2018年1月6日土曜日

若き俳優を目指す若者たちへ


前回に続いてジュンイチの質問NO.3に答える。

質問)
なぜ、アクターズ スタジオで公開した「夕鶴」を日本で公開しないのか?



作品「夕鶴」はストラスバーグの30回忌に合わせて演出されたもので、全く未完成だった。

僕は、ストラスバーグを師とし尊敬し、愛して来た。

彼あってのアクターズ・スタジオだ。

メンバー達に、彼の偉業を再認識して欲しいと望んだ。


作品につい語れば、成功するはずが無い。

登場人物の与ひょうは、背が低く、ずんぐりしていてノロマだ。

その役を背が高く、ハンサムな男性が演じてプレイが成立するはずが無い。

しかし、みゆきのたっての願いで、当時、みゆきの熱心な生徒だったし、アートに熱く燃えていた彼を相手役にした。

僕の演出の発想は、素晴らしいと思っているが、作品は成立しなかった。

しかし、二人とも演技力を発揮した。

特にみゆきは、アニマルエクササイズ・鶴を徹底的に実践して鶴の化身だと人々に印象を与えたと思う。

女優、山本安江の夕鶴は有名だが、演技力としてはみゆきの方が上だと思っている。

山本安江の夕鶴に対する情熱、努力はみゆきの30倍だ。

でも、いつの日か、みゆきに此の夕鶴を演じ、我々のストラスバーグから受け継いだ方法論を通して、人々に深い感銘を与えて欲しいと思っている。

フィルムには、残っていないと思うが、山本安江の夕鶴の初期の舞台で、観客を震撼させたことが何度もあったと思う。

俳優はそのインスピレーションを繰り返す能力を持つことを要求される。

それがスタニスラフスキー、ストラスバーグの教えだ。

もう一つ、今回の公演で深く心に残ることがある。

夕鶴の冒頭の幕開けに前妻・伊藤ヨシの「赤とんぼ」の唄を流したことだ。

彼女は天性の不思議な声を持っていて、人のこころの深い所に染み込んでくる。

大きな劇場を借りてのストラスバーグの葬儀の時に、彼女はお琴を弾き続け、唄い続けた。

30回忌の公演で、ストラスバーグが、一番喜んだのはヨシの歌かもしれないと思っている。

又、スタジオで、公演して一番良かったことは、演技が終わった後、ストラスバーグを知るメンバーに出てもらって、思い出話を熱く語り合った事だ。



ジュンイチ。
僕は、恩師ストラスバーグを愛している、感謝している。

その為の公演だ。

「口を閉じて尻を振れ」

他人のことなど、すっぽかしておいて、自分の創造活動に専念すべきだと思う。


演出については、もう一つ思い出がある。

自分の人生が難しい時で、たまたま、ビレッジで、黒沢監督の「羅生門」を見た。

主題がハッキリとしていないと感じた。

初めて、自分から演出し、アクターズ・スタジオに持ち込もうとした。

スタジオに持ち込むために、日本で公演した。

なんの反応もなかった。

ただ一人、白土が興奮して飛び込んで来て、「ゼンさんは天才だ」と叫んだのを覚えている。

(ミケランジェロに比べたら百分の一)

同じ作品をメンバー達を使って一週間スタジオ公演した。

ストラスバーグがニューヨークで一番才能がある女優と言っていたペニー・アレンのただ一人を除いて、僕の生徒達の方がメンバーよりはるかに優れた演技をしていた。

しかし、スタジオ公演では、ロバート・デニーロが3回、観に来たと言っていた。

ポール・ ニューマンは、僕が帰国する時に駆けつけて来て
「ゼン、日本に帰るな。自分が全て引き受ける」
と言って来た。

ポール・ニューマンは、スタジオを愛し続け、ボランティア活動で百何十億円も寄付し、素晴らしい人格者だ。

しかし、僕は、このショービジネスの世界に馴染めなく断ったのを今でも、申し訳ないと思っている。

ストラスバーグに、傾倒したせいか、その後、教師の道を選んだ。

また、メンバーの演出家が僕に惚れ込んで、僕を主役に映画の企画を立てたこともあった。

夕鶴の公演で彼に会ったが、ワイフに付き添われ車椅子に乗ってやって来た。

まったく、動けず、口もきけず目と目を合わせた。

僕を育ててくれたストラスバーグとスタジオに作品を通して、恩返しができなくて、本当に申し訳ないと思っている。


ZEN