2018年5月31日木曜日

短気合宿クラスを終えて

2018.5/14〜5/16

ゼン先生 ミユキ先生
3日間ありがとうございました。

僕達参加生徒が快適に過ごせるように準備して下さったり、
車で帰りの送迎をして下さり、
いつもはあまり人を入れないという2Fへ招待して下さったり、
レポートを夜中の3時まで見て下さり、
また時には終了時間を過ぎても僕達に熱く教えて頂き、
多くの気づきを与えてくださったこと、
とても感謝しております。

合宿を終えてから、
少しづつですが僕のバイト先で周りの反応が変わっています。

合宿の翌日、周りの方に
「急に明るくなったね」
「何か良い事でもあったの?」
「元気で良いね」
と言われる事が増えました。

僕自身はただ合宿から同じように、東京でもゼン先生に仰って頂いたことをしていただけ、続けていただけで周りの反応も変わることを実感しました。

「僕達はエンターテイナーだ! だから人々を笑顔にしよう!」
「今は若さしかないんだから明るく生き生きと生命力溢れて!」

ゼン先生の言葉が何度も頭に蘇ります。

「難しいものを楽に出来るようにしよう。楽に出来ることを習慣にしよう。習慣を美しいものにしよう。」

ストラスバーグの言葉が胸に刺さりました。

ゼン先生は
「習慣にしなさい」
と仰ってくれました。

「ここで得た気づきや学びは、習慣にしなければ意味が無い。」

その言葉のおかげで僕は勇気を持つことができました。

今僕もアル・パチーノやミユキ先生同様に、朝5時に起床して、合宿で教えて頂いた数々の訓練をしています。
訓練中に
「このやり方で合っているかな?」
などと思うこともありますが、
ミユキ先生の
「とにかくやってみるんだよ!!」
という言葉を思い出して、一歩一歩着実に進んでいこうと決めました。

「顔が暗い、表情が固い、身体が固い、首が固い、笑顔にしなさい!」
そんな言葉をゼン先生から投げかけられていましたが、この合宿で気がつく事ができました。

今の僕には若さしかないんだから、何で暗い顔をしていたんだろう?
何かできるわけでもないのに周りの視線や体裁を気にして、自分の人生なのに他人に意識が集中しているのがもったいない。

ミユキ先生に
「他人なんて自分のことで精一杯なんだから、あんたのことなんてちゃんと見てないんだから!」
と大きく笑い飛ばしていたことを思い出すと、本当に自分でもバカらしく感じて、すぐ笑ってしまいます。

書き出すと止まらないぐらい今回の合宿で気づいた事がたくさんあります。

ゼン先生、ミユキ先生、アサヒに巡り会えたことが、僕にとって何よりも幸運で感謝すべきだと感じています。

本当にありがとうございました。

そして次にお会いできる日を楽しみに、また大きく変化した自分をお見せする日を楽しみにしています。

ありがとうございました!

2018.5.17
Y.W

2018年5月30日水曜日

俳優を目指す若者たちへ

回、短期合宿クラスを開いて、痛感したことは、受講者が若いのに若さが足りないと言うことだ。

あなた達が持っている武器、セールスポイントは、若さだ。

若く、明るく、ハツラツとしていて、生命力に溢れて生き生きとしている事だ。

若者らしく、
常に笑顔を浮かべ気持ちを込めて、
「ありがとうございます!」
「是非やらして下さい!」
「精一杯やらせていただきます!」
あなたのキャリアを導いてくれるのは目上の人だ。

感謝は、
あなたを救う、
世界を救うと言われる。

お世辞を言っても通じない。

たとえ相手方がどんな態度をとろうと、全てはあなたの経験になる。

自己主張を辞めて、
感謝の気持ちを表そう。

まず合宿クラスで、僕が手をつけるのは歩き方だ。

今まで、明るさと生命力に溢れ生き生きと歩いて見せた人はほとんどいない。

ベタ足だったり、腰を不必要に動かしたり、顎を突き出したり、他人の視線を気にしてギクシャクとした歩き方をする。

「あの俳優さん、歩き方が素敵ね」
と言われる。

スタジオの鏡に向かって、僕の指示に従い何回も何回も歩き方を矯正すれば簡単にできる事だ。

僕より美しく歩く俳優を見た事がない

モデルのように歩くのではなく、明るく生き生きと生命力にに溢れ、軽やかに、颯爽と歩く事だ。

街中を歩くにも自然で、若者らしく、あなたらしく美しい歩き方ができるようにしよう。

あなたは、
俳優だから。

スタニスラフスキー
「困難なものを楽に出来るようにしよう。楽に出来るようになったら、それを習慣にしよう。習慣を美しいものにしよう。」


ZEN

2018年5月29日火曜日

俳優を目指す若者たちへ


演技の訓練方法が、
他の芸術分野(ピアノやバレー)のように確立されていない。

日々、生活で使っているこの生きた肉体を通して、想像された世界を表現しようと云うのだから。

社会で永年にわたって、
泣くな、怒るな、はしゃぐな等、
感じたことをコントロールするように訓練されたので、
感じたことをあるがままに表せなくなっている。

そこで、多くの俳優達は感じたフリをする。

それを紋切型の演技と言う。

そこで俳優訓練の第一歩は、
からだのあらゆる部分、メンタル(首から上)の部分を意識的に緩めて、
あらゆる感情や衝動をあるがままに、声に乗せ表現する事を要求される。

個々のの俳優を実際に調べてみると、
それぞれが、習慣的な緊張を抱えていて、
それを指摘し、ほぐしていくと、
泣いたり、笑ったり、今まで溜め込んだ怒りの感情等をさらけ出すことが常である。


今回、合宿クラスを開いたが、
やってきた生徒が、体のそれぞれの部分を意識的に緩め、
メンタル(首から上)の部分をを緩めるよう導くと、
その生徒本来の姿が現れて驚かされる。

俳優訓練の第一歩は、
リラックスの訓練だとあらためて確信させられる。

先ず、自分の体のどの部分が緊張しているかを見つけ、
(長年、この仕事に携わっているので、その人の前に立つとその生徒のどこに緊張があるか、自然に伝わってくる。)
緊張する箇所を見つけたら、そこに注意を集中して緩まるように動かし
(ゆっくりと大きく)
緩んだかどうか、チェックする。

体を緩めると何かの衝動が起きることが多い。

衝動が起きたら、
それを声にして胸から出す。

胸から出した声は、
感情が伝わり易い。

音量を一定にして、
バイブレーションを入れれば、
台詞に感情をのせる事が出来る。

とにかく、
リラックスすると、
驚くほど、その人の本当の姿が見えてくる。

1日、5分か10分、
リラックスを習慣づける。

リラックスは、注意の集中を高めて、演技訓練の基本中の基本。

是非実行して欲しいと願っている。

(今回の男子生徒も、第一印象は、暗くて頑なな印象を受けたが、リラックスをしてみると、明るく生命力に溢れ、多弁で笑顔、警戒心からフリーになってハンサムな男性になっていた。)


ZEN

2018年5月19日土曜日

ザ アクターズ・スタジオと恩師リー・ストラスバーグの思い出


~第16回~

河口湖に引っ越して来て、この20数年間殆ど毎日大工仕事をしている。

二階の百坪ある空間はみゆきと僕のプライベートな空間で、引っ越しをして来るなり、いきなり7部屋か、8部屋の壁を取っ払い、柱を引っこ抜いて、天井を叩き落として鉄骨をむき出しにしてアメリカン スタイルのロフトにした。

この20数年間この家のアレンジは、自分のセンスで
他の人が、指一本触れていない。

夜起きて、このリビングにライトをつけると家具の配置、照明等、本当に美しいと感動する。

(あまり、人に見せた事がない)

30年ほど前のことになるが、アクターズ・スタジオの恒例のパーティーに飾リ付けをやって欲しいと頼まれた。

当時、飾りつけなどやった事がなく、強引に押されて渋々引き受けることになった。

今、覚えているのは、
カラフルな雨傘が二、三十本あったので  、吹き抜けの高い天井からつるし、ホイールでおおきな折鶴と小さな鶴を折って天井から吊るしライトを当てたりしたのを覚えている。

パーティーが始まって、
当時、名の知られた演出家や俳優たちが、一人一人ステージに上がるたびに、
「アクターズ・スタジオが、こんなに美しくなったのは初めだ」
と絶賛していた。

全く予期しないことで驚いた。

何がそんなに感動したのか、不思議だった。

又、その日、ある俳優が自分の結婚式の会場の飾り付けをやってくれないかと頼んで来た。

勿論、断った。

又、オフィスから、恒例のアクターズ・スタジオ アカデミー賞を渡す一人に加わって欲しいと言われた。

急いで、アパートに戻ってハッピと、竹の棒と、トイレットペーパーを取りに行った。

僕のプレゼンテーションの番が来て、右手に持ったトイレットペーパーを左手でうやうやしく延々と引き出し、厳かに誰も分からない日本語で、こんな飾り付けなどやりたくないとか、勝手気儘なことをスピーチした。

当時の僕のワイフ、ヨシが通訳として立ち、僕が延々と日本語で喋って一息つくたびに、
「ザ、アクターズ・スタジオ」
と彼女が厳粛に、大きな声で通訳した。

僕が何を喋ってもヨシは
「ザ、アクターズ・スタジオ」
とメンバーたちに伝えた。

スタジオのメンバーは、爆笑。

僕の親友である  老優ウイル・ ヘヤーは、あんまり可笑しかったので床に頭をぶっつけて、瘤ができたと見せに来た。

その後、受賞者の封筒を渡されて開封する段に、その封筒を頭の上高く投げ上げて、腰に刺した竹竿で、大声とともに居合抜きで切り落とした。

勿論、開封できないので、後ろ向きになり小腰をかがめて、コソコソと封を切った後、威風堂々とメンバーに向かって、自慢げに封筒を高々と指し示した。

メンバーみんなが一斉に爆笑と拍手をしたのを覚えている。

会が終わって何人かがやって来て、
「ゼンはコメディアンだと思う。」
と言われた。

真のコメデアンは、生まれつき。

アクターズ ・スタジオの僕の10数年間の間にたった一人のコメディアンと呼ばれた女性がいた。

彼女がテーブルに着いてコーヒーを飲もうとカップを持ち上げるとみんながドット笑う。

びっくりしてカップを戻すとまたみんながドット笑う。

僕は、コメデアンではなく、演出能力だと思っている。

ZEN

2018年5月12日土曜日

俳優を目指す若者たちへ


~アクターズ・スタジオ オーディション~

人間は、死力を尽し全力でなにかに立ち向かった時、神からの授けものインスピレーションがやって来るのだと思う。

インスピレーションと云えば、私ごとになるが、昔ニューヨークに住んでいた頃の話。

ザ・アクターズスタジオのオフィスから、最終試験を受けるように言われた。

(最終試験に招待される俳優は滅多になく、スタジオの永い歴史上、合格したのは二人だけだと言われる)

普通最終試験にたどり着くのに4,5年掛かるのに冗談でなく試験日の3日前のことだった。

(これまでに、スタジオで演出と演技を評価されたのが要因だと思う。当時、年間1,000人以上の受験者の内、最終試験の合格者は1人か2人。)

「YES」と言って、今、考えると無謀にも一歩前に出た。

相手役には、当時の雑誌の表紙に、彼女の美しさは心の美しさと紹介された北欧の美人アルバが、協力してくれた。

(スタジオには美人が少ない。一切容姿で取らないから。マリリン・モンローとアルバは例外。)

3日間のリハーサルは無残。

何1つ掴めないまま過ぎてしまった。



当日、僕は、不安から試験の5、6時間前に行ってしまい、スタジオの片隅でジット蹲っていた。

アルバが巫女のように僕の前に立ちはばかり、興奮した他の俳優達が僕に話し掛けるのを防いでくれた。

無味乾燥な時間が刻々と過ぎて行った。

徹底して追い詰められた。

苦しかった。

その時ふと、ある考えが浮かんだ。

僕は、何故、ここで、こんなに苦しんで待っているのだろう。

勿論試験を受ける為だ。

しかし、僕の演じる役は、何故、こんなに苦しんで待っているのだろう?
と。

そこから、想像力に火がついた。

(僕が、演じる役は、映画『さよなら』からの歌舞伎俳優の役だ。)

役の世界に入り込んで、自分と役がひとつになって行った。

役、つまり僕は、
先週、これが芸術のあるべき真の姿だと確信して新しい形を舞台で表現した。

上司達は其れが気に入らなかったらしい。

今日は給料日、上司は(審査員)は、一人一人名前を呼び、呼ばれた者は、2階のホールに上がって行く。

ほおら、又一人降りてきて,また一人呼ばれて上に上がっていく。

僕は幹部俳優なのを知っているのに、彼らは延々と僕を待たしている。

3時間も、4時間もだ!

役の人間としても、僕自身としても、こんな所に1分も居られない。

ドアを蹴破って出ていって二度と戻る気はない!
と言いたいが、 妻が病気で入院している。

今日どうしてもお金を持っていかなければ!

僕の想像力は、高く、遠く羽ばたいていった。

その当時までには、かなりの演技力を体得していて、一生に一度か二度しか体験した事のない、深い悲しみの感情を、意識的にこの場で起させることが、出来るようになっていた。

その事件に集中し始めると、直ぐさま強烈な感情がやってきた。

(前々からストラスバーグに、「ゼンは非常に強い感情を持っている」と、指摘されていた。僕が怒りを爆発させると、7、8人の屈強な男たちが舞台の外へ逃げて行くのを何度も経験した。不思議に思った。俳優は命なんか要らないやと思わなければ相手を動かせないと思っている。)

その感情を確かめる為に、ふっと息を吐くと胸が焼け、ドラゴンが火を噴いているようだ。

普通このような激情をキープできるのは15分だと言われる。

しかし、僕の名前が呼ばれるまで、30分以上待たなければならない。

苦しかった。

感情が消えてしまわないようじっと耐えつづけた。

名前を呼ばれ階段を駆け上がった。
「ゼン・ヒラノ」
と叫んだのを今も記憶している。



想像のドアを両手で横に押しひらくとニューヨークの僕のアパートの黄色味がかった床がみえた。

(プライベイトモーメントと云う訓練のお陰で、自分以外に誰もいないと云う感覚がやってきた。)

ドアを閉めた。

自分の部屋で一人きりになった。

この数時間、胸に溜め込んだ怒り、悲しみ、挫折感を着ているものを剥ぎ取って床に叩きつけて、叫び声と共に、一気に吐き出した。

腸のあたりに激痛が走って、体が静かに床に沈んでいった。

(この痛みはその後一週間続いた。)

あゝ、これで、試験は終わったなと静かに思った。

その時、スタニスラフスキーの言葉を思い出した。
「舞台は演ずるために行くのではない。戦うために行くのだ。」

また、ストラスバーグは、
「怖いと思ったら一歩前にでろ! それがゴーサインだ。」

痛みに耐え、全身の力を込めてユックリと立ち上がった。

天が与えてくれたインスピレーションの大波の真っ只中に身を置いていた。

たとえ一万人の競争相手がいたとしても僕がトップだと確信した。

このようなインスピレーションがやってくると、不思議な意識の分裂を経験する。

夢中になって演技している役の自分と、それを何処か高いところで見守っている自分がいる。

後者の自分が
「ゼン・お前のダンスで鍛えた美しい身体を使って、想像した鏡の前に立ち、ダイナミックなポーズを見せてやれ! これがアートだ叫んで審査員達を喜ばせてやれ! 彼等は芸術が大好きだから。」

「次は机の所に飛んで行け。拳を固めて叩いて挫折感を演じろ。彼等は又、採点するぞ。」

俳優の自分は、全力をあげて、役の人生を誠実に、真剣に生きているのに。

挫折してぶざまに、醜態をさらけ出し、ボロボロになった男を、いつのまにか、戸口に立った北欧の美女が静かにジーとこちらを見ている。

又、審査員の同情を買って採点されている。

涙を誤魔化す為、隈取り用のハンカチを探したが、係りが、置き場所間違えた為、僕は必死になって探した。

舞台で実生活と同じレベルで行動できるのは稀なる幸運だ。

又、採点される。

夢中に役を演じながら同時にどこで採点されるかをすべて知っていた。

「ゼン、サンキュー」
の声がして演技を終えた。



十数人あまりの審査員が、こちらを見ている。

戦いは終わった。

何か、とめどなく悲しい気持ちがした。

オーディションは二度と受けないと思った。

待合室に降りて行くと、二人ほど審査員が興奮気味に駆け下りてきて、
「もう少し待っていれば、ストラスバーグから直接話があるだろう」
と言われた。

しかし、荷物をまとめ、何か、もの悲しい気持ちで、ひとり暗闇のニューヨークの街に消えて行ったことを記憶している。


そして、僕は教師の道を選んだ。

いま、考えるとメンバーになったことで、大きく人生の方向が変わって行った。

「怖いとと思ったら一歩前に出よう! それがGOサインだ!」

それがあなたの人生を変える。


ZEN

2018年5月10日木曜日

俳優を目指す若者たちへ


今回、初めての試みとして2泊3日の短期合宿クラスを開く事になった。

みんなそれぞれの想いを持って、ここ河口湖にやってくる。

先ず、それぞれが人間の本来持っている明るさ、イキイキさ、笑顔を引き出し、何処に行っても場を明るくし、あの人といると楽しいと言われるような人になれるようにしていきたいと思う。

俳優はエンターテナー、人々を喜ばせるのが、仕事だから。

それだけでなく、笑顔、明るさ、イキイキさ、人々に対する感謝の気持ちが、キャリアを築くことになる。

この3日間、それぞれが、四六時中、鏡を持ち歩いて笑顔をこしらえ、少しでもお世話になった事を思い出し、又、現在の自分自身存在に対しても
「ありがとう!感謝しています!」
と明るく、声に出して言ってみよう。

それが、キャリアを築く一番の早道だから。

「感謝は、あなたを救う、世界を救う」
と言われる。

ザ、アクターズ・スタジオのトップクラスの俳優たちは、舞台に上がると鬼のような気迫の激しさだが、普段は誰に対しても優しい笑顔を絶やさない。

僕のワイフ、みゆきはその笑顔で、何処に行っても、誰にあっても人々に喜ばれる。

スタニスラフスキー曰く、
「困難なものを楽にできるように、楽にできるようになったものを習慣に、習慣を美しいものに。」
と言っている。

「あの俳優さん、笑顔が美しいねー」
と人々がいうのを耳にする。

みゆきにガイドしてもらおう。


そして、僕の仕事は、ザ、メソード アクティングの俳優の基本訓練、集中力とリラックス、五感の記憶、また、マイケル・チェーホフの俳優の肉体訓練を体験して貰い、将来に向かって正しい演技術に対する認識を高めて貰うよう努力しようと決意している。

ZEN


「俳優は認識とともに成長する。」
ストラスバーグ

第60回『神との対話』に魅せられて


ここ河口湖で合宿クラスはを始めることで、いろいろ考えさせられた。

『神との対話』の本に
教育という言葉は「引き出す」と云う意味であって、「押し込む」と云う意味でではない。真の教育はすべて、既にあるものを生徒から引き出す事だ。
と書かれてある。

「マスター」は、教えるべきものがすでにそこにあること、だから押しつける必要はないことを知っている。

「マスター」はただ、そこにあることを生徒に気づかせようと努める。

教えるとは、ひとが何かを学ぶ手助けをするのではなく、思い出す手助けをすることだ。

学習とは、すべて思い出すことであると。

つまり、教えるとは、何かを与えることではなく、思い出させることだ。

現在、40年間、教師としての過去を振り返かえってみて、一人一人の成長を願って、無我夢中になってやってきたが、生徒という人間に対する認識が足りなかったと、改めて思い知らされた。

人はそれぞれに完璧で、その完璧さを体験する為にこの世にやってきた。

たとえ、手足のないパラリンピックの選手でさえ自分の完璧さを知って喜びに満ちあふれ、輝いている。

教師の仕事は、それぞれの生徒が持つ、天から与えられた能力に気づき、その気づきを本人に伝えて、体験させ、表現に導くことにあると改めて認識させられた。

このことは、教師としての自分の人生に最重要課題として頭の片隅に置いて、仕事を続けていきたいと決意している。

一粒の種が、大木になるのに、誰かに教わる必要はない。

ただ、刺激が必要だ。

太陽や、雨風だ。

教師の仕事は、生徒一人一人が、天から与えられたそれぞれの素晴らしさに、気づきを与え、体験さるメッセンジャーの仕事だとあらためて認識させられた。

ZEN


ザ・アクターズ スタジオのストラスバーグからのメッセージ。
「人間本来の姿に立ち返り、あるがままの自分をあるがままに表現する。」

ザ アクターズ・スタジオと恩師ストラスバーグの思い出



~第15話~


僕にとって、アクターズ・スタジオでの強く印象に残ってる演技経験がある。

ある日、チャック・ゴードン(脚本家、演出、演技。戯曲部門でビューリッア賞を獲得している。)が僕のアパートにやって来て、
「二人でプレーをやって、ストラスバーグを喜ばしてやろう。」
と言って、ピストルを渡された。

チャックから警官に見つかるなと言われたが、渡された拳銃を役づくりのために毎日持ち歩いた事を覚えている。

選んだ作品はハロルド・ピンターの作品 『ダムウエイター』

二人のギャングの殺し屋が、地下室に閉じ込められて、上からの指令を待っている。

いつ、誰からか、どんな指令がくるか全く知らされていない。

兄貴分の僕の役は緊張に耐えてジーッと待っている。

弟分のチャックの役は、苛つきを抑えられない。

リハーサルに入って僕がセッティングについて、二つのベッド、洋服ダンス、暖炉、ソファーの位置を指示すると、
「いや、セッティングはこうあるべきだと!」
と自分の主張を譲らなかった。

彼の好きなようにやらせておいた。

リハーサルをどうやったかは記憶にない。

前日の夜、僕は丹念に体を洗い、爪を切り髪を整え、世界に3人しかいないと言われた、背広づくりの名人のひとりノーマン・ブルックにこしらえてもらった背広を纏い、一分の隙のないキャラクターに変身して言った。

翌日、本番になってストラスバーグの『ダムウエイター』というタイトルの宣言と共にシーンはスタートした。

シーンが始まるや否やソファーに座ってた僕は、
「チャック大変だ。こっちにきてくれ!」
と低い声で呼びかけた。

訳もわからず駆けつけて来た彼に言った。

「チャック、ピストルを家に置いて来てしまった。おまえのピストルを見せてくれ!」

彼は何が起きたか見当がつずにピストルを僕に手渡した。

そのピストルをスタジオのメンバー全員に見えるように、ユックリと頭上に差し出し、
「素晴らしい銃だな!返して欲しいか?」
と言いながら全ての弾を抜き窓の外にほうりなげて、そのピストルを返した。

そして、彼に静かに言った。

「この部屋のアレンジが気に入らない。俺の言うとうりにつくりかえろ。」
と。

チャックは絶対に嫌だと噛み付いて来た。

僕は、おもむろにソファーの間に隠していた拳銃を取り出し彼の額に突きつけ
「変えろ!」
と静かに言った。

以前から、ストラスバーグに指摘された僕の気性の激しさがある。

みんな、僕が衝動に従って、次に何をやるかわからないと思うらしい。

彼は全ての家具を汗ダクになりながら、僕の思うとうりに配置換えした。

緊迫した雰囲気のなかで、プレイは淡々と進んでいった。

この戯曲には、有名なシーンがある。

僕が
「ヤカンに火をつけろ」
と手下のチャックに言うと、彼は
「ヤカンでなくガスに火を点けるだろ?」
と言ってくる。

僕は怒って
「ヤカンに火をつけるんだ!」
と睨みつけて言った。

もし、相手が一言でも文句を言ったら、額をぶち割ってやる。

赤い血が流れて綺麗だろうなと何時も思う。

99パーセント投げ込んでも、1パーセントの意識があれば、実際に殺さなくて済むと言われる。

脇にあった折りたたみのパイプ椅子を掴むと、彼の体スレスレのところを目指して投げつけた。

彼は顔面蒼白、2階のスタジオを駆け抜けて階段を駆け下り一階に逃げて行った。

後を追い襟元を掴んで、ステージに引きずり戻し、殺した。

そのようにして、プレイは終わった。

ストラスバーグが突然立ち上がって
「ここに、プロデューサーがいたら、ゼンは主役だ!」
と興奮して言った。

この様なストラスバーグの個人的な言動は後にも先にも誰も聞いたことがない。

その年の最高の演技だとメンバー達も言っていた。

チャックは、床に座り込んで、ストラスバーグに
「ゼンが怖くて、怖くて次に何をしていいかわからなかった」
と伝えた。

ストラスバーグは
「チャックの描く戯曲は結末がはっきりしすぎる。たまには、わからないのがいい。」
と言っていたのを今でも記憶している。

ZEN

(注、インプロビゼーションについて。 戯曲に書かれた人物、人間関係、状況、出来事、リアリティーをより深く理解するために、書かれたセリフ通りにリハーサルをやらない。このようにして戯曲の本質に近づいていく。)

2018年5月4日金曜日

俳優を目指す若者たちへ


あなたはどうして俳優になりたいのだろう?

自分では、良く分からないけど、どうしても俳優になりたいとしたら、
それは、魂の要求で自分の魂を磨き、自分自身を高めたいという要求。

是非突き進んだらいい。

もし、俳優になりたいという要求が、有名になりたいであるなら、
やめたらいいと思う。

今世で、自分を高めたい、魂を磨きたいという人間の本来の要求に反し、挫折するからだ。

でも又、挫折するのも良いのかもしれない。

本当の自分、自分の魂の要求に気づくチャンスになるかも知れない。

アクターズ・スタジオの連中を観ていると、アル・パチーノは朝5時起き、デ・ニーロは、役のためにタクシー ドライバーになったり、ハーヴェイ・ カイテルは、メンバーになるために10年も試験を受け続けた。

普段、みんなニコニコして いるが、強いエネルギーが伝わってくる。

70歳を過ぎてもこれらの俳優は、自分の演技を高めることに余念がない。

いつも、言われることだが、
才能があっても努力が無ければものにならないし、
努力があっても才能が無ければものにならないとい言う。

ここまで、まとまりのないグダグダした事を書いて来たが、
具体的な訓練方法として、アカデミー賞をもらった俳優の演技を、毎晩一本ずつ観つづけることだ。

TVのお宝とか言う番組で500万円だと思って、20年も大切に持ち続けたのが、5000円だと言われることがある。

俳優も同じく演技を見て、偽物を本物だと思い込んだら致命症だ。

真実に対する感覚を高めるのが俳優の仕事だ。


良い俳優の特筆は、
1)「リハーサルは無かった。今初めて起きている」という感覚。

2)考えられれば生きられる。人生では考えて言葉にする。殆どの俳優はセリフの記憶を言葉 にする。

3)感じたこと、考えたことが、自然のコースを通り、目に表れやすい。

4)想像の世界に生きることが喜び。

5)幻想を信じる力が強い。演技とは信じることだ。



これらの点に考慮して何百回もノミネートされた映画を観れば、あなたの中に真実に対する感覚が芽生えてくる。

この訓練を続ければ、俳優がスクリーンに表れた瞬間、どのレベルの俳優か解ってくるし、そして自分の演技のレベルも解ってくる。


ZEN

2018年5月3日木曜日

第59回『神との対話』に魅せられて




『神との対話』に
「目覚めているとは、生き方を選べる状態だ」
と書かれてある。


ということは、
多くの人は、目的もなく、意識もなく、パターン化した人生をひたすら歩いているのかも知れない。

夢遊病者の様に。

演劇で役づくりに、
いつ、どこで、誰が、何を、いかにしたかをはっきりさせろと言われる。


これを今、目覚めて生きるアプローチとして、現在の自分に当て嵌めてみる。

1)いつ?
今日。
久し振りにみゆきと交代で車を運転し、10数年振りに親友に会いに東京へ出かけた。
友人の1人は、杉の子の理事長、小澤さん、もう1人はスペインクラブのオーナー松井さん。
二人に会えて本当に嬉しかった。
美しいスペインの調度品に囲まれての現地調達の料理が次々に運ばれ、幸せな、心から楽しい時間を共にした。
変わらぬ友情の有難さをしみじみと味わった1日だった。

2)何処で。
自分の二階の勉強部屋で。
猛烈な勢いで宇宙のどこかの方向にすっ飛んでいる地球上の日本と呼ばれる小さな島国の一角、河口湖と呼ばれる富士山の麓、600坪の敷地に各階100坪の三階建の二階を徹底改造して、みゆきと二人だけで住んでいる。
庭は7,8本の桜が満開。
春を迎えて緑を増し今、改めて見回して心から感謝。

3)誰が?
僕、ゼン・ヒラノが。
恩師ストラスバーグに出会え、アクターズ・スタジオのメンバーになれ、教師として熱い想いで人生を歩んで来られた。
ここ数年間、何もしないで過ごしてきたが、人々それぞれの素晴らしさ、能力を気付かせ成長させると云う仕事に再び従事したいと決心している自分がいる。
多くの人の触れ合いの場所、喜びの場所にしようと。

4)何を?
『神との対話』を読んで、目覚めて生きるとはどうゆうことかを考えさせられている。
生活がパターン化し、何時もその日の気分や健康、雑事に気を取られ、太陽が輝き、青い空、鳥が囀り、花が咲き、猫がすり寄ってくるこの奇跡の地球に生命を与えられて生かされている自分に気付きを与えている。

5)いかにしたか?
椅子に座って、鏡に向かい
「ゼン!目覚めて生きろ。」
と語りかけている。



ゼン・ヒラノ

2018年5月2日水曜日

ザ・アクターズスタジオと恩師リー・ストラスバーグの思い出



~第14話~

当時、ストラスバーグの息子のジョンのワイフ に頼まれて、ブレヒトの作品の一場面を二人で演じることになった。

ブレヒトのプレイで、僕の役は失業したパイロット。

公園で自殺する場面である 。

舞台上で、公園を感じる為にセントラルパークに何度も、何度も通った。

公園は広いスペースだ。

歩くと落ち葉が、ガサガサと音を立てる。

大きな木、小さな木、いろいろな種類の木が点在している。

当日、舞台に上がった時に、僕は人気のない公園に立っていた。

と同時に、メンバー達全員が僕を見つめているという分裂している意識もあった。

僕の中に強い決意があった。

この場で、絶対に死んでやる。

メンバー達全員が一生忘れないような、素晴らしい死に方を見せてやると決心した。

ヒコーキが音を立てながら公園の上空を横切る。

「あいつらパイロットは、賄賂を使って飛んでいる。チクショウ! 絶対に死んでやる。思い知らせてやる!」

先ず、首を吊るにふさわしい美しい樹を見つけなければ!

ダンスで鍛え、太極拳で鍛えた身体に、五感の記憶で習得した能力の全てを動員して、想像上のロープを目指した枝に向かって高々と投げつけた。

スタジオのホリゾントのレンガ塀を駆け登って、ロープの輪に首を突っ込んだ瞬間、枝が折れた。

地面に叩きつけられた。

「チクショ ー!絶対に死んでやる」
と大声で叫びながら、ロープの輪に首を引っ掛けたまま、二本の木の幹にロープを廻し、片足を大地に、片足を幹に踏ん張って、全身の力でロープを引っ張って死のうとした。

どんな事をしても死にたかった。

(舞台で生きるのは、いつも命がけ)

そこに相手役の娼婦が、にやにやしながら
「あんた、何しているの?」
とセリフを投げかけ、近づいてくる。

僕は、相手を手招きして引き寄せ、いきなり抱きしめ、キスして地面に突き飛ばした。

(このことは、リハーサルでいっさい彼女に知らせてなかった。ショクを与えて
リハーサルを忘れさせ、今に、生きる為だ。)

地面に突き飛ばされた相手役は、ショックを受けて、全てのセリフ、全ての行動は正当化され、二人とも役の人生を刻々と生き始めた。

絶望感、疲労感、寒さ、雨の冷たさ等、すべてが肌を通して蘇り、肌を通して体験した。

これを人々は体験の芸術と呼ぶ。

二人の演技は川のように流れて行った。

僕の役は疲れ果てて、彼女の膝で眠りにつく。

相手役の最後のセリフ
「雨が止んだわ」
の一言で、シーンは終わるのだが、その一言がいつ迄たっても出てこなかった。

俳優として舞台で生きるという至福を、いつ迄も味わっていたかったのだろう。

ZEN