高まっているからであり、集中力が良くなると、よりリラックスが深くなるという相互関係にある。
リラックスに生まれつき恵まれた俳優がいる。
なかなかいい演技をするなあ、と思われる俳優も、ただリラックスが良いというだけのことが多い。
トップクラスの俳優は例外なくリラックスがいい。
だから、自分の集中していることに我を忘れ、観客の圧力からフリーになる。
そこで我々は、彼らのリラックスの能力に追いつく為に、意識的に自分を訓練が必要がある。
人間は他人の視線を感じると緊張する。
ましてや舞台では、観客はあなたを観にくる。
よって決められた時間と場所でリラックスする必要がある。
ましてや舞台では、観客はあなたを観にくる。
よって決められた時間と場所でリラックスする必要がある。
多くの人は酒を飲むとリラックスして外からの圧力や、自分自身に対する警戒心が緩み良い演技をする。
ただし、問題は一杯で効いた酒の効果が、二週めには二杯を必要とする。
又、ドラッグをやると自分の頭の中で素晴らしい想像の世界が広がっていくかも知れないが、外に表れない。
無表情となる。
無表情となる。
よって、基本的にリラックスの訓練は、自分の身体にリラックスしろ!と命令したら、リラックスできる能力を獲得することだ。
人は脳の命令によって身体を動かすことは比較的楽に出来るが、命令によってリラックスすること(特に人前で)は難しい。
ある人は、習慣的な緊張を持っている。
自分自身を強く見せるか、守ろうとするために、無意識に肩や肘に力を入れている。
又、不安のために、いつも床を踏みつけて立っているかも知れない。
又、ある人は、小さい時の抑圧された生活環境のため天井に向けて上げた手を力を抜けと命令しても下りてこないので、自分で力を入れて下ろすことになる。
このような人は3,40人に一人の割合で見られる。
時間はかかるかも知れないが、このような人も訓練によって力を抜くことができるようになる。
立てばシャクヤク、座れば牡丹、歩く姿はユリの花