2018年5月10日木曜日

第60回『神との対話』に魅せられて


ここ河口湖で合宿クラスはを始めることで、いろいろ考えさせられた。

『神との対話』の本に
教育という言葉は「引き出す」と云う意味であって、「押し込む」と云う意味でではない。真の教育はすべて、既にあるものを生徒から引き出す事だ。
と書かれてある。

「マスター」は、教えるべきものがすでにそこにあること、だから押しつける必要はないことを知っている。

「マスター」はただ、そこにあることを生徒に気づかせようと努める。

教えるとは、ひとが何かを学ぶ手助けをするのではなく、思い出す手助けをすることだ。

学習とは、すべて思い出すことであると。

つまり、教えるとは、何かを与えることではなく、思い出させることだ。

現在、40年間、教師としての過去を振り返かえってみて、一人一人の成長を願って、無我夢中になってやってきたが、生徒という人間に対する認識が足りなかったと、改めて思い知らされた。

人はそれぞれに完璧で、その完璧さを体験する為にこの世にやってきた。

たとえ、手足のないパラリンピックの選手でさえ自分の完璧さを知って喜びに満ちあふれ、輝いている。

教師の仕事は、それぞれの生徒が持つ、天から与えられた能力に気づき、その気づきを本人に伝えて、体験させ、表現に導くことにあると改めて認識させられた。

このことは、教師としての自分の人生に最重要課題として頭の片隅に置いて、仕事を続けていきたいと決意している。

一粒の種が、大木になるのに、誰かに教わる必要はない。

ただ、刺激が必要だ。

太陽や、雨風だ。

教師の仕事は、生徒一人一人が、天から与えられたそれぞれの素晴らしさに、気づきを与え、体験さるメッセンジャーの仕事だとあらためて認識させられた。

ZEN


ザ・アクターズ スタジオのストラスバーグからのメッセージ。
「人間本来の姿に立ち返り、あるがままの自分をあるがままに表現する。」