2017年12月24日日曜日

ザ・アクターズ・スタジオと恩師ストラスバーグの思い出


~第3話~
 
最近は、若い人は、ジーパンで気軽に海外に出かけるが、当時(半世紀程前)は外国に出かけるなどは、大変な事だった。
 
義理の兄貴達が羽田空港に駆けつけて、「平野頑張れ!」のノボリを立てて見送ってくれた。
 
一生の別れだと思って涙が止まらなかった。
 
飛行機の中でも泣き通しだった。
 
ハワイのホテルについて見たこともない広い部屋に通され、大きな鏡に向かってオイオイ泣いた。
 
泣きながら自分の顔の表情をチェックしていた覚えがある。
 
俳優になりたかったのかもしれない。
 
当時、日大の演劇科に所属していて、授業料の仕送りも、友達が困っていたので、貸してあげたんだが、戻ってこなかった。
 
何かのキッカケで舞踏家、元藤あきこ、の指導のもと、7人程のダンサーが集まって、ジョイントリサイタルをやる事になった。
 
僕にとっては初めての舞台だったが、かなりの知名度のあるダンサーたちの集まりで、目黒公会堂だったと思うが、超満員の盛況だった。
 
期待に反してぼくの作品がセンセーショナルな評判をとった。
 
元藤あきこに
「ゼンさん、あと2回公演をやれば、日本で有名な舞踏家になるよ。」
と言われた。
 
僕は、静岡生まれで、富士山の頂き、海あり、温泉あり、風光明媚、気候温暖、優しい人々に囲まれて育った。
 
歴史上有名人は誰一人この地から出ていない。
 
東京でチケットを売ったり、又、人間関係の煩わしさから離れたかったのだと思う。
 
何となく
「アメリカに行こうかな?」
と言ったら周りから、いついくんだと言われて不本意ながら、飛行機に乗る事になった。
 
ケネディー空港に着いて、ニューヨークに向かうバスの中、近くに座っていた美しい女性に今晩どこに泊まっていいか分からなくて困っている、と言ったら彼女のボーイフレンドが、ターミナルに迎えに来るので探してあげると言われた。
 
結局、YMCAに連れて行かれた。
 
当時、SEXに関する知識は全く無知で、YMCAは有名な同性愛者の巣だということを知らなかった。
 
8階か9階の今まで泊まった事のない小ちゃな部屋に放り込まれ、ベットと机とその上に聖書が1冊置かれてあるだけ。
 
シャワーに行くと、5、6人の屈強な男達が、僕を睨みつけている。
 
又、長い廊下を通って自分の部屋に戻ろうとすると、各部屋の扉が開いていて、素っ裸で僕をにらみつけている。
 
戦争が終わってまだ、間もない時期だったので、日本人に敵意を持っていて殺されると思った。
 
当時、ぼくは、ハンサムでダンスで鍛えた美しい身体をしていたので彼らにとって大変魅力的に見えたのだとだと思う。
 
とても孤独で寂しくて、日本語を話したくて必死になって日本人を探したが誰一人見つからなかった。
 
なんとか誰かと話したくて、YMCAの隣が駐車場、そこに、おじさんが居たが、声を掛ける勇気がなくて、その前を行ったり来たりした。
 
思い切って勇気を振り絞り、話仕掛けたら、
「Wihat do you want!」
とすごい剣幕で怒鳴られた。
 
僕が、あまり青い顔をして、眼が血走って居たので危険を感じたのだろう。
 
しかし、たどたどしい英語で、寂しくて誰かと話しをしたかったと伝えたら、その晩、僕を自宅に読んでくれて、ごはんを食べさせてくれた。
 
ZEN
 

第51回 『神との対話』に魅せられて

 
あなたが、学ぶべき事はなにもない。
 
ただ、思い出せばいい。
 
人生は成長のプロセスだ。
 
成長は、神性が存在し表現されている証拠だ。
 
人生の全てはそのように作用している。
 
この部屋の窓の外にある木を見てごらん。
 
あの木は4メートル以上にもなって大きな木陰をつくっているが、小さな苗だったころ以上に何かを知っているわけではない。
 
今の姿になるために必要だった情報はすべて種の中に含まれていた。
 
何も学ぶ必要は無かったのだよ。
 
ただ、成長すればよかった。
 
成長するために、細胞の記憶の中に閉じ込められていた情報を活用したのだ。
 
あなただって、あの木と違いはしない。
 
木だって成長を促す太陽が必要だよ。
 
全ての生命はつながりあっている。
 
全体のどんな側面もどんな個別化された部分も、他かの側面他の個別化された部分と無関係に動いているのではない。
 
生命は常に相互作用をしつつ創造を続けている。
 
私たちはお互いに結果を生み出しているのだ。
 
それ以外に、私たちが結果を生み出す方法はありえない。
 
他の人たちとの対話や外の世界から得る情報の全ては、太陽の光のようなものだ。
 
あなたのなかの種を成長させる。
 
外の世界に存在し、あなたを内なる真実の方向へと導いてくれるものはたくさんある。
 
人々も場所もモノも出来事も、すべては思い出すきっかけだ。
 
道標のようなものたね。
 
それどころか、要するにそれが「外の世界」なのだ。
 
物理的な世界は、あなたが内側で知っていることを外側で経験する場を与えるためにある。

 
ZEN

俳優を目指す若者たちへ

 
~新体操コーチ オリガ ・ ブヤーノワ~
(NHK-BS1『奇跡のレッスン』から)
 
「誰でもトップになれるわけではありません。
 でも新体操から得られることはたくさんあります。
 自分を乗り越える力や、
 恐怖心に負けない力、
 人前で自分を見せる力、
 集団で何かをする力、
 何年もそうゆう訓練をつんでいるから、
 新体操の経験者は、社会に出ても、堂々としているのです。
 今の自分を乗り越えていくためには、たとえうまくできなくてもやり遂げることが大事なのです。
 柔軟性が大切、毎日の積み重ねが大切。」
 
俳優訓練も全くその通り。
 
毎日の積み重ねが絶対に必要だ。
 
ただし、演技訓練は他の分野(音楽やスポーツ)の様に訓練方法が、明確に確立されていない。
 
それは、訓練の対象となるものが、日常生活で茶飯事に使われているこの体であり、心であるからだ。
 
通常、感じたことをあるがままに表せる様に訓練されていない。
 
社会生活では、多くの場合感じた事がそのままあらわれないようにブレーキをかける。
 
そして、嘘をつく。
 
好きなのに、嫌いなフリをし、困っているのに平気なふりをする。
 
この厄介な、生きている人間という楽器を使って創造活動を続けるのは至難の技である。
 
偉大なスタニスラフスキーや、メソード演技と言われるストラスバーグの俳優の訓練方法が、曲がりなりにも確立されてきた。
 
一般に俳優たちは、真の俳優になるために、何を訓練したら良いのかわからない。
 
貴方がホンモノの演技とは何かを見分けがつけば、(特に、日本の俳優たちの、ストラスバーグのいう愚鈍な俳優、舞台に出てライトを浴び、暗記されたセリフを読んだからと言って、俳優と言うな)このことばを実感できると思う。
 
真の俳優を見分ける能力を身につけるのはそれほど難しくない。
 
それを真実に対する感覚と言う。
 
画面を前にして、登場したその俳優が本当に感じているのか、セリフを記憶して喋っているのか、考えの結果セリフを話しているのか、具体的に指導すれば、この「真実に対する感覚」は、短期間に身に着く。
 
演技の根本課題に
「考えられれば、生きられる。」
という鉄則がある。
 
いま、周りの誰かを捕まえて
「今晩、何を食べる?」
と聞いてごらん。
 
必ず考えてセリフが返ってくる。
 
 
ZEN

ザ・アクターズ・スタジオと恩師ストラスバーグの思い出

 
~第二話~
 
どうゆう訳か、僕の幼少のことを書く必要を感じている。
 
母は美人で、母の妹は超美人、若い男達がよく覗きにきたというが、17歳で結核を患い他界。
 
父は秀才、或る日桐の細長い箱を見つけ、開けてみたら優等証書が一杯、書道家の家に生まれ育った父が、どうして静岡の呉服屋なぞに婿入りするなど、全く不可解。
 
お見合いで母は、父が部屋を出る時に彼の襟足をチラッと見ただけで結婚。
 
そういう時代。
 
父の青年時代の写真に、二本の日本刀の刃を上に向け素足でその上に立ち、腕に五寸釘より太い鉄棒を両腕に刺し毅然と微笑んでいる写真がある。
 
父は、アルバムの随所に詩を書き留めていて、書道の教師にも難解な掛け軸が、いま僕の部屋に掛かっている。
 
そんな父がどうして、呉服屋に来たのか全く不可解。
 
父親の秀才が親族の誰かに現れるかと見張っていたが、兄弟は勿論のこと、孫、ひ孫と誰ひとり、受け継いだものはいない。
 
終戦間近、B29爆撃機が数えきれない程やってきて、一晩で全ての家を焼き尽くした。
 
火の海の中を必死で逃げ伸びた思い出は、子供の僕に深い傷を残した。
 
(この体験は、エクササイズ・感情の記憶として、絶望感、恐怖心を舞台で表わす時に役立つ。)
 
僕は、両親から一度も叩かれた記憶が無い。
 
金庫からお金を盗んでいた僕を見て、母は一言も言わなかった。
 
勉強が嫌いで、姉が心配して机とお菓子を用意したが、隙を見ていつも逃げ出した。
 
小学二、三年の頃だと思っているが、夏休みになるのをまちかまえて、父の姉の家に駆けつけて、1ヶ月間朝から晩まですぐ裏手にあった巴川に釣りに出かけた。
 
その伯母は清水の女次郎長と言われ7人の女ばかりの娘達を、礼儀、作法を始め全てを厳格に徹底して教育した。

(男の子がいない家族のせいか、伯母は僕にはとても優しかった。)
 
伯母は、僕の母を子供に対して自由放任主義だと強く批判していた。
 
母の思い出は、僕が、高校の時、明日友達とお祭りに行くと言ったら、徹夜で浴衣を仕立ててくれた。

そのまっ晒しの浴衣を着て、友達と出かけチラッと振り向くと、道の真ん中に立って、幸せそうにジーッとこちらを見ていたのを覚えていいる。
 
父が病弱のせいもあって、母は50過ぎて自転車を習い行商に出かけた。
 
僕が長男で家業を継いでくれることを唯一の楽しみにしていたと思う。
 
しかし、日大芸術学部の合格通知が届いた。
 
生まれて初めて母の前に正座して向き合った。
 
「東京に行きたいのね。行っていいよ。」
 
母は前掛けを握りしめ涙が溢れていた。
 
僕は、母の元を後にした。
 
僕は、勝手気ままで、10年以上ニューヨークにいて、一度も母に手紙を書いたことが無い。
 
帰国した時に、母は僕のことが心配でよく眠れない日があったと妹から聞いた。
 
母の葬儀に参列した人達が、
「あんたのお母さんは愚痴を言ったことが無い、聞いたことが無い。」
と言っていた。
 
僕の母は天使だったかもしれないと思っている。
 
清水の伯母は、晩年、癌にかかった。
 
伯母の娘達は何一つ行動を起こせず、ぼくの兄弟が伯母を車に乗せて、東京の医者に連れて行き、アッチコッチ東京見物させて、伯母はとても喜んだと言う。
 
(当時、ぼくはニューヨーク)
 
伯母はつくづく
「僕の母の教育が、正しかった」
と言っていたという。
 
ZEN

2017年12月17日日曜日

第50回 『神との対話』に魅せられて



『神との対話』に、
「貴方に必要な事、知りたいと思う事は全て貴方の中にインプットされている」
という。

セコイヤの杉の木を見に行ったことがある。

一粒の種のなかに樹高100メートルを超す大木に成長するために必要な要素が全てインプットされていたという。

誰かに教わって成長した訳ではない。

そして、
「人間も必要なものはすべて自分の中にインプットされている。
他人に聞く必要はない。
静かに自分の胸に耳を傾ければ、貴方にとって、必要なもの、貴方が、真に求めているものが聞こえてくるはずだ」
と。

(頭にあるものは、他人が置いたもの、胸にあるものは、自分が置いたもの)

もちろん、一粒のタネが大木に成長する為には、刺激が必要だ。

太陽が必要だし、雨も必要だし、その他諸々なものが影響しあって大木になる。

現代は情報社会、毎日のように、テレビや本、携帯等、新しい情報が入ってきて科学の進歩、医療の進歩(二人に1人は百歳まで生きると言われる)、どんなに科学的、技術的に進化しても、タクシーが空を飛ぶようになっても、現在の地球の人類は野蛮人だと言われる。

毎日、この地球上で4万人の人が餓死しているし、原爆の製造を止められないし、国対国、宗教対宗教、個人対個人と争いが絶えたことが無い。

それぞれが、
正義をかざして、より多くのものを手に入れようとするからだ。


利害関係が対立するからだ。

今住んでいる河口湖では、友達がいつも、畑で採れたものや、貰ったお菓子等を持ってきて、みんなで、分け合って食べている。

楽しいし、嬉しいし、平和だ。

この奇跡の地球が楽園になる為には、正義を振りかざしたり、自己主張をやめて、あるものをそれぞれが持ち寄って分け合うことだと、『神との対話』を読んで、気がつかされた。

ZEN


『神との対話』に魅せられてを投稿して、五十回ななった。特にこの文章を読んで貰おうと書いているわけではない。
実際に『神との対話』の本のページを開いて貰えば、10倍も20倍も素晴らしいことが書かれてあるから。
毎日、中指を舐めながら、何回も、何回も読み直し、訂正しながら書き上げている。
では、何のために書いているのかと言えば【自分自身】のためだ。
『神との対話』に、自分の為にやらない事は何一つない。
なけなしのお金を他人に与えることも、自分自身の為の行為だと云う。
だから、誰一人読んでくれなくても気にならない。
それよりも、発表の場を与えて貰っていることに、心より感謝している。
皆さんも、もし、何も書いていなかったら、自分の成長のために、自分に向けて投稿して欲しいと思っている。
一番熱心で親身になってくれる読者は、貴方自身だから。


「成長は神の存在の証し」
と書かれてある。


ゼン・ヒラノ


どうしても、気になる言葉がある。
「商人は、神の使いだ! ここにある物を、あそこに無いところにお届けする役目だ。」
と。

松下幸之助は言っている。
スゴイ。
感動!

2017年12月7日木曜日

俳優を目指す若者たちへ


テレビ放送で外国から有名なスポーツインストラクター達を呼んで子供達を訓練するという番組がある。

この番組をいくつか見たが 、それぞれの分野の教師達は経験豊かで、情熱もあり素晴らしいと思った。

しかし、しばらく、この番組から離れていたが、2、3日前、偶然今回の新体操のコウチ オリガ・ブヤーノワ(ロシア)の番組を見る機会を得た。

彼女曰く、
「誰でもトップになれるわけではありません。
でも新体操から得られることはたくさんあります。
自分を乗り越える力や、
恐怖心に負けない力、
人前で自分を見せる力、
集団で力を合わせ、共に何かを創造する力、
何年もそうゆう訓練をつんでいるから、新体操の経験者は、
社会に出ても、堂々としているのです。
今の自分を乗り越えていくためには、たとえうまくできなくてもやり遂げることが大事なのです。
柔軟性が大切、毎日の積み重ねが大切。」
と。

芸術、スポーツ、教育に至るまで、殆どのあらゆる分野で訓練方法が確立されている。

例えば、ピアノは、人間の体の外にあり、誰が鍵盤を叩こうが 、そのエネルギーの強さと、タッチの強さ、タイミングを正確に反映して音を出し、表現する。

しかし、人間は 、生きている楽器だ。

例えば、嫉妬心というというキーを押し表現しようとすると、そんなバカな事をするな 、みっともない、恥を知れ!とブレーキがかかる。

(子供は違う。喜怒哀楽を在るがまま感じるままに表現に移す。俳優訓練とは、子供になる訓練だと云われる。子供が出演している素晴らしい映画、『鉄道員』、『自転車泥棒』、『禁じられた遊び』等、何本もある)

話は、それるが、『禁じられた遊び』の子役を演じたブリジットが、ニューヨークの僕のアパートに友達に連れられて遊びに来たことがある。

もう、スッカリ成長していて魅力ある女性になっていた。

「どうやってあんなに素晴らしい演技をしたの?」
との僕の質問に答えてブリジットは、
「監督さんの云うことが、みんな本当のことだと思った。」
と言っていた。

演技とは、信じることだと云われる。

殆どの俳優は信じられないために、信じたふりをする。

嘘をつく。

演技訓練とは、子供になる訓練であり、舞台で起きている想像の世界を信じる訓練である。

そして、俳優は、人間という生きた楽器、この社会に順応するために、本当に感じたこと、考えた事を表さないように訓練された楽器を携えて舞台に立つ。

普通人間は 感じた事を表現し考えたことを言葉にする。

しかし、殆どの俳優は、考えないで、記憶されたセリフをいかにも考えたように話し、如何にも感じたようにオーバーなジェスチャーで立ち振る舞う。

センス オブ トルース という言葉がある。

真実に対する感覚だ。

一流になればなるほど、この感覚が研ぎ澄まされてくる。

アル・パチーノやロバート・デ・ニーロ等、現場で周りの人たちがみんな拍手するのに、もう一度やらせてくれと訴えるように。

では、真の俳優を育てる演技訓練とは一体どんな訓練だろう。

次週に続く。

ZEN

(僕自身、いつも衝動に従いやすく、今回も上記の新体操のインスラクター、オルガ ブヤーノワ の話をしたかったのに、またそれてしまって残念です。次週に回します。)

第1回 ザ・アクターズスタジオと恩師リー・ストラスバーグの思い出


まず、僕自身バツグンに記憶力が悪いので、記憶に頼ることを諦めた。

それに引き換え、スタニス・ラフスキーや恩師ストラスバーグの記憶力は驚異的である。

ストラスバーグとロスアンジェルスの古いレコード(78回転)を棚や床に無差別に置かれた店で一緒に買っていた時に 、一人の高齢の男性が入って来て、これこれのレコード探しているのだがと尋ねていた。

店主は、「それは分からないね」と首を横に振った。

すると棚にかけられたハシゴの上からストラスバーグは、指差して
「あの棚の何段目の真ん中あたりにあるよ。」
と。

驚いた。

またある時、 ニューヨーク のビレッジにある古いレコード専門店で確か、数十枚のレコードを購入した。

多分、店員が入れ忘れたのだと思うが、数日後店に戻って、これこれのレコードが足りないと言って、十数枚のレコードのタイトルをすべて店員に伝えた。

驚いた!

いったい、この人の頭の構造はどうなっているのだろう?

十分の一でも授かりたいと思った。

又、レコードの話になるが、毎月、一回、車で一時間半ほどのロングアイランドにあるレコードディーラー の所に必ず僕を連れて出かけた。

ディーラーが送り迎えをしてくるのだが、その間二人でレコードの話で 持ちきり、レコードに記された番号まで言い合って、ただでさえ英語が不得意な僕にとってまったく、意味不明だった。

ディーラーの家に着くと、彼の奥さんがいつも、ランチを用意してくれた。

多分、それが僕の一番の楽しみだったかもしれない。

(最後に行った時に、ランチはなかった。奥さんは居なかった。交通事故で息子と共に他界したとの事)

彼は、何事も無かったように我々に伝えた。

我々を送り届けて、ひとり自分の家に帰ってきた彼の姿を想像すると、今でも涙が込み上げてくる。

ストラスバーグは、全米で五本の指に入るレコード蒐集家で全て78回転のレコードのみだ。

その理由はたぶん現代は偉大な音楽家は存在しないからだと思う。

僕も蓄音機でカルーソー(110年前の録音)を聴くが、二度とこのような偉大な歌手は、存在するはずがないと思う。

偉大なものは自然現象と同じく沈黙を強いる。

拍手をするなど毛頭思えない。

カルーソーのみならず、ハイへッツ、カザルス、シャリアピン、トスカニーニ、数え上げたらきりがない。

昔は海外演奏と言ったら何週間も船に乗り、波に揺られ太陽の浮き沈み、満天の星を目の当たりにし、人生は50年と言われた時代。

今、生きているという生命の尊さを実感したのだと思う。

生命の尊さ、神に対する畏敬の念と感謝、そこから偉大な芸術が生まれる。

現代には、沈黙を強いるような偉大な芸術は、いっさい存在しない。

演奏旅行といえば、一晩飛行機に乗って莫大な金銭を手にする時代に偉大なアートが生まれるはずがない。

又、俳優にしても、昔は毎晩舞台に立たなければ、お金は貰えない。

今は、一本映画に出演すれば何億というお金が入る。

名優が生まれるはずがない。

もし、現代で偉大なものを後世に残したかったら戦争をやめることだ。

それに引き換え各国は、自分の国の新兵器の開発に血眼になっている。

戦争を止めるには、どうしたらいいかを彼らから一言も聴いたことがない。

ZEN