2017年2月26日日曜日

第十一回『神との対話』のすすめ

驚いたことに神様が 、セックスについて答えている。
「セックスはいいことだ。セックスと戯れなさい。肉体によって体験できるもっとも、喜び溢れた体験だ。でも、一つ言っておくが、性的な無邪気さや喜び、純粋なおもしろさ、楽しさでセックスを誤用することにより破壊しないでもらいたい。力を得るため、 隠れた目的のためにセックスを使ってはいけない。自我を満足さそるためや支配するために使ってはいけない。純粋な喜びと高度なエクスタシーを与え、分け合うという 目的以外に使ってはいけない。」と。

考えてみると動物たちは、命ををかけて子孫を残そうとしている。
産卵期の亀、激流をさかのぼって産卵し、その場で命を落す鮭たち、又、雌を獲得するための命を懸けた動物たちの壮絶なる闘いのドラマが至るところで繰り広げられている。
セックスを楽しみ喜び合えるのは、神から与えられた人間へ の特別な贈り物だと思う。
しかし、セックスに絡んだ相手に対する嫉妬心や抑圧された感情で相手に危害を与えたり、売れるからといって、セックスを売り物にする映画等々、日常茶飯事に見受けられる。
神から人類に与えられたセックスは喜び、と云う特別な贈り物を 各自が存分に活用し、
あるがまま、感ずるがままに表現して感謝とともに大切にすべきだと思う。
「セックスを支えるエネルギーは 人生を支えている。それが生命だ!互いに感じる魅力、相寄って一つになりたいという激しい切実な欲求は 生きているすべての本質的なダイナミズムだ。わたしは、それをすべてに組み込んだ。存在するすべてに生まれつき備わった、本質的なものだ」
と書かれている。
また、
「時の初めからすべての人間は愛し、愛されたいと望んできた。時の初めから、愛し愛されることを可能にするため、力の限り、あらゆる事をしてきた。セックスは大いなる愛の表現である。他者への愛、自分への愛、生命の愛の表現だ。」
そして、つづく。
「わたしは、この本だけを通して語っているのではない。あなたの魂の真実のなかに、私の声を聞きなさい。精神の静けさの中に、わたしの声を聴きなさい。」と。
「わたしの真実は風のささやき、小川のせせらぎ、稲妻、雨音だ。土の感触、百合の香り、太陽の暖かさ、月の満ち欠けだ。
私の真実ーーそしてあなたが困った時の頼りになる支えーーは、夜空のように荘厳で、赤ちゃんのおしゃべりのように単純であどけない。
心臓の鼓動のようにささやき、わたしと一体になった息づかいのようにしずかだ。
わたしはあなたから離れない。離れることはできない。あなたは私の創造物、作品、娘であり息子、わたしの目的であり、そして わたしの・・・・・、自己だから 。
だから、いつでもどこでも、神の平安から切り離されたら わたしを呼びなさい。
わたしはそこにいるだろう。
真実と
光と
愛とをたずさえて。」
みなさんの何人かのひとに興味を持ってもらええればとても嬉しい。
それぞれのおもいで、それぞれの生き方に役に立たとしたら、とてもありがたいです。
本書に神は、
【人にこの本を勧めるとき、この本は真実だと云うな、僕にとって真実だが、「あなたはどう思う?」と聞けと云う。客観的な真実は存在しないからだ】と。
それで 「あなたは、どう思う?」
これらのコラムを書くことで同じページを何回も読み直したし、初めの頃は、パソコンは、指をなめながら打ち込むような始末でした。
大変勉強させていただきました。
ZEN
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2017年2月17日金曜日

第十回『神との対話 』のすすめ

『神との対話』に病気になる人は、病気を愛していると書かれている。
病気を愛しているなんて病気だと思う。
でも、考えてみると、自分の都合で病気を理由に学校や会社を休んんだり、
気の向かない誘いを断ったりしている。
又、病気だといって、自己憐憫に落ち入り、自分を慰めたり、他人の同情心を得たいがため、哀れな人間を演じ、病気を利用している。
もし病気を愛していないとすれば、『神との対話』に、
「すべての病気は、自分で作り出している。珍しく病気を愛していないことがあれば、病気が進みすぎたからだ。」と。
殆んどの人は、まったく無意識に病気を作り出している。
「自分が何をしているかさえ気づいていない」と。
だから病気になったとき、何にやられたのか分からない。
自分でした のではなく、よそから何かが降ってきたように感じる。
そんなことになるのも、ほとんどの人が、健康上の問題だけでなく、
人生を無意識に生きているからだと。
ひとはタバコを吸っていながら、どうしてガンになったかといぶかる
ひとは動物性食品や脂肪をとっておきながら、どうして動脈硬化になったのかといぶかる
ひとは一生怒り続けながら、どうして心筋梗塞になったのかといぶかる
ひとは信じられないほどのストレスに耐えて、過酷なー競争をしながら、どうして 発作が起こったかといぶかる
と書いてある。
心配は最悪の精神活動の一つであり、憎しみは自己破壊的であり、
不安は、あなたの精神的、肉体的健康に悪影響を及ぼす。
又、うぬぼれ、わがまま、欲張りも肉体的な病気につながると書いてある。
前回も書いたが、僕自身、心臓が悪いと思い込んで、病気に なってしまった。
その気づきのお陰で、現在は、風光明媚な富士山のもと、新鮮な空気の中、80年かかって湧き出ている富士山の水を、飲んで暮らしている。
食事は、みんなが持ってきてくれる無農薬野菜とお米。
庭造りの 肉体労働。
そして、すぐ隣がジムで、プールや運動器具全て完備。週3回のからだの訓練。
寝る前に15分の瞑想。
医者に与えられたくすりも納得してシッカリと欠かさず飲んでいる。
病気になり、経済的に恵まれなくなって初めて気付かされた。
なんと恵まれた、幸せな生活だろうと!
病気は自分が蒔いた種だと受け入れて、新しい希望の種を蒔き、あなたの心の庭に、美しい花を咲かせよう。
ZEN
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2017年2月12日日曜日

第九回『神との対話』のすすめ


一部の富裕層を除いて、多くの人は、部屋代 、ローンや借金の返済、税金 、車の維持費、ガス、電気、水道代等々に神経を悩ませる。
ある人は、子供の教育費も何とかしなくてはと。
神との対話の本にこんな事が書いてあった。
「殆んど同じ技術を持った二人の人間がいる。
どちらも大学を出ていて、クラスで一番だし、自分のしていることをよく理解していて、自分達のツールを楽々と使う術を知っている。ところが、ひとりの方は、うまくやっている。一方は苦労ばかりだ。」
どちらも同じことをしているのに。
ある人たちは大金を稼ぎ 、ある人たちは、暮らしが立たない。
それは「していること」のせいではなく「在り方」のせいだと云う。
その在り方とは、ひとりは解放的で、親しみ深くて、こまやかで、親切で、思いやりがあって、陽気で、自信があって、仕事を楽しんでいる。
もう一方は閉鎖的で、よそよそしく、冷たくて、不親切で、陰気で、自分がしていることを嫌っている。
またこの本に、
「本当に好きな事をして暮らしている人は、何が何でも、そうしたいとこだわっている人だ。彼らは諦めない。決して譲歩しない。好きなことができない人生なんてあってはならないと思っている。」と。
自分の過去を振り返ってみる。
十数年の住み慣れたニューヨークから帰り、東京と河口湖で俳優達を教える仕事をしてきた40年間、一度も遅刻した事がない。
誰かを有名にしようと思ったことも一度もない。
その人、その人が持っている本然の輝きを見たかったし、本人に見せてあげたかった。
彼等は、輝いていた。
青春の花をいっぱいに咲かせていた。
時に、素晴らしい演技を目撃し、その感動をみんなで分かち合った。
彼等の演技に感動し、若者の成長を見るのが好きだった。
今、振り返って、つくづくこの仕事が好きだった のだな、と思い返している。
( 日本でも、アメリカでもハリウッドを目指せと云っているが、アクター スタジオのメンバーに選ばれるのは、毎年千人の受験者から一人か二人、実際に活躍しているのはそのメンバーの中でも、ほんの一握り。アルパチーノやデ・ニーロは、同期のメンバーなので良く知っているが、天から恵まれた才能以上に、俳優という仕事に対する異常なまでの努力を思い出す。)
人生で大切なことは、一にも二にも好きな事をやる事だと書いてある。
もし、演技をすることが好きだったら、真実を求め、美を求めてそれを想像の世界で表現し、観客を感動させることだ。
たとえ観客が5人でも、6人でも。
もしおばあちゃんが、涙を流してくれたら大成功!
舞台から降りておばあちゃんの肩を揉んであげたらいい。
だって、好きな事をして喜んで貰えたから。
今、やってる仕事が食いぶちを繋ぐために、嫌々やってるのだったら辞めたらいい。
もし、好きな仕事が見つからなかったら、全力を挙げて、いまの仕事が好きになるまで、徹底して研究し 、努力すればいい。
好きになる。
間違いなく人生が楽しくなる。
ZEN
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