2018年3月31日土曜日

第58回『神との対話』に魅せられて



第58回

最近、『神との対話』を読んでいて、とても気になる言葉がある。


「自分が優れているという考え方を捨てなければならないが、
その考え方が人間がもっとも魅力的だと思う考え方だからね。
人類全体が、その考え方に魅せられている。
おかげで同じ人間の集団を皆殺しにすることも、

地上の他の知覚ある存在を虐殺する事も正当化できるのだから。
このたったひとつの思考、自分たちが優れているという考え方が、

人類が引き起こすあらゆる惨事、
あらゆる苦しみあらゆる残虐さ、
あらゆる非人道的な行為の原因になってきた。」
と書かれてある。

耳の痛い話だ。

それぞれが、自分の国が正しい、優れた民族だ。

真の平和を打ち立てるのだ、
自分達正義を実現するのだと言って
爆弾を落とし正当化している。

それぞれの民族は
それぞれ固有の美しさを持っているのに。

個人的にも、
どうしてそんな事がわからないんだと言って自分の優越性を主張する。

僕自身のことを考えてみると、
演出、演技の才能を認められ、
3日前に最終試験に招待されて前代未聞 一発でメンバーになった。

アル ・パチノーノやポール ・ニューマンに演出を申し込まれ、
ストラスバーグには、ゼンはスターになると言われた。

それらの誘いを避けて、教師になるために、
10年以上、ストラスバーグのスケジュールに合わせて、
  毎年、6ヶ月間スタジオに、彼の個人のクラスに日本から通い続けた。

これらの思いが脳裏のどこかに住み着いていて、
自分では否定するが、自分自身の優越性を感じているのだと思う。

最近思うのだが、
人間一人一人、
天からそれぞれ素晴らしい資質を与えられている。

その、素晴らしさを体験する為にこの世に生まれて来たと言われる。

教師をしていると、
教えるという仕事のために、
自分は知っている、あなたは知らないと、
無意識のうちに自分の優越性を感じているのだと思う。

この観点から自分を振り返ってみると
現在の自分があまりにも未熟に感じられる。

教師の仕事は、
生徒一人一人が自分の持っている素晴らしさに気づき与え、
それを体験させることに本人を駆り立てることだと思う。

パラリンピックを観ると、
片足、片腕を失った人が喜びあふれて競技に参加している。

それにひきかえ
五体満足の健常者が不平不満を口にする。

ぼく自身、
教師として生徒の欠点でなく、一人一人の素晴らしさに気づき、
その気づきを生徒に伝え、共に努力して成長の喜びを体験したいと願っている。

それが、教師の使命であり、喜びであると思っている。

人の成長を喜べれば、
自分が成長したことになる。

もう一段教師として、
人間として
成長したいと
願っている。


ZEN

「成長は神の存在の証」
と『神との対話』のどこかに書いてあった。