2017年9月16日土曜日

第39回『神との対話』のすすめ

僕にとって『神との対話』の内容を凄いと思う反面、本当の意味で理解しているかどうか甚だ疑問だ。

繰り返し読んでいても、具体的に実行しているかどうかとなると、全くお手上げだ。

15年間も読み続けてきて、僕自身人間的に成長したと、とても思えない。

しかし、どうしても、この本を開きたくなる。

読みたくなる。

この本には紛れも無い真実が書かれている。

随所にこんな事、一度も聞いた事がないという驚きがある。

現在、現在歳を重ねて、記憶力も悪くなったせいもあり、どのページを開いてみても、初めて目にしたと云う新鮮な喜びがある。

『神との対話』に、
「妊娠中絶しようとする時、あるいはタバコを吸おうとする時、動物の肉をフライにして食べようとする時、道でひとの進路をさえぎろうとする時、重大なことだろうと仔細なことだろうと、大きな選択だろうと小さな選択だろうと、考えるべきことはひとつだけだ。
これは本当の私だろうか?
いま、本当にこういう自分を選択するのか?
そして、いいかね。
何の結果にもつながらない無意味なことは何一つないことを覚えておきなさい。
すべてには結果がついてくる。その結果とは、あなたは誰か、どんな存在かということだ。
たった今、あなたは自己を規定する行為をしている。」

僕は、思うのだが、もし神が全能だとしたら、明日から戦争は無く、飢餓も無く、難民も無く、貧困も無く、ジェンダー、人種差別、汚職、レイプ等すべては、一瞬にして解決するはずだ。

何故、そうならないかと言えば、神は人間に自由意志を与えたからだと云う。

人間の努力で、人間の素晴らしさを、聖なる歓びと、その感動を体験させるためだと云う。

暴力や、貧困、差別等、闇の世界があるからこそ、平和、豊かさ、一体感等、光の世界を体験出来のだと。

寒さが有るからこそ暖かさを知り、暗闇が有るからこそ光の輝きを体験出来ると。

何千年の地球の歴史を振り返ってみても、地球に真の平和が訪れたことはない。

最近は、ますます各国、各民族がそれぞれの利権を主張して危機的状態にある。

個人の問題に照らし合わせても、人間の行動の動機は、二つしか無いと書かれてあった。

愛にもとづくか、
不安にもとづくかだと。

人にたった一言、相手に挨拶の言葉を投げかける時、
それは愛にもとづくか、不安にもとづくかどちらかだ。

愛にもとづけば、
あなたにほほえみをもたらし、
不安にもとづけば、
あなたを孤立させる。

愛にもとづけば、
あなたは歌い踊り出す。
不安にもとづけば、
あなたは片隅にうずくまる。

愛にもとづけば、
どんな苦境に立たされても立ち直り、喜び溢れた人生を謳歌する。
(パラオリンピックを見てごらん)
不安にもとづけば、
どんなに恵まれた環境に取り巻かれていても、独りぼっちで孤独にさいなまされる。


愛にもとづく言葉は感謝、
アリガトウ。


感謝は世界を救う、
あなたを救う
と書かれてある。


ZEN