2017年12月24日日曜日

俳優を目指す若者たちへ

 
 

今回は、元ゼミ生ジュンイチの質問に答えることにする。
(本人が名前を公表しているので)
未だに、ジュンイチを生徒だと思っているので、単刀直入に言わせてもらう。
 
質問1.)
メソードアクティングは役に立たないのではないか?

 
まず初めに、アクターズ・スタジオについて、説明の必要を感じる。
 
教師ストラスバーグは、スタニスラフスキーの俳優訓練で育った俳優たちを見て感動し、是非、この偉大なシステムをアメリカの俳優訓練に取り入れたいと始めたのが、アクターズ・スタジオの始まりである。
 
オーディションシステムのアメリカ社会に適応するよう、徹底して研究したのが、アクターズ・スタジオの基礎となっている。
 
メソード ・アクティングと言う呼び名はストラスバーグが付けたものではない。
 
スタニスラフスキーの教えに基づいたこのアプローチがマーロン ・ブランド、ジェイムス・ ディーン、 キム・スタンリー等、次々と大勢の俳優を輩出したので、世間がメソード・アクティングという名をつけた。
 
アクターズ・スタジオは多くの人が誤解しているが、訓練の場所ではない。
 
俳優は、才能があればあるほど、微妙な自分自身で解決出来ない問題を抱える。
 
殆ど大部分の演出家は、この問題を解決出来ない。
 
そこで、ストラスバーグは才能ある俳優たちの問題解決に乗り出した。
 
彼曰く、
「俳優が抱えるこの問題を今日、解決出来るかもしれないし、5年後かも知れない。しかし、必ず、解決してみせる。」
と。
 
で、アクターズ・スタジオでは、俳優の基本訓練は、一切やらない。
 
基本訓練は本人に任せる。
 
又、彼は
「才能無くして、訓練は役に立たず。訓練無くして、才能は役に立たない。」
と常に言っていた。
 
よってアクターズ・スタジオでは、年に千人以上の俳優の中から一人、二人をオーディションで選んできた。
 
メンバーになれば、一切無料、週二回のクラスに、毎週通おうが、10年に一度顔を出そうが全く自由。
 
一方、俳優の基本訓練、「センソリー訓練」五感の記憶の訓練は、アクターズ・スタジオと一切関係なく、ストラスバーグが、個人で、別の場所にて有料で教えていた。
 
この訓練を目撃して、感動し、知らない間に10年間、ストラスバーグの人生、最後の日まで彼のクラスを受け続けた。
 
アクターズ・スタジオのメンバーの中で一年受けた人は殆どいない。
 
有名になると彼の個人のクラスを受けるのは難しくなるので、みんな、よく僕に聞きにきた。
 
彼の訓練が役に立つか、どうか?とゆう質問に対して、具体的な例を挙げてみよう。
 
不思議なことに、ぼくの演出能力、演技能力を買われて、
「ゼンはメンバーと同等の扱いをする」
と、メンバー全員の前で発表された。
 
そして、しばらくして、最終試験に招待するから受けるようにと事務所から通達があった。
 
試験当日の3日前である。
 
殆どの申し出を断るのに,どうゆう訳か、OKしてしまった。
 
(現在、トップで活躍している俳優が、何年もかけてメンバーになっている。そして、挑戦するたびに、毎年大きく成長していった。)
 
たった3日間で、セリフを覚えるのがやっと、追い詰められて悲惨の一言。
 
当日、7時間も早くスタジオに駆けつけて、なす術もなく、部屋のかたすみでうずくまっていた。
 
(当日の詳しい状況は、他の機会に)
 
ふと、我に返って 、この絶対絶命の苦境を救ってくれたのが、ストラスバーグの最重要訓練、感情の記憶とプライベートモーメントであった。
 
感情の記憶とは、自分の人生で、一度か二度経験した強い感情(怒り、悲しみ等)を思い出して、役のために使うことだ。
 
専門的になるので省くが、実際にこの感情を思い出すのに、約45分程かかる。
 
それを訓練によって1分までに縮める。
 
プロの仕事だ。
 
ぼくの事件の1つは、小学年の時、アメリカの爆撃機に一晩で街全体を焼かれ 、火の海を彷徨った経験だ。
 
ニューヨークの自分のアパートで何回も何回も繰り返し練習して修得した。
 
事件の当時は、何も感じていなかったが、思い出してみると、恐怖心、絶望感、怒り等、強烈な感情が押し寄せてきて、毎回、頭に激痛が走り耐えられないと思った。
 
(これらのエクササイズは手取り足取りで教わったわけではない。ストラスバーグが、経験したことのないイチ俳優を使って、アプローチをしたのを見ただけだ。)
 
あらゆる職業、ジャンルで皆、自分の壁を乗り越えてプロになる。
 
ぼくは、自分でマスターした。
 
もう1つマスターした。
 
それはマスターすべき重要な訓練である。
 
プライベートモーメントだ。
 
ストラスバーグの重要な発見、スタニスラフスキーのいう公開の孤独だ。
 
舞台で観客の視線、抑圧をシャットアウトするために、自分の部屋を身の回りに想像することだ。
(五感の記憶で)街を歩いている時も、オートバイを乗っている時も常に、想像された自分の部屋を持ち歩いた。
 
ストラスバーグの特別な許可を得て、アクターズ・スタジオのクラスで、プライベート・モーメントのエクササイズを持ち込んだ。
 
素っ裸になった。
 
なんの抵抗も感じなかった。
 
アクターズ・スタジオの歴史上素っ裸にになったのは、僕一人だと言われた。
 
舞台を降りて気恥ずかしいと感じたが 、ストラスバーグの訓練の素晴らしさを伝えることができて、とても嬉しかった。
 
それ以来メンバーたちは、プライベート・モーメントに強い関心を持ち練習し始めた。
 
試験の当日、自分の順番がくる7時間前にスタジオに入って、最後の最後まで追い詰められて部屋の片隅で身動きができなかったが、突然、天の助けで想像力が湧き 、役の心情を掴むことができた。
 
その心情を表すために、感情の記憶とプライベートを使うことができた。
 
ステージに上がると自分の部屋の黄色い床が見えた。
 
誰もいない。
 
10数人の審査員がいたが、なんの抑圧もないどころか、こちらから彼らを観察できた。
 
そして、感情の記憶からドラゴンが火を噴くような強さで、舞台でいっぺんに吐き出したため、その後一週間腹部に痛みが続いた。
 
この二つのエクササイズを習得していたためメンバーになれた。
 
(試験の詳しい模様は別の機会に掲載する。)


 
又、記憶に残る別の例を挙げてみる。
 
当時、スタッフの一人に才能豊かなマユミという女性がいた。
 
地方に出かけた時に、一老女優が、近づいてきてメソード・アクティングとは何か質問された。
 
マユミにエクササイズの一つ、パーソナル ・オブジェクト(舞台で何か大切なものを手渡される場面で 、実感できなかったら、自分の五感の記憶を通して自分が、大切にしていたものにすり替える。)
厳しい訓練を乗り越えてきたマユミの手のひらに即、小鳥があらわれた。
 
我々には見えないが、マユミにとって色、形、ぬくもり、動き、鳴き声が五感の記憶を通して現実のものとなった。
 
彼女はすっかりと想像の世界に心を奪われて、顔が幸せに輝いていた。
 
しばらく、もてあそんでいたが、マユミは、その部屋の窓を開けて、小鳥を外の世界に手離した。
 
彼女の顔に微妙な変化が現われた。
 
喜びと一抹の寂しさだ。
 
部屋の空気が一変して静まり返っていた。
 
老女優が、僕に近づいて来て涙を流しながら言った。
 
「悔しい! 自分が一生求めてきたものを、この小娘が、出来るなんて!」
 
その後、マユミを優しく抱きしめていた。

 
このレベルで即、舞台で出来るのは、マユミと僕のワイフみゆきだけだ。
 
必死でエクササイズに取り組んだからだ。
 
エクササイズ自体は、才能はいらない。
 
必要なのは、情熱と努力だ。
 
みゆきは、この3年間、一般社会人のリーダー達をメソードエクササイズを通して、個々の潜在能力を引き出す仕事に熱く燃えている。
 
みゆきは、毎朝、必ず5時に起きて仕事をしている。
 
アル ・パチーノも、朝5時に起きていた。
 
デ・ニーロは、役作りのため、一ヶ月もタクシードライバーをやった。


 
ジュンイチ、あんたは、僕の生徒だったから云うが、
毎朝、5時に起きて、一年間、エクササイズをやれ。
 
もし、役に立たなかったら、捨てろ。
 
それだけだ。
 
あんたを見ていると、自分の気に入ったバットさえ見つかれば、ホームランを打てるのだが、と言っているようなものだ。
 
イチロー選手を見ろ。
 
フォアボールで一塁に向かう時、大切にバットをグランドに横たえる。
 
今、自分の手にするバットを大切にしろ。
 
ジュンイチは神経過敏だ。
 
当時のゼミ生は誰でも知っている。
 
今、あんたの周りにいる人は、あんたを本当に愛している人だ。
 
大切にしろ。
 
偉大な作家、画家、芸術家に神経が異常な人が多い。
 
ジュンイチも天から貴重な贈り物を与えられている。
 
人の風評など気にせず、自分の胸に聞いて突き進め。


 
ゼミには、極端に芸術に傾倒して研ぎ澄まされた神経を持つ俳優が二人いた。
 
マユミとミユキだ。
 
マユミは、独立してキャリアを築こうとしてゼミを離れて行ったが、思うようにいかなっかたようだ。
最後に会った時に、子供を連れて、すごく幸せそうだった。
嬉しかった。
 
いつも、大切なのは、有名になることではない、人生に、感謝と喜びを感じることだ。

 
もう一人は、ミユキだ。
 
演劇に対する凄まじい情熱だ。
 
日本で最年少で、お琴の教授の免許をとったが全てを投げ捨ててゼミに飛び込んできた。
 
ゼミに来て初めて演技してみんなから拍手を貰ったのは、ミユキだけだと思う。
 
スタッフとしての仕事のために、自分自身の精神的苦痛を押さえ込んで、仕事を全うした。
 
河口湖に移ってきて、アーサーヤーノフの本『感情の解放』に触発されて自分の抑圧された感情に手を付けた。

(キッチンの片隅に身を寄せて、薬を片手に、震えていたのを覚えている。)
 
僕が、すすめたわけではない。
 
自分の過去の抑圧された感情に自分の意志で、手を付けた。
 
強烈な抑圧された感情が噴き出して来て、のたうち回り、苦しみの叫びをあげ続けた。
 
僕は、危険を感じやめてほしいと願った。
 
その後、彼女は変わっていった。
 
平野みゆきと名乗り、自分の演技に関わった経験を通し、社会に役立てようと新しい仕事を始めた。

彼女がどこに行っても、本当に信頼し合える友達が出来るようになった。
 
(スタニスラフスキーが、有名な俳優に是非、素晴らしい教師を紹介してくれと頼んだ。YESと云う返事をもらって大喜び。誰だと云う問いに対し、あなた自身だと答えが帰って来たと云う。)
 
僕自身は、誰かを有名にしようと思ったことはない。
 
40年間無遅刻、無欠席、(ストラスバーグも遅刻したことはない。)メソード・アクティングの訓練を通して一人一人の潜在能力を刺激して、この人生で自分自身の素晴らしさを体験できたらと願っている。
 
ゼン・ゼミを受けた全てのゼミ生に、あの時の青春の輝きを思い出して、現在の生活の活力にして欲しいと強く願っている。


 
ZEN
 

ザ・アクターズ・スタジオと恩師ストラスバーグの思い出



~第4話~
 
当時、アメリカのビザを取るのに人任せで、滞在期間が7日間とは知らずに、慌ててジャズダンスの学校に入学した。
 
音楽のリズムに合わせてステップを踏むなど、僕にとっても問題外でいつもクラスの最後列にいた。
 
後で知った話で、当時、自分が若くて美しいと意識していなかったが、男性教師たちはほとんどが同性愛者で、彼たちにとって、僕が理想の恋人に映ったとの事だ。
 
一年か二年、ダンス学校に必死な思いで通いながら、日本レストランでアルバイトすると言う無為な日々が続いた。
 
(現在の僕の身体の柔軟性は、この時代に造られた。)
 
今、考えると突然、奇妙な事が起こった。
 
ディアナ ・ソレンソンという名の女性が近づいて来て、
「ゼン、あなたにアクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグを紹介する」
と言ってきた。
 
何のことかよく分からなかった。
 
当時、アクターズ・スタジオの事も、ましてやリー・ストラスバーグのこともまったく知らなかったし、興味もなかった。
 
当時、ストラスバーグは、個人のクラスをカーネギー ホールのレッスン室を借りて、演技クラスを開いていた。
 
彼女は強引に僕の手を引っ張って、彼のクラスの真っ最中に部屋の真ん中を横切って
「ゼンは日本で有名な演出家で、是非アクターズスタジオを見学させて欲しい」
と大きな声で何のわだかまりもなく彼に告げた。
 
たとえ、彼女がアカデミー主演女優賞をとっていたにしても、こんな事を言えるはずがない。
 
当時、ストラスバーグは、マーロン・ブランド、ジェーム・スディーンを始め、数々のアカデミー賞受賞の俳優を大勢輩出していて、飛ぶ鳥も落とす勢いだった。
 
しかし、今、考えるとこの事が、僕の人生の方向を変える大きなポイントとなった。
 
ストラスバーグは、厳しい顔つきで、一言
「NO!」
と言った。
 
僕は、パニック状態で 、何が何だか訳もわからず
「Thank You」
と言って握手し、ゆっくりと部屋を横切って廊下に出た。
 
40人程いた生徒の視線が僕の背中につきさしたのを今でも覚えている。
 
しかし、ディアナは、引き下がらなかった。
 
ITI(inter nationale)に掛け合ってアクターズ・スタジオの見学の許可を取った。
 
不思議だ。
 
ディアナとは、個人的な関係もなく、僕の性格として、誰かに誘われると大抵断ってきた。
 
この時ばかりは、何が起きているか、訳もわからず、演劇などに何の興味もなく、ただ彼女に付いてアクターズ・スタジオの門をくぐった。
 
そして、この日が僕の人生を大きく変える転機となった。
 
今、思い返してみると、彼女ディアナは僕の天使だったかも知れない。
 
スタジオの門を潜ると奇妙な事が起こった。
 
 
ZEN

第52回 『神との対話』に魅せられて

 
『神との対話』の著者 ウオルシュは、
「こう叫ぶ人たちには、どうおっしゃるんでしょうか?」
と神に尋ねた。
 
「わたしはあなたに呼びかけたが、答えては下さらなかった!  
 わたしが「神」に助けを願わなかったと思われるんですか?
 とんでもない、どうしてこれほど絶望したと思われますか!
 「神」にさえも見放されたと思うから、これほど絶望しているんですよ!
 わたしはまったく見捨てられたんだ。
 もう、こんな目にあうのはいやだ。
 耐えられない。
 おしまいです。
 たくさんだ!」
 
神は言った。
 
「それでは言おう。
 いま、たったいま、あなたの前に答えがあるかもしれない可能性について考えることだ。
 目を見開けば、見えるだろう。理性を開けば、わかるだろう。
 心を開けば、答えがあると感じいるだろう。
 それでは言おう。
 絶対に知って、わたしに呼び掛けるときにだけ、あなたは答えが与えられていることに気づくだろう。
 なぜなら、「あなた」が知って、「あなたが」が感じて、「あなた」が宣言すること、それだけがあなたの真の経験になるから。
 絶望のうちにわたしに呼びかけても、わたしはそこにいるが、しかし、絶望があなたの目をくらませ、見えなくするだろう。」
(『神に帰る』p96)
 
 
このあと綿々と人間に対する真実と愛のメッセージが続く。
 
もし、あなたが人生のどん底に落とされ、暗闇に一人取り残されたと感じるようなことがあったら、是非、このページを開いていただきたいと願っている。
 
僕が、ニューヨークに平々凡々と一人住んでいた時の事、真夜中に突然眼が覚めて、得体の知れない恐怖心に襲われ 、全身がガタガタと震え、思わず天に向かって両手を合わせたことがある。
 
それまで 、神の事など一切無関心だったのに。
 
無意識に手を合わせた事、あの時が、自分にとって神の存在をいちばん身近に、肌で感じたのだろう。
 
人がこの世に生まれた理由は、自分の素晴らしさを体験するためだと書かれてある。
 
40年間、精一杯無遅刻、無欠席で若い人達をガイドしてきたが、近頃特に、何か物足りなさを感じさせられる。
 
とても自分の素晴らしさを感じ取れるレベルに達していない。
 
今、もう一度自分自身にチャンスを与え、人々の真の成長に、自分の精神とからだの全てを注ぎ込み、神から与えられた自分自身の素晴らしさを、是非体験したいと強く望んでいる。
 
 
ZEN

俳優を目指す若者たちへ

 
昨夜、夜遅く久しぶりに、映画『ゴッド・ファーザー』のビデオを観た。
 
マーロン・ブランドとアル・パチーノの演技力のみに集中して4時間半余りのこの物語を観終わった。
 
映画史上最高傑作と言われているこの作品で、二人の演技力の違いをじっくりと見ることが出来た。
 
全ての批評家も認めていることだが、マーロン・ブランドは20世紀後半の最高の俳優である事に異存はない。
 
でも、殆どの人が見落としていることがある。
 
彼は稀に見る才能とスター性を兼ね備えていた。
 
スター性とは、舞台に出て来ただけで、観客を興奮させ、引きつけてしまう。
 
エルビス・プレスリー、マイケル・ジャクソン、マリリン・モンロー等
 
スタニス・ラフスキーは、スター性は天から俳優に送られた最大の贈り物だと言っている。
 
当代随一の演技力とスター性を注ぎ込んで誕生した『ゴッド ファーザー』は画面に忽然と登場し、彼の喜びや、悲しみ、苦悩の、数々を我々は目のあたりにする。
 
(ストラスバーグは、「 マーロン・ブランドは名優になる可能性はあったが、名優とは言えない」と言っていた。ストラスバーグは、過去にドゥーザ、サルビーニ、シャリアピン等偉大な俳優たちをを目撃していたからである。現在、宣伝のために誰もが名優になってしまう。)
 
一方アル・パッチーノは現在、演技派として高く評価されているが、とてもブランドの演技力に及ばない。
 
そのことは本人もわかっている。
 
アクターズ・スタジオでアル・パチーノが言っていたが、
「野外のテーブルで,二人で話すシーンで、マーロン・ブランドが、あまりにも小さい声で話すので、本当に耳を傾け聞かなければならなかった」
と言っていた。
 
その為とても、良い場面になったと思う。
 
又、アル・パチーノのベストシーンは、レストランで悪徳警官とボスを殺すシーンだと思っている。
 
トイレに隠された拳銃を捜すのに、有るか無いか、まったく知らないという、印象を与える。
 
モーメント、モーメントと言われる演技だ。
 
トイレを出て殺しに行く前に、両手で髪を抑える仕草が印象に残る。
 
 
 
若い俳優のみならず、日本の俳優たちは演技とは何かの認識に欠ける。
 
映画史に残る名作と言われるマーロン・ブランドの演技を何度も何度も繰り返し観て、他人に聞き回らないで、演技に対する認識を高めて欲しいと願っている。
 
「人は認識と共に育つ。」ストラスバーグ
 
 
ZEN