書籍『神との対話』より
(再出)神との対話より
ー魂の発達をー選ぶなら、身体の世間的な活動によって達成することはできない。
「行動すること」は身体の働きである。
「在ること」は魂の働きである。
あなたが、人生とは「行動すること」だと考えているなら、自分を理解していない。
魂にとっては、どんな行動をするかではなく、その間、どんなふうに在るかが大切だ。
魂が追求しているのは、在り方であって、何をしているかではない。
あなたの魂はわたしであり、それを知っている。
魂はそれを経験しようと努めている。
経験するには、何もしないのが一番いいとゆうことも知っている。
何もせずに在ることだ。
同じような資質をもった二人なのに、一人は成功し、一人は失敗したと言う例だが、それは「していること」のせいではなく、「在り方」のせいだ。
一人は解放的で、親しみ深くて、こまやかで、親切で、思いやりがあって、陽気で、自信があって、仕事を楽しんでいる。
もう一方は閉鎖的で、よそよそしく、冷たくて、不親切で、陰気で、自分のしていることを嫌っている。
あなたは、身体によって何かを生むために、この地上にいるのではない。
魂によって何かを生むために、この地上にいる。
身体は魂の道具にすぎない。
身体を動かす動力はあなたの精神だ。
だから、あなたが地上に持っているのは、魂の欲求に従って創造するための動力機械なのだ。
魂の働きとは、その欲求を示唆することであって、押しつけることではない。
精神の働きとは選択肢の中から選択することだ。
身体の働きとは選択を行動に移すことだ。
身体、精神、魂が一体となって調和し、ともに創造する時、神が肉体化する。
その時魂は自らの体験の中で自らを知る。
わたしは、あなたの世俗的な成功には、感心がない。
あなたが感心を持っているだけだ。 あなたが長い期間をかけてあるあり方を達成すれば、世間的に成功しないでいる方がかえって難しいだろう。
それは事実だ。
だが、あなたは「暮らしをたてる」にかかずらうべきではない。
真のマスターは、暮らしをたてることでなく、生きることを選んだ人たちだ。
ある種の在り方からは、非常に豊かで充実した、生きがいのある素晴らしい人生が生まれる。
そうなったら世間的な財産や成功はどうでもよくなるだろう。
人生の皮肉は、世間的な財産や成功に感心がなくなった途端に、それがふんだんに流れ込んでくる道が開けるとゆうことだ。
あなたが成功したいとか、金が欲しいと言い、そのように行動すると、あなたの考え、言葉、行動がそろって、あなたは確実に、その「欲しい」という状態を経験する。
現実を変えるには、今までのような考え方をやめればいい。
この場合、「成功したい」と考えるかわりに、「わたしは成功している」と考えることだ。
いよいよわたしは成功するとか。
プラス思考の最高の形は、感謝のことばだ。
「人生で成功させてくれてありがとう。神様」
そうゆう考え、思いを口にし、それに従って行動すれば、素晴らしい結果を生む。
結果が欲しいからそう言うのではなく、結果が既に生じていると本当にわかっていて、口にするのであれば、うまくいく。
人生で何かを経験したければ、それを「欲しい」と思ってはいけない。
それを選びなさい。
生半かな気持ちではなく、思い切って選びなさい。
自分がこの世で考えたり、行ったりした全てをもう一度見直し、自分は何者か、何者になりたいかと言うことに照らし合わせて考えたら、もう一度同じことをするかどうかを判断する機会はあるだろう。
彼らが地上に戻ってきたのは、他の人たちを助けるためだ。
それが彼らの喜びなのだ。
それが彼らを高揚させるのだ。
彼らは奉仕することだけを目指している。
常に多くを求めるというのは、聖なる性質だ。
生活のために、したくないことをして、人生の時間を無駄にしようなどと、どうして考えるのか。
少なくとも、楽しいことをしなさい。
それなら、あなたが何者であるかを語ることになるから。
そうすれば、少なくとも、ひとを恨んだり、怒りを感じんなくてすむ。
真の秩序の中では、幸せのために何かをするのではない。
幸せだから、何かをする。
共感するために何かをするのではなく、共感しているから優しい行動をとる。
あなた方には楽しむ権利がある。
子供があろうとなかろうと、配偶者がいようといまいと、楽しみを求めなさい。
楽しみを見出しなさい。
金があっても、なくても、楽しい家庭はできる。
もし家族が楽しくなくて出て行こうとしたら、家族が自らの楽しみを求められるよう愛情を持って手放してやりなさい。
あなたのライフワークは「自分が何者であるか」を宣言することである。
誰でも、自分がなぜ、何をしているかを理解すれば、何でも愛することが出来る。
NY ザ アクターズ・スタジオ
正会員
ZEN HIRANO