2017年12月7日木曜日

第49回『神との対話』に魅せられて



よく、一般の人から俳優になるためには何をしたらいいのか聞かれることがある。

『神との対話』に
「信じれば、見えてくる」
という言葉が出てくる。

演技とは信ずる事だと云われる。

舞台に立って、ここは自分の部屋だと信じられるだろうか?
舞台に立って、ここは海辺だと信じられるだろうか?

誰でもあたまの中では簡単に思い出せる。

頭の中にあるものを目の前に置くのが俳優の仕事だと言われる。

水平線が在るとしたら客席の後ろから三席目あたりかな?
青い海、白い波 、海鳴りの音が聞こえるかな?
白い砂浜 、肌に焼きつく太陽、潮風 、これらの五感の記憶(視覚、聴覚、臭覚、触覚 、味覚)が働いてくるとあなたは想像の世界に住むことになる。

頭の記憶を五感の記憶に変えることで演技は成立していく。

又、演技が芸術に成り難い理由がある。

例えば音楽 は素材が人体の外にあり 、ピアノでもバイオリンでも完全に調律されていて常に正しく、美しい音を出す。

才能も明らかで5、6歳で天才だと騒がれる。

(俳優の才能は、見た目では分かりづらく、アクタース・タジオの長い歴史上、年間1000人以上の受験者のうち、合格者は1人か2人、一回の試験で、パスしたのは2人だけだと云われる。1人はスーザン、小柄で黒人で一見なんの取り柄もないように見えるが、スゴイ! 彼女の演技を観てショックを受け、思わず座っている椅子を掴んだ経験がある。彼女は今、教師をしている。もう1人は僕。その時の受験の模様を、いつか書いて見ようと思っている。)

俳優が使って表現する楽器は生きている人間の日常生活そのもの、勝手気ままに動いたり、喋ったり、本心を隠して嘘をついたり、人の目をいつも気にしてブレーキをかける。

この人間という調律されていない生きている楽器で、芸術を成立させるのは非常に難しい。

具体的な俳優訓練について書くと、専門的なことになるので 、この辺で終わりにしたいと思う。

しかし、幼い子供達は違う。

一定の年齢まで、感じるがまま、思うがまま自由奔放に振る舞い表現する。

子供と犬が出てくると名優も影が薄くなると云われる程。

俳優訓練は子供になる訓練だとも云われる。

いろいろ否定的なことを言ったが、但し、演技が真に芸術の域に達したらこれ程、人々に強烈な感動を与える芸術は無いと 云われる。

現代は 、演技は勿論のこと、建築 、絵画、彫刻等、偉大なものは一切存在しない。

イタリーに行って、ミケランジェロのピエタ像を観たが、今、天から舞い降りてきたという 近寄り難い印象が胸に焼き付いている。

僕にとって偉大な演技と言えば、唯一つ映画『ドン・キホーテ 』のシャリアピンの演技だ。

常軌を逸した行動と奇妙な服装で、だだ、ずかずかと歩く姿に、生涯忘れることの無い感動を与えられた。

驚く事に彼はオペラ歌手なのに。

これまで 、偉大さのみについて語ってきたが 、低予算で素晴らしく人々を感動させる映画は数多くある。

『 大草原の母』
『恋人のきた道』
等々…すべて、愛の物語だ。

偉大な演技はさておいて、少なくともおばあちゃん達が
「ありがとうよー、本当によかったようー」
と涙を流して喜んでくれたら、我々俳優は、舞台から降りて行って
「お婆ちゃんありがとう。僕もとても幸せです」
と言って、肩でも揉んであげたら良いと思っている。



ZEN


(次回は俳優訓練のみならず、社会人が、自分らしく生きるために、抑圧された感情をフリーにする必要性と方法について述べてみる。)