~第10話~
前回よりつづく。
ストラスバーグは言っていた。
「全ての人は同じ量の資質を天から与えられている。その資質の全てを演出、演技につぎ込んだら、かなりの仕事をしていたかもしれないし、有名人になていたかもしれない。しかし、有名になることを恐れていたのだろう。有名になったらマスコミ等の圧力に振り回されることに耐えられないと、潜在意識的に気がついていたのだろう。」
(僕は、静岡生まれ、気候は温暖、雪の降ったのをみたことがない。海あり、山あり、温泉あり豊かさに恵まれて、過去一人として有名人が出たことがない。)
チャンスはことごとく断ってきた。
アル・パチーノが僕の演出でやってみたいと言ってきたし、
ポール・ニューマンが僕の『藪の中』の演出を観て、
「自分がプロデュースするから、日本に帰るな」
と言ったし、
エリア・カザンが黒澤明に紹介すると言ってきたし、
映画の主役を提供されたこともあった。
ポール・ニューマンが僕の『藪の中』の演出を観て、
「自分がプロデュースするから、日本に帰るな」
と言ったし、
エリア・カザンが黒澤明に紹介すると言ってきたし、
映画の主役を提供されたこともあった。
しかし、それらの誘いを避けてきたおかげで僕の持っているすべてのエネルギーを俳優教育に注ぎ込むことができたと思っている。
俳優教育は人間教育だ。
それぞれが、
まず、心にたまったゴミを吐き出して、
風通しを良くし、
将来、どのような道を進もうとも、
周りの人々を喜ばせ
(それは自分を喜ばせる最良の方法)
自分の本来の姿で生きられるよう、
お互いに刺激しあっていきたいと願っている。
まず、心にたまったゴミを吐き出して、
風通しを良くし、
将来、どのような道を進もうとも、
周りの人々を喜ばせ
(それは自分を喜ばせる最良の方法)
自分の本来の姿で生きられるよう、
お互いに刺激しあっていきたいと願っている。
人生は何かになるためではなく、
いかにあるかだと思っている。
いかにあるかだと思っている。
話は、『雪国』にもどるが、ストラスバーグとメンバーたちに初めて作品を公開したときは、僕は、2階のバルコニーから観ていて、俳優達がもうちょと、ああしてくれれば、こうしてくれればと思っていた。
しかしプレイが終わった途端、突然の拍手とスタンディングオベーション。
(アクターズスタジオでは、教育の場所なので拍手は、一切しない事になっている)
バルコニーの階段を降りて、ストラスバーグの前に 出て聞いた。
「なぜ、みんな拍手するんだ?」
と。
と。
ストラスバーグは言った。
「ゼンはこのプレイの全てを演出し、あれこれとプランしただろう?」
僕は
「イエス」
と答えた。
「イエス」
と答えた。
彼は言った。
「ゼンはプレイをプランしたけど、拍手はプランしなかっただけだ。」
と。
と。
僕にとって深く心に残る恩師の言葉だ。
メンバー達は蜂の巣を突いた様に興奮して、
アクターズ・スタジオはこうあるべきだ!
あああるべきだ!
とゆう議論を戦わせていた。
アクターズ・スタジオはこうあるべきだ!
あああるべきだ!
とゆう議論を戦わせていた。
僕一人取り残された様な感じがしたことを覚えている。
ストラスバーグに直ぐ外に向けて、一般公開する様に言われた。
ZEN
余談になるが、メンバー達は直ぐ本屋に駆けつけて、英訳の『雪国』を読んだ。
そして言った。
「ゼン!あんたの演出したこと、どっこにも書いてないじゃないか?」
と。
と。
それは、違う。
僕は、『雪国』の作家川端康成を尊敬して、小説なのに、一字一句余さず、全てを俳優に語らせている。
そのアプローチは、ある男が、『雪国』をこよなく愛していて、この本を夜遅く読み耽っていくと、ある晩、物語の人物が、彼の部屋をふと通り過ぎるのをきっかけに、雪国の世界にだんだんと深くはまり込んで行く。
そして、限りなく美しい世界が展開して行く。
才能とは、自分のものではない。
天からの贈りものだと実感している。
全ての人に与えられている。
ただ、気がつくだけだと。
ZEN