2017年7月3日月曜日

第29回『神との対話』のすすめ




〜思考をコントロールする〜
人は普通、考えて、それを行動に移す。
今晩、何を食べようかと考える。
そうだ、ピザを食べよう!
冷蔵庫を開けるとピザはなく餃子が目につく。
まあ、餃子で良いかと考えて餃子を食べることとなる。
良くも悪くも人間は考えたことを行動に移す。
人生は、もし、否定的な考えを肯定的な考えにコントロールする事が出来れば、陽当たりの良い道を歩いて行くことになる。
パスカルの「人間は考える葦である」と言う深遠な意味はさて置いて、「人間は考える脚」考えて行動に移すのだと。
人間は、考えを現実する能力を与えられた。
海に行こうと思えば海に行けるし、山に行こうと思えば山に行ける。
そんな事無理だといえば、無理になる。
思考をコントロールするということは、より明るい肯定的な清らかなものに目を向け、考えを否定的なもの、悲しみ、怒り、羨望、不安に意識的に向けないようにする事だ。
私ごとになるが、昔、オートバイに乗っていて、免許取り立ての若者にぶっつけられ、15メートル程引き摺られた事がある。
二週間程入院したが、
「この程度で良かった、ラッキーだ。」
と考えられたことが回復を速め、心理的な後遺症も残さなかった。
『神との対話』に
「人間の行動にもとづくものは二つしかない。愛にもとづくか、不安にもとづくか」
だと。
あなたが今、やろうとしていること、解決しようとしていることが、
愛にもとづくか、不安にもとづくか、自分の胸に聴いてみるといい。
愛にもとづく選択があるはずだ。
他人のためにやる事は、全て、自分の為にやることだと。
愛を与えれば、愛を受け取ることになる。
愛にもとづく考えに方向転換する。
それが思考をコントロールすることだと思う。
ふと、立ち止まって、今やろうとしていることが、愛にもとづくか、不安にもとづくか考えてみよう。
愛にもとづく選択をすれば、その愛は全てあなたに返ってくる。
愛とは何かと考え抜くことで愛に満たされ、善とは何かと考え抜くことで人間愛に満たされ、美とは何かと考え抜くことで偉大な作品が生まれ、真実とは何かと考え抜くことで神の存在を知る。
ZEN
このエッセイは、みなさんを通して自分自身の為に書いている。
いつも、お世話になってます。
感謝しています。
ありがとう。
ゼン・ヒラノ