2017年7月25日火曜日

第二章 俳優を目指す若者たちへ



~真実に対する感覚~
ゼン・ヒラノ


演技には、二種類あると言われる。

体験の演技か、
説明の演技かである。

例えば、恋に落ちると云う場面で、恋に落ち胸がときめく体験をするか、
もう一方は、表情、身振り、声を使って、「私は恋に落ちています」と説明するかである。

体験の演技は、眼の色が変わる、息使いが変わる。

説明の演技では、眼の色は変えられないし、心臓を速めることもできない。

目は魂の窓と言われ、その俳優が本当に感じているかどうかは眼を見ればわかる。

これから、演技力を高めたいと思うなら、トップクラスの俳優の眼を見て本物の演技に対する認識を高めることだ。

演技賞を貰った俳優の、あなたが感動する場面を何度も何度も繰り返し見て、本物の演技とは何かを見極めることだ。

この観察を続けると、どの俳優が、何をしようが、画面に現われた瞬間、その俳優がどのレベルの俳優か判るようになる。


最近観た映画『キャロル』は、二人の女性同士の恋物語だが、人間が恋に落ちた時、何が起こるか、すったもんだのアクション無しに、雄弁に物語っている。

特に彼女たちの眼を見て欲しい。

センス オブ トルース」という言葉がある。

一流になればなるほど、この真実に対する感覚が研ぎ澄まされてくる。

現場で全員が「ブラボー」と拍手するが、あろ俳優は、もう一度撮り直してくれと要求する。
教師も生まれつきだと言われる。
嘘を見分ける能力だ。

僕が、ストラスバーグの個人のクラスで、初めて戯曲の一場面を演じ終わった時、彼は言った。
「今日、ゼンの演じたすべてを、信じることが出来る。非常に良かった。但し、コーヒーカップにコーヒーが入っていなかった。」
訓練の場に於いて実際にコーヒーを入れたりしない。
それは俳優の想像力で補うべきだ。空のカップに想像力で、五感の記憶でコーヒーの香り、味、暖かさを実感できたら、想像の世界に入り込む鍵だ。

何十年前の、ストラスバーグのこの指摘は、
真実の感覚とは何かを教えてくれた、僕の一生の宝となっている。

信頼できる教師がいなかったら、自分の胸に聞くのがいい。

真実に対する感覚を育てることが、
あなたを自分自身に連れ戻し、
人の言動に左右されない、
自分自身の道を歩むことになる。

ZEN
(次週は、俳優の具体的訓練について)

2017年7月21日金曜日

第32回 『神との対話』のすすめ

~悟りの境地とは~

悟りの 境地とは、
自分の価値判断を入れずに、
全てのものを、
あるがままに受け入れることである。
それは、実在の世界に足を踏み入れることだ。
あるがままの存在をあるがままに受け容れることは、束縛からの解放を意味する。
自由だ。
あなたが、自己主張を強めれば強めるほど、相手は、反抗を強めてくる。
事実を事実として、只、見つめれば、相手は消滅する。
この、まぼろしの様な、はかない存在は姿を消していく。
そして、あなたはあるがままの姿を見ることになる。
しかし、あるがままの存在も、常に姿を変えていく。
この世に、変化しないものは、存在しない。
あるがままのものを、変えたかったら、抵抗も、否定もしないで、そのあるがままの中に入って行きなさい。
否定するという事は、これこれは、事実だと表明することだ。
表明する事は、それを実現させてしまう事になる。
つまり、ある事を否定すれば、その事を、再現させてしまう事になる。
しかし、 それを受け容れれば、あなたは、それをコントロールする立場になる。
否定すればあなたはそれをコントロール出来なくなる。
何故なら、あなたは、それは、存在しないと言っているから。
だから、あなたは、自分が否定したそのものに支配される事になる。
※※※※※※※※※※※
以上の文章は、僕にとって大切な教えなので、1日がかりで、英語の原本から自分なりに訳してみたが 、全くひどい。
自分の語学力の無さを思い知らされた。
英語は国際語なので、世界中どこへ行っても、なんとか役に立つ。
若く、記憶力の良い時に、是非、英語を習得して欲しいと願っている。
あなたの人生に、別のレベルで世界が開けて来ると思う。
日本人にとって難しいのは、ヒヤリングだ。
一対一ではなんとか交流出来ても、グループの中に入って、意志を疎通出来なければ、異邦人になってしまう。
教材をいくら変えても上達しない。
僕は、思うのだが、NHK BSで『ABCニュースシャワー』という番組を毎週、放送されている。
この番組を録画して、何度も、何度も繰り返して聞けば、一年もしたら、英語は、なんとかなると思う。お金もかからないし、日本人が日本語を習得するのに五年や十年かかるのだから。
やがてあなたが、英語をマスターし、『神との対話』をこよなく愛していたら、上記の箇所を訳して、僕に送って欲しい。
その頃は、もう、僕は、この世にいないと思う。
あの世に行けば、この本は必要が無くなるだろうと思っている。
でも、もしかしたら、小脇に抱えて出発するかもしれない。
ZEN
※※※※※※※※※※
英文 conversations with god. book 3 page 150
日本語訳 神との対話 3 ページ 186 サンマーク出版


第一章 俳優を目指す若者たちへ

~体験の芸術とは?~


最初から俳優を志ざす人達にとって、厳しい話になるが、ストラスバーグの生前、アクタースタジオのオーディションで、年間1000人以上の受験者で選ばれるのは、一人か二人です。
何年もかけて合格したそのメンバー達のなかで、実際に活躍しているのは、そのうちのほんの一握りの人たちです。
(アクタースタジオは、誰かをスターにするつもりは、毛頭ありません。俳優が個々に抱えている演技上の問題を、時間をかけて解決しようという場所です。)
多くの養成所や人達が、あなたをスターにするようなことを、謳い文句にしていますが、
誰も、誰かをスターにすることは、出来ません。
それは観客によって造られるものです。
ある俳優が、舞台やスクリーンに登場すると、無条件に観客を魅了してしまう人をスターと呼ばれます。
(スタニスラフスキーは、俳優に与えられる天からの最大の贈りものは、このスター性だと言っています。)

唯一、マーロン・ブランドは、スター性と才能を兼ね備えた俳優だと言われています。
現在のトップスターたちが、彼の演技力にとても追い付きません。
本人達が承知しています。

最初、マーロン・ブランドの演技を見て、どこが良いののだと思うかも知れません。
僕もそうでした。
「波止場」「欲望という名の電車」「ゴッドファーザー」等を繰り返し観て、演技に対する認識を高めてください。
彼の、「ラストタンゴ・イン・パリ」の死んだ妻に語りかける彼の独白は秀逸だと思っています。
(ストラスバーグは彼をまだ、名優だと思っていません。過去には、ドゥーザ、サルビーニ 等、偉大な俳優の存在を目撃したからです。)

俳優の真の喜びは、スターになることではなく、想像の世界に生きることです。

他人の体験した人生を、あたかも、自分に起きたように体験し、味わい尽くし、実感し、表現する事です。

それを、体験の芸術と言われます。

アメリカ等のトップクラスの俳優は、殆んど全員体験の演技をしています。
それが出来なければ仕事にありつけません。

日本では、芸能、建築、陶芸等、形に対する卓越した伝統のせいか、役の人生を体験出来る俳優が殆んど皆無です。

次週は俳優の正しい訓練方法について掲載します。

ZEN




第31回『神との対話』のすすめ

人生目的、真の自分とは、どうあるべきかを決定し、真の自分になることだ。真の自分になるために、それは向かって毎日実践する。それが、あなたの全ての行動、全ての考え、全ての言葉において。」
というようなことが、本に書かれている。

本当の自分、
こう在りたいと思う自分、
理想の自分とは、
一体どんな姿をしているのだろう。

真の自分は、自分の中に住んでいる。

その姿に対面するには、
自分の身体に住みついている汚れを手放すことだ。

仏像の彫刻師が祈りを込めて、掘り進めていくとそこに仏の姿が見えくると言っていた。

僕自身も身体に住みついたエゴを、気づきと共に一枚一枚、祈りを込めて手放して行かなくては。
気分屋であり、沢山のエゴに取り憑かれている僕にとって大変な作業になる。

今、思い返してみると、84歳になる施術師Oさんも、ぼくの身体に染み付いたエゴを揉み出すために、5時間も休まずに揉み続けてくれたのだ。
又、この1年の間、600畳もある3階建の家を掃除し続けているKさんが、掃除をすると心の風通しが良くなると笑顔で言っていた。
彼女は掃除をすることで、エゴを掃き出しているのだ。

まず、朝、眼が覚めて久し振りにユックリと寝られたことに感謝、聖なる自分と向き合うという思いが影響したのかも知れない。
すぐに、起き上がらないで10分ほど思いを巡らた。

昨夜、脱ぎ捨てたものや、使い捨てた物を片づけ、不必要な物を部屋の外に出した。

僕の寝室は、階段の吹き上がりに建てた自作の8畳ほどの寝室だ。

広い窓から庭が一望できる。

庭にあるすべてのもの、
夏草に覆われた大地、
風に揺らぐ木々、
夏の日差しを受けて短い命を謳歌している花々、
汚れない美しい空気のなか、蝶や鳥、虫たちが与えられた生命を精一杯謳歌している。



人間は天からの選択の自由を与えられた。
明るい日差しの道を歩くか、
暗い夜道を歩くかだ。

その時々に、
自分のエゴに気づき
愛を選択していきたい。

今日1日頑張ってみよう。

人間の行動には、二つしかないと『神との対話』に書いてあった。

人間の二つの動機しかないと。

「愛にもとづくか、不安にもとづくか」

だと。
真の自分に出逢うことが出来たら・・・・・

ZEN

第30回『神との対話』のすすめ


「低い意識にとりまかれている時は、自分の考えを大事にした方が身のためだし、高い意識にとりまかれている時は、まわりに屈服した方が身のためだ。だから、高い意識を持った人を探し求める方が賢い。どんな人と道連になるかということが、大切なのだ。このことは、いくら強調しても強調しすぎることはない。」
と『神との対話』に書かれている。
若い時に、真に尊敬出来る師に出会うこと、高い志を持つグループに所属することが、自分自身を成長させる、大きな鍵になると思う。
今、私自身の人生を振り返ってみると、両親(一度も叩かれた事がない)兄弟を始め、あまりにも多くの愛情深い人々にサポートを受けてきた。
あるところの理事は、僕を男にするのだと言って、当時の駐米大使に会わせてくれたり、ポール・ニューマンが、「全て面倒を見るから、日本に帰るな」と言ってくれたり、エリア・カザン(アメリカNO、1の演出家)が、雪の中1時間も歩いて、たった二人のリハーサルを見にきてくれ、「黒澤監督に紹介する」と申し出てくれた等々。
その他、映画の主役の話を持ちかけられたりしたが、すべて断ってきた。
有名になりたくなかった。
幸せになりたかった。
今の、若者の風調は、お金や名声よりも幸せになりたいと云う。
僕は、半世紀前からスタートしている。
「ゼンは時代を先乗りしている」
と、いつも言われる。
そんな時、出逢ったのが、恩師リー・ストラスバーグだ。
彼は唯、有名無名に関わらず、スタジオメンバーの個々の俳優が直面し、苦しんでいる演技の問題を解決しようとしていた。
売り込みは勿論のこと、プロデューサーも立ち入り禁止とした。
僕に、ピッタリの人に出逢った。
彼の俳優を成長させたいという想いはすざましく、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン、アル・パチーノ 、デ・ニーロ等、傑出した俳優を誕生させた。
ストラスバーグはアクターズ・スタジオとは別に個人のクラスを持っていた。
そこでは、演技の基本訓練を教えていた(有料)。
僕は、夢中になった。
メンバーの中に一年も通った俳優は殆んどいない中、僕は10年間通い続けた。
訓練の全てをマスターし、
「もう、クラスを受ける必要がない」
とまで言われた。
高い意識を持った人に出会えた、
僕の熱く萌えた青春時代だった。
現在、河口湖に500坪の3階建ての家に住んでいるが、一年ほど前に中年の一女性Kさんが現れ、H 夫妻を連れてきて庭造りと、建物の掃除を始めた。
(今だ続いている。)
もう一人、現在、この世で僕が、最も尊敬している人がいる。
彼女は84歳、施療師である。
松葉杖無しではあるけない。
この場所は、かけがえの無い聖なる風が吹いてると言った。
(エンジェルガーデンと名づけることにした。)
彼女曰く、
「脚が悪くて本当に良かった。脚が悪いと多くの人が親切に助けてくれる。脚が悪かった為に、人々の親切心を引き出すことができた。神様のおかげや」と。
僕は、彼女のレベルに達するには、少なくとも二、三回生まれ変わる必要があると思っている。
ZEN
(以前、彼女に関するエッセイがあるので、掲載します。)



『ゼン・ヒラノ演技ノート(番外編)』
「僕は松葉杖をついた天使に出会った。」
僕は、松葉杖をついた天使に出会った。
彼女は84歳。
西に病の人の求めあれば、大きなリックを背負い、カバンを斜交いにかけ、両手の松葉杖で不自由な脚を庇いながら夜行バスに乗る。
絶えず穏やかな笑顔をたたえて。
東に求めの声あれば又、松葉杖を携えて東の夜行バスに乗る。
彼女はマッサージ師である。
常に笑みを浮かべて疲れた様子を見せた事がない。淡々と注意深く人の心と体の疲れを揉みほぐしていく。彼女の悠久の大河の流れを想わせる態度に時間は存在しないように思えた。
今回、僕は部屋に横たわり、庭を見ながら彼女の治療を受けていた。
庭の木が風で美しく揺れ動いている。
僕は心と体が緩んでいき、静かな時間が流れているのを感じていた・・・・・・
暫くして、理由もなく目頭が熱くなり僕の目から涙が流れてきた。
何でこんなに感傷的になったのか訝しげに思った。
それから、しばらくして、このおぼろげな想いが何なのかはっきりして来た。
僕の背の後ろで人間の形をした天使が黙々と仕事をしている。
それは天使だ、彼女は天使だ!
紛れも無く天使だ!
と確信した。
喜びとも愛おしさとも言えない涙が、止めどなく静かに溢れて来た。(こんなに泣いたのは、30年前に恩師が他界した時以来だ。)
僕の部屋に天使がいる!
ふと思った。
我々は、いつも、 おおぜいの天使に出会っているのに気づかないのかもしれない。
そうこう想いにふけっているうちに、別の感情がやってきた。
すまない、もったいないないという思いだ。
その思いに満たされて又、涙が溢れて来た。
僕のような凡庸な人間に天使は、かかづりあうべきではないと。
世のため、人の為に命まで投げ出した偉大な人 達がこの世には、大勢いる。
ガンジー、キング牧師、マリア テレサ、リンカーン 、そして、 ご高齢なのに身体の不自由を押して被災地に駆けつける天皇陛下と美智子妃殿下。又、野球の練習は絶対に見せなかったのに、脳梗塞を患って、同じ病の人々を勇気づける為にリハビリを公開している長嶋選手等々、数え上げたらきりがない。
天使達よ!
僕のまわりでウロウロするな。
これらの偉大な人々のところに翔んで行って、彼らの心と体の疲れを癒して欲しいと。
またして、ふと気がついた。
これら偉大な人達はみんな天使かも知れないと・・・・
庭に夕陽が傾いていた。
松葉杖をついた僕の天使よ!
有難う。
とても、愛しています。
ZEN


2017年7月3日月曜日

第29回『神との対話』のすすめ




〜思考をコントロールする〜
人は普通、考えて、それを行動に移す。
今晩、何を食べようかと考える。
そうだ、ピザを食べよう!
冷蔵庫を開けるとピザはなく餃子が目につく。
まあ、餃子で良いかと考えて餃子を食べることとなる。
良くも悪くも人間は考えたことを行動に移す。
人生は、もし、否定的な考えを肯定的な考えにコントロールする事が出来れば、陽当たりの良い道を歩いて行くことになる。
パスカルの「人間は考える葦である」と言う深遠な意味はさて置いて、「人間は考える脚」考えて行動に移すのだと。
人間は、考えを現実する能力を与えられた。
海に行こうと思えば海に行けるし、山に行こうと思えば山に行ける。
そんな事無理だといえば、無理になる。
思考をコントロールするということは、より明るい肯定的な清らかなものに目を向け、考えを否定的なもの、悲しみ、怒り、羨望、不安に意識的に向けないようにする事だ。
私ごとになるが、昔、オートバイに乗っていて、免許取り立ての若者にぶっつけられ、15メートル程引き摺られた事がある。
二週間程入院したが、
「この程度で良かった、ラッキーだ。」
と考えられたことが回復を速め、心理的な後遺症も残さなかった。
『神との対話』に
「人間の行動にもとづくものは二つしかない。愛にもとづくか、不安にもとづくか」
だと。
あなたが今、やろうとしていること、解決しようとしていることが、
愛にもとづくか、不安にもとづくか、自分の胸に聴いてみるといい。
愛にもとづく選択があるはずだ。
他人のためにやる事は、全て、自分の為にやることだと。
愛を与えれば、愛を受け取ることになる。
愛にもとづく考えに方向転換する。
それが思考をコントロールすることだと思う。
ふと、立ち止まって、今やろうとしていることが、愛にもとづくか、不安にもとづくか考えてみよう。
愛にもとづく選択をすれば、その愛は全てあなたに返ってくる。
愛とは何かと考え抜くことで愛に満たされ、善とは何かと考え抜くことで人間愛に満たされ、美とは何かと考え抜くことで偉大な作品が生まれ、真実とは何かと考え抜くことで神の存在を知る。
ZEN
このエッセイは、みなさんを通して自分自身の為に書いている。
いつも、お世話になってます。
感謝しています。
ありがとう。
ゼン・ヒラノ