2018年8月30日木曜日

第22回 ザ・メソード演技訓練の実際


訓練
番外編


今回の合宿クラスに30歳前後の美しい女性がやってきた。

ミュージカルをやっていると言う。

彼女は『オペラ座の怪人』の一場面を演じて、歌って踊った。

ダンスはそれ程でもなかったが(僕は、ニューヨークで、何年もプロを目指してダンス教室に通った経験がある)、長年訓練しただけあって、歌唱力は充分に感じられた。

しかし、歌い終わって何の感動も伝わって来なかった。

(物語は年前に、失った父親の想いを墓石のの前で歌う場面)

多くの歌手やダンサーたちは、人間は何故、踊るのだろう、歌うのだろうと言う単純な問いを自分に、投げかけるのを忘れている。

歌手やダンサーでなくても、世界中どこでも人々は感極まって歌い出す、踊り出す。

自分のこの熱い想いを言葉や、身振りで表しきれないからだ。


多くの研究生たちはこの事を忘れている。

人は何故歌うのか?
何故踊るのかを?

作曲家や詩人が、振付師が、芸術性の高い素晴らしい材料を与えてくれているのに、自分がどう思われるかで頭が一杯で、人は何故歌うのか、何故踊るのかを忘れている。

オペラ歌手のマリア・カラスやパヴァロッティなどは感動のあまりに、歌い出さなかったら死んでしまうと言う印象を与える。

ニジンスキーは、ジャンプすると降りて来ないのではないかという印象を与えたと言う。

マイケル ・ジャクソンにしてもそうだ。

彼は踊り出したら止まらない、誰かが抱き締めて止めるまでは。


我々パフォーミングアーチストは、人々に感動を与える仕事だ。

自分が感動を持てなくて、人々に何を与えられると言うのだろう。

観客に感動をより力強く、美しく伝える為の訓練に励む。

いつも、自分の価値観を伝えようと思って訓練に時間を費やすのは人生の無駄だ。

若きアーティストにもう一度改めて考えてみて欲しい。

「ひとは何故踊るのか?歌うのか?演技をするのか?」

ZEN


注)
今回の彼女への指導は、主に上記の認識を与えるだけの仕事になってしまったが、人目も構わず、涙を流し続けていたので、観客に感動を伝えるという仕事を果たせる能力は充分に持っていると思っている。
残念に思うことは時間の関係で、感動を持つこと、それを伝える方法を今回、指導できなかったことだ。
彼女は、長年培ったテクニックを持っているので、短期間に感動を伝える能力を獲得できると確信している。


2018年8月26日日曜日

第21回 ザ・メソード演技訓練の実際



訓練
センソリーウォーク
五感の記憶
番外編   
表現について

ストラスバーグは言っている。

「1948年、わたしがアクターズ・スタジオの芸術監督に就任した時、感動は体験できても表現することはできないものだといううことを、益々悟るようになった。」
と。

(本当に演技に取り組みたいと、志している人は、スタニスラフスキー、ストラスバーグ、の本を読んで欲しいと願っている。)

一般に多くの人は、自分の感じていることが表れない、伝わらない。

一例を挙げると昔、ニューヨークの空港で、姉と別れを告げた時、彼女が、無感動で、心ここに在らずという様な印象を受けた。

後で知ったのだが、あの時、姉は胸が張り裂けそうになるほど、悲しかったと言っていた。

多くの俳優たち、又は、一般の人達は自分の感じていることが伝わらないので、お芝居をする。

表情をこさえたり、不必要な大袈裟なジェスチャーを入れる。
そして伝わらない。

この問題の解決方法は、リラックスの訓練だ。

自分の身体からあらゆる緊張を追い出し、感じた事が何処にも邪魔されないで、胸からの声に載せるとともに、感情が眼に表れるように訓練し習慣づけることだ。

子供を見ればわかる。
感じた事が瞬時に表れる。

俳優訓練は、子供になる訓練だと言われるゆえんだ。

人々は、心配するかも知れない。 

リラックスの訓練によって否定的な感情、怒り、憎しみ、嫉妬心等を感じて、それが出てしまったら大変だと。

心配は一切無用。

感情にブレーキをかける事は、永年に渡り、人生で訓練されているからだ。

問題は、自分の感じた心情に習慣的にブレーキをかけないことだ。

多くの学者や、科学者が天からのインスピレーションを受け、偉大なる発見をする時、真理に到達する時、おうおうにして、散歩している時、お風呂に入っている時などだという。

つまり、リラックスしている時だ。

古今東西、リラックスを求め、又、真の自分を求め瞑想や、ヨガ、座禅、荒修行等が、行われてきた。

我々は、何かの修業を通してではなく、リラックスそのものを訓練しようと言うのだ。

先ず、自分の体のどの部分に、緊張があるかを見つけ、緩まる様に色々な方向に動かし、
緩んだかどうかをチェックする。

真理的な緊張といわれる首から上の、眼、こめかみ、顎、首も同様に緩めていく。

多くの場合、ある身体の一部(腰、顎、眉)等を意識的に緩めただけで、泣き出したり、笑い出したりする場合が多い。

永年にわたり無意識に感情を抑えて来たことによる。


今回の合宿生の一人に、会社を自分の部下に任せ、新しい世界を求めて、飛び込んで来た
30代の男性がいる。

口を一文字に閉じ眉を固めて厳しい表情をしていた。

全力投球でこの社会を生きて来ただけに強い意志の力を持ている。

「眉を上げてみよう。くちびるを緩めてみよう。」
等の僕の指示に従って瞬時に実行に移す。

しかし、我々アートの世界は情感の世界だ。

その素晴らしい意志の力をバックグランドに置いて、湧き出て来た感情、衝動に從うことを要求される。

たとえ、彼が今後どの様な方向に向かって進もうと、情緒の豊かさと、意志の強さを持ち合わせれば、彼の人生は、より輝きを放つと信じている。


ZEN

第20回 メソード演技訓練の実際



訓練
センソリーヲーク
五感の記憶
番外編

俳優訓練は、人間訓練だと強く感じています。

各自が永年、無意識に溜め込んだ否定的な感情を、身体を意識的に大きく動かし、リラックスさせることによって、身にこびりついた否定的な感情を大きな声と共に外界に解き放つ事が大切です。

人は、リラックスすると、その人らしさの姿を現します。

意識的にリラックスする事によって、常に自分自身に不満で、否定的な態度を取っていた人が、在るが儘の自分自身を受け入れ、自分とともに居ることに、安心感と充足感を感じる様になります。

本人が自分の身体のどの部分が緊張して居るのか気づかない事が多いと思います。

教師の仕事は、生徒自身の身体のどの部分が緊張しているのか、本人に気づきを与え、自分の身体を自分の努力でリラックスさせる能力を身につける様指導する事です。

又、リラックスができても、表現に繋がらないこともあります。

その時は、リラックスして何かを感じたら、即、声にして外に吐き出す様にガイドします。

この様なリラックスの訓練によって、本来のその人らしさが現れます。

自分とともに居る事が出来る様になり、自分との一体感を感じる様になります。

自分らしくいる、在るが儘の自分として立ち振る舞う。

自分を明るみに立たせる。

このリラックスを習得することは、俳優のみならず、全ての人にとって必要不可欠な事と確信しています。

自分の体は、自分でしか緩める事が出来ません。

リラックスを修得して、人生の日の当たる路を歩いて行きましょう。

今、合宿に通う男性は、合宿の面接で初めて会った時、表情も、体も、声もカチカチで大丈夫かなと心配したほどでした。

たった2,3回の訓練で今は明るく、他人の面倒見が良く、率先して僕の仕事まで喜んで手伝ってくれています。

ただ、リラックスしただけだと言うのに。


ZEN

2018年8月19日日曜日

第19回 メソード演技訓練の実際


訓練
センソリーウォーク
五感の記憶
強い痛み


自分自身が人生で体験した強い痛みを再体験してみる。

怪我、骨折、頭痛、腹痛等人生で体験した強い痛みを、今この場で再体験する訓練である。

(この強い痛みをを人前で実際に再体験出来ることは、俳優の資質を問われる大きなアドバンテージだと言われる。~ストラスバーグより~)

僕は、ストラスバーグの特別の許可を得てメンバーの前で強い痛みのエクササイズをやったことがある。

(アクターズスタジオはエクササイズは、持ち込み禁止)

デモンストレーションと銘打ってやるからには、どうしても出来させる必要がある。

勿論、何回も訓練して、強い痛みをメンバーたちの前で体験して見せる必要がある。

メンバー達も人生で体験した同程度の強い痛みを、指定された時間と場所で何度も繰り返し体験する能力を持っている人は、殆ど皆無。

訓練の素晴らしさ、必要性は、いつ、何処でも、何度でも繰り返し体験できることだ。


僕の人生での痛みの体験は、右足の脛の骨を二本とも、折った経験だ。

多分、小学校5,6年の時のことだった記憶している。
空襲で焼け出され、田舎の知り合いを求め、転々と疎開先を渡り歩いていた頃。
栄養失調でげそげそに痩せこけていたのだと思う。

当時、疎開先の田舎の学校で台潰しという遊びがあって、背を丸めて踏ん張っている栄養失調の僕をめがけて、田舎の大男がぼくを潰すために飛び込んできた。
脆くも倒れたぼくの右足に別の大男が尻餅をついた。右足の脛の骨が二本とも折れた。
知らせを聞いて教師が飛び込んできて「ヒラノ、大丈夫か!」と叫んだ。
僕は、即、立ち上がって敬礼し「大丈夫です」と大声で答えてぶっ倒れた。
軍国主義たけなわの頃だった。


僕の痛みはその時のことではない。

僕は、リヤカー(粗末な鉄製の手押し車)に乗せられて病院に運び込まれた。
病院で治療を受けて数日後、医者が骨のつき具合がおもしろくない、もういっぺん外して、やり直すと言われた時である。

その時の強烈な痛みを、再体験するために舞台に向かった。

デモンストレーションなので、出来ないわけにいかない。

抑圧の中、心身のリラックスに心掛け、注意を骨の折れた箇所に静かに、ピンポイントを捜し求めて集中していった。

痛みを再体験するのは誰も望まない。

これは、俳優の仕事だ。

体験の芸術だ。意志の力で深く、静かに当時の一点を目指して注意を集中していった。

今回、時間がかかった。

15分ほどして、当時の情景と共に、あの強烈な痛みが僕を襲った。

叫び声をあげた。やり遂げた。

叫んだ。俳優の勝利の叫びだ!

これらの五感の記憶のエクササイズは、得意、不得意があって人によって容易に出来てしまうこともある。

決められた時間と場所で繰り返して、出来る事を俳優は要求される。

痛い振りをしないで、痛みを体験できたら想像された世界に生きる事になる。

是非やってみて欲しい。

この痛みは五感の記憶の痛みなのでヤメようと思えばいつでもストップできる。


なんの映画か忘れたが、
マーロン・ブランドが、手を潰され、真夜中にひとり、桶に水を張って拳を浸し、ジーと耐えていた。
たった数秒のシーンだが、彼が一晩中痛みに耐えていたのだろうと、強く印象に残っている。


ZEN

2018年8月10日金曜日

第18回 メソードアクティング訓練の実際


リラックスの重要性について
〜番外編〜
「感情の解放」


古来からの伝統的な教え、瞑想、ヨガ、太極拳等々は、リラックスの重要性を説いてきた。

これらの訓練を極めることによって、静寂、安らぎ、愛等、人間の内的本質を求めてきた。

我々のリラックスの訓練の目的は、一つ大きく違う点がある。

表現力を身につける為だ。

永年抑え込まれ、自分自身の躰にすみついた緊張を意識的に声を外に出し、取り除くことによって、警戒心からフリーになり、リラックスによって自分らしさ、あなた自身の固有の表現力を発揮するのが目的だ。

多くの場合、人々は幼児期を過ぎて、親や他人からいろいろ言われて、言動を控えるようになる。

ある時は、自分の意見、感じたことを伝えたいと望んでも、習慣的にブレーキが掛かってしまい、ぎこちなさを実感する。

自分らしさ、あるがままの自分を伝える事が出来ないでいるため、自分を責めたり、相手を批判したりする。

では、人間はどのようにして、感情や衝動にブレーキを掛けるのだろう。

歯を食いしばったり、眉を寄せたり、肩に力を入れたり、足を踏ん張ったり、腰に力を入れて等、躰を緊張させて習慣的にブレーキをかけてしまう。

(時に人は大きな悲劇に直面すると、腰が抜けたという状態になり、感情がとめどなく流れ出すのを目撃する事がある。)

この不必要なブレーキをかける事によって、その人本来の美しさ、生き生きさを失っていく。

この問題を解決するには先ず、自分自身の緊張に気づくこと。

自分の躰のどの部分が緊張しているかを気づく事。

具体的には、椅子に腰掛け(脚の緊張もチェック出来るようにする為)、躰を開けっぴろげ、ずらす。

不用意で、無防備な状態にさせるため。パターン化した、礼儀正しさを崩す。

そして、躰の隅々から、不必要な緊張を追い出すため、緩めるという手順で躰の隅々に棲み着いた緊張を胸からの声を出して外界に解き放つ。

上記の姿勢、動きで自分の体の何処に緊張があるかを見つけ、見つけたらその部分を、ユックリと緩まるように、あらゆる方向に動かし緊張を追い出していく。

その過程で衝動が走ったら(感じたら)声にして外に吐き出す。

表現力を強化するため、自分の気持ちが、あるがままに、表れ易くするため、声はアップダウンなしで、平均的な声で、バイブレーションを入れる。

それは会話ができるように、感情が乗りやすくするためである。

ある人は、この様な訓練をすると、相手に否定的な感情、怒り・憎しみ・不快感等もブロックしまうのでは無いかと不安に感じる人がいるかも知れない。

その不安は、一切不必要。

これはマズイなと感じたら即、ブレーキを掛けられる。

なぜなら、人生で、幼少期からブレーキをかけることを徹底して教え込まれたから。

今、我々はブレーキを離す訓練を必要とする。

僕は生徒に、自分の意志、判断力、努力によって自分で自分を育てられるように教育している。

教師から刺激を受けることは出来る。

その刺激を受けて、自分と向かい合い、自分自身を成長させるさせる事の出来るのは、あなたしかいない。

まゆを持ち上げ、明るい表情で話す習慣を身につけよう。

僕は、生徒に笑顔で話すために、鼻を持ち上げてみる(想像で)ことを進めている。

それぞれが、自分の人生のキャリアを築くため、他人に親切に、笑顔で明るく、胸からの気持ちのこもった声を身につけて欲しいと、切に願っている。

ZEN