~第16回~
河口湖に引っ越して来て、この20数年間殆ど毎日大工仕事をしている。
二階の百坪ある空間はみゆきと僕のプライベートな空間で、引っ越しをして来るなり、いきなり7部屋か、8部屋の壁を取っ払い、柱を引っこ抜いて、天井を叩き落として鉄骨をむき出しにしてアメリカン スタイルのロフトにした。
この20数年間この家のアレンジは、自分のセンスで
他の人が、指一本触れていない。
夜起きて、このリビングにライトをつけると家具の配置、照明等、本当に美しいと感動する。
(あまり、人に見せた事がない)
30年ほど前のことになるが、アクターズ・スタジオの恒例のパーティーに飾リ付けをやって欲しいと頼まれた。
当時、飾りつけなどやった事がなく、強引に押されて渋々引き受けることになった。
今、覚えているのは、
カラフルな雨傘が二、三十本あったので 、吹き抜けの高い天井からつるし、ホイールでおおきな折鶴と小さな鶴を折って天井から吊るしライトを当てたりしたのを覚えている。
パーティーが始まって、
当時、名の知られた演出家や俳優たちが、一人一人ステージに上がるたびに、
「アクターズ・スタジオが、こんなに美しくなったのは初めだ」
と絶賛していた。
全く予期しないことで驚いた。
何がそんなに感動したのか、不思議だった。
又、その日、ある俳優が自分の結婚式の会場の飾り付けをやってくれないかと頼んで来た。
勿論、断った。
又、オフィスから、恒例のアクターズ・スタジオ アカデミー賞を渡す一人に加わって欲しいと言われた。
急いで、アパートに戻ってハッピと、竹の棒と、トイレットペーパーを取りに行った。
僕のプレゼンテーションの番が来て、右手に持ったトイレットペーパーを左手でうやうやしく延々と引き出し、厳かに誰も分からない日本語で、こんな飾り付けなどやりたくないとか、勝手気儘なことをスピーチした。
当時の僕のワイフ、ヨシが通訳として立ち、僕が延々と日本語で喋って一息つくたびに、
「ザ、アクターズ・スタジオ」
と彼女が厳粛に、大きな声で通訳した。
僕が何を喋ってもヨシは
「ザ、アクターズ・スタジオ」
とメンバーたちに伝えた。
スタジオのメンバーは、爆笑。
僕の親友である 老優ウイル・ ヘヤーは、あんまり可笑しかったので床に頭をぶっつけて、瘤ができたと見せに来た。
その後、受賞者の封筒を渡されて開封する段に、その封筒を頭の上高く投げ上げて、腰に刺した竹竿で、大声とともに居合抜きで切り落とした。
勿論、開封できないので、後ろ向きになり小腰をかがめて、コソコソと封を切った後、威風堂々とメンバーに向かって、自慢げに封筒を高々と指し示した。
メンバーみんなが一斉に爆笑と拍手をしたのを覚えている。
会が終わって何人かがやって来て、
「ゼンはコメディアンだと思う。」
と言われた。
真のコメデアンは、生まれつき。
アクターズ ・スタジオの僕の10数年間の間にたった一人のコメディアンと呼ばれた女性がいた。
彼女がテーブルに着いてコーヒーを飲もうとカップを持ち上げるとみんながドット笑う。
びっくりしてカップを戻すとまたみんながドット笑う。
僕は、コメデアンではなく、演出能力だと思っている。
ZEN