2018年3月31日土曜日

第58回『神との対話』に魅せられて



第58回

最近、『神との対話』を読んでいて、とても気になる言葉がある。


「自分が優れているという考え方を捨てなければならないが、
その考え方が人間がもっとも魅力的だと思う考え方だからね。
人類全体が、その考え方に魅せられている。
おかげで同じ人間の集団を皆殺しにすることも、

地上の他の知覚ある存在を虐殺する事も正当化できるのだから。
このたったひとつの思考、自分たちが優れているという考え方が、

人類が引き起こすあらゆる惨事、
あらゆる苦しみあらゆる残虐さ、
あらゆる非人道的な行為の原因になってきた。」
と書かれてある。

耳の痛い話だ。

それぞれが、自分の国が正しい、優れた民族だ。

真の平和を打ち立てるのだ、
自分達正義を実現するのだと言って
爆弾を落とし正当化している。

それぞれの民族は
それぞれ固有の美しさを持っているのに。

個人的にも、
どうしてそんな事がわからないんだと言って自分の優越性を主張する。

僕自身のことを考えてみると、
演出、演技の才能を認められ、
3日前に最終試験に招待されて前代未聞 一発でメンバーになった。

アル ・パチノーノやポール ・ニューマンに演出を申し込まれ、
ストラスバーグには、ゼンはスターになると言われた。

それらの誘いを避けて、教師になるために、
10年以上、ストラスバーグのスケジュールに合わせて、
  毎年、6ヶ月間スタジオに、彼の個人のクラスに日本から通い続けた。

これらの思いが脳裏のどこかに住み着いていて、
自分では否定するが、自分自身の優越性を感じているのだと思う。

最近思うのだが、
人間一人一人、
天からそれぞれ素晴らしい資質を与えられている。

その、素晴らしさを体験する為にこの世に生まれて来たと言われる。

教師をしていると、
教えるという仕事のために、
自分は知っている、あなたは知らないと、
無意識のうちに自分の優越性を感じているのだと思う。

この観点から自分を振り返ってみると
現在の自分があまりにも未熟に感じられる。

教師の仕事は、
生徒一人一人が自分の持っている素晴らしさに気づき与え、
それを体験させることに本人を駆り立てることだと思う。

パラリンピックを観ると、
片足、片腕を失った人が喜びあふれて競技に参加している。

それにひきかえ
五体満足の健常者が不平不満を口にする。

ぼく自身、
教師として生徒の欠点でなく、一人一人の素晴らしさに気づき、
その気づきを生徒に伝え、共に努力して成長の喜びを体験したいと願っている。

それが、教師の使命であり、喜びであると思っている。

人の成長を喜べれば、
自分が成長したことになる。

もう一段教師として、
人間として
成長したいと
願っている。


ZEN

「成長は神の存在の証」
と『神との対話』のどこかに書いてあった。

2018年3月25日日曜日

ザ・アクターズスタジオと恩師リー・ストラスバーグの思い出


~第12話~

(前回より続く)
 

バーバラとたった二人のリハーサルに
エリア ・カザンが顔を出した。

彼は、
ザ・アクターズ・スタジオの創設者の一人で、
『波止場』『エデンの東』の作品で、
マーロン・ブランド
ジェームス ・ディーンを輩出した
アメリカNO、1の演出家
と云われた。

当日の夜は、
ニューヨークは雪が深く積もって、
彼は自宅から
1時間半かけてやってきたと云う。

約20分位の場面で、
我々の演技を彼に披露したが、
リアリティーも何もあったもんではない。

ひどい演技。

あまりにもひどい演技だったので、
無感覚。

彼がなんて言おうが気にも止めなかった。

彼は、2,3回指先で拍手してから言った。

「自分は教師でないので、コメントは控えさせて貰う」
と。

そして、彼は消えた。

翌日、
『葵の上』をメンバーに見せる事になった。

僕に大きな発見があった。

カザンのお陰だ。

彼に最低の、最悪の演技を見せたお陰だ。

とことん追い詰められて、
自分の演技に
何が足りないか
気付かされた。

それは強烈な感情だ。

それは病の妻を気遣う
いたたまれない感情だ。

「感情の事はまかしておけ!
スタジオの誰にも負けない強い感情を持っている。
ストラスバーグのお墨付きだ。
時々、命が危ないと想うほどの感情だ。」

シーンは
僕の強烈な感情と共に
スタートした。

不安と心配で、
胸が張り裂けそうな感情を抑えて
病院に駆けつける。

舞台の一点で、
マイムでジェスチャーで、
森の中を駆けつける動作の中に、
焦燥感を、寒さを、
刻々と迫る暗さを
表現していった。

ストラスバーグに教わった
五感の記憶、
マイケル・チェーホフの
心理身体訓練、

そして、
ダンスで鍛えた肉体を
フルに使って
この物語を表現した。

想像上の巨大なドアーを押し開け、
妻のベットに駆けつける。

実際にベッドがあるだけだが、
右手で彫刻家のように
足の方から妻の体を撫でるようにして
形づくり最後に抱きしめる。

一息ついて
タバコを吸うシーンがあるが、
煙までを
手のひらの動きで
表現した。

この僕の一連の動きが
バーバラを刺激し、
長い独白を
綿々とメンバーに
訴えかけた。

僕は
その独白の内容に従って、
怒りを、
悲しみを、
挫折感を、
愛を
自分の人生体験から
引き出して
嵐のように
荒れ狂い表現を
全うした。

僕らは
芸術をやりたかったんだ。

二人とも
ひたすら
魂の表現に打ち込んだ。

人の評価など
一切気にならなかった。

その日のインストラクターは、
多分エレン ・バースティンだった
と思うが、
立ち上がって、
「これが芸術だ!」
と言ったのを記憶している。

そのあと
近くのレストランに行ったが、
バーバラは、
嬉しくて、嬉しくて
子供のようにはしゃいで、
まるで宙を舞ってるようだった。

今、
この中年の小肥りの黒人
バーバラの
満面の喜びを思い出して、
涙を禁じ得ない。

ZEN

2018年3月24日土曜日

若き俳優達へ



アクターズ・スタジオの目的は、
演技に関する個々の俳優の悩みを解決しようとの目的で設立された。

実際にほとんどの演出家は、
俳優の演技を指導できない。

俳優が一流になれば、成る程演技に関して
自分自身で解決困難な微妙な問題を抱えて苦しむ。

これらの俳優達の問題を解決するために立ち上がったのが、
アクターズ・スタジオである。

当時、現役の優秀な俳優達を招待する一方、
才能豊かな人材を求めてオーディションを行なった。

オーディションは、当時、三次試験まであって、
最終試験は年間に一回、
合格者は1000人以上に一人か、二人。

メンバーになった俳優は
自分の抱える未解決の問題を持ち込んで解決に当たる。

授業は週に2回,
1回2時間、
1人1時間割り当てられる。

メンバーになれば、
完全無料、
毎週出席してもいいし、
10年に一度顔を出してもいい。

僕は、ラッキーなことに天才教師ストラスバーグに
10数年間にわたり教えを受ける事が出来た。

ストラスバーグは
半年間はニューヨーク、
半年間はハリウッドで
教えていたが、
僕はニューヨークのクラスに一度も欠席した事がない。

メンバーは、
自分の出来ることを見せるのでなく、
自分のできないこと見せるところだ。

ストラスバーグは言った。

「この俳優の問題を、
今日解決出来るかもしれないし、
五年後に解決するかもしれない。
しかし、必ず解決してみせる。」
と。

アル・パチーノやデ・ニーロも4,5回は落ちているはずだ。

ハーヴェイ・カイテルはメンバーになるのに10年掛けた。

ほとんどの俳優達は一回落ちると辞めてしまうのに。

ストラスバーグは言っていた。

「彼達は毎回受けるたびに成長していった。」
と。

上記の俳優達と同年輩なので良く知っているが、
才能も確かだが、努力が素晴らしい。

アルは、朝5時にに起きて訓練をしていたし、
デ・ニーロは役のために実際にタクシードライバーをやったり、
一つの映画で20キロも体重を減らしたり増やしたりしている。

このレベルの俳優になるには、どうしても、必要な事がある。

才能と努力だ。

どの世界でも共通のことだと思うが、
「努力があっても才能が無ければ役に立たないし、
才能があっても努力がなければ、役に立たない。」
ストラスバーグは言っている。

こう書いてくると
誰もがトップに成らなければいけないように聞こえるかもしれないが、
全くそんなことはない。

演じる事が好きで観客の前で自分を表現し、
みんなに喜びや感動を与えられたら素晴らしい人生だと思う。

自分に喜びを与えたかったら人々を喜ばせることだ。

志を同じくする人が集まって、グループ活動や劇団を作りあげるのも素晴らしい。

但し、有名になるために俳優になろうとするのなら辞めたほうがいい。

抜群の容姿と観客を引きつける魅力が必要だ。

又は、強烈な個性とそれを放射し続けるパワーが必要だ。

その他、人間的な暖かみ、優しさ、その他、想像の世界に入り浸ってしまう能力が必要だ。

あなたを有名にするのは、あなたではない。

観客だ。

又、ストラスバーグは、言っている。

「人間の心を開くこの俳優訓練法は、
むしろ一般の人たちにこそ役立てていくべきものではないだろうか」
と。

僕のワイフ・ミユキは、
30年掛けて習得した技術は
ヒラノ・ミユキ著 『感情の解放 』 角川文庫に書かれてある。

今、この3年間毎朝5時に起きて研究を続け、
未来を担う一般社会の幹部候補生の指導に当たっている。

このような実績を見て、ミユキに演技力が無いと思うかもしれない。

しかし、今、日本に、ミユキの演技力を上回る俳優は一人もいない。

もし、あなたが異議をとなえるなら、あなたの得意な台本を持ち込んで彼女に挑戦するといい。

公共の場で、同じ役を、いつでも演じて見せる用意がある。

ZEN

ストラスバーグ曰く、
「我々は、演技の本流を泳ぐ。」

河口湖コミュニティ・ベスト3

河口湖コミュニティ
卒業生
リエ

コミュニティに入って良かったことベスト3

「ゼン先生が選んだ映画、ドキュメンタリーしか観れない。」

えっ!?じゃあTV観れないの?

はい、観れません(笑)

これはめちゃくちゃ良いし、オススメです。

本当に良かったと思っています。

アートな作品しか観ないからこそ、素晴らしい演技とはどうゆう演技なのかが分かるようになってきました。

これをしなければ、どうゆう演技が良いか?

分かるようになるまでに、かなりの時間がかかっていたでしょう。

卒業後、TVを観た時に、どれほど自分の目が肥えているかを実感すると思います。

演技だけでなく、自分に必要なのもの、不必要なものが分かるようになったのも、大きく変わった所だと思います。


「大自然の中での生活」

これも大切なポイントでした。

世の中には雑なものが多く存在します。

自然の中にいることによって、自分にどれだけ雑なものが付いているかが分かります。

特にアクティングは雑なものはいりません。

不要なものはどんどん、落としましょう。

自然が全て教えてくれます。

「ゼンヒラノ直接指導」

これが1番のポイントではないでしょうか?

ゼン先生の凄さは、真実を見抜く感覚が抜群に優れてる所だと思います。

俳優の真実と嘘を一瞬で見抜いてしまう。

中々こうゆう存在はいません。

又、先生がお話しされるだけで異次元に行ったような感覚になります。

人それぞれ、エネルギーが違います。居る次元も違います。

ゼン先生は全てがアートです。

一瞬にして場のエネルギーを変えてしまう。

アートな空間、どこか違う世界へ連れて行ってくださるくらい、素晴らしい創造力、信じる力を持っていらっしゃいます。

その素晴らしい空間に1年間いられることは、とても凄いことなんだと思います。

是非触れて観てください!!






2018年3月23日金曜日

ザ・アクターズ・スタジオと恩師リー・ストラスバーグの思い出


~第11話~


僕は、スタジオで素晴らしい演技をやった事もあったし、お話にならない酷い時もあった。

(アクターズスタジオは、いい演技を見せるところではなく、自分では、解決できない演技上の問題を提起する場所ではあるが、余りにも酷い演技を見せるワケにはいかない)

今も、心に残っている場面がある。

バーバラ  ・カーヴィントン。

彼女を初めて見たのは、スタジオで、ゴミ袋を抱えた浮浪者を演じて、地下鉄の電車の中で中で、神様と話をする場面だ。

凄いの一言、本当に神様がそこにいると思わされた。

彼女は中年の黒人で才能は一級品、
エリア・カザンが、『メディア 』の舞台で主役として抜擢した。

ある日、彼女が僕に近ずいて来て三島由紀夫の『葵の上』を二人でやろうと、ボソボソと話しかけて来た。

彼女は
「三年前から思っていた」
と言った。

早く声をかければいいのに。

よくそうゆうことがあった。

僕と演技をするのをどうゆう訳かためらうらしい。

ぼくはとても、ハンサムで気が優しいのにと思っていたのだが。

今、考えてみると、こちらから、演技をやろうと話しかけたことは一度も無い。

さて、スタジオでストラスバーグに見せたのだが、二人とも酷い演技で紋切り型もいいところ。

演技をしながら彼女に近づいて、つぶやき声で、
「バーバラこの辺でやめちゃおうか?」
「ゼン、それはちょっとまずいんじゃない。兎に角最後までやりましょうよ。」
と。

ストラスバーグが、我々の演技について何と言ったか記憶はないが、彼が、日本の文化、歴史、芸術等について素晴らしいスピーチを披露した。

スタジオで初めて経験したことだが、ストラスバーグに対して拍手でクラスを終えた。

お話にならないほど酷い演技だったのに僕らはとても幸せだった。

三年経った。

又、バーバラがやって来て
「ゼン、もう一度、葵の上をやってみようよ。」
と。

物語は確か、葵の上が病気で光源氏を呼び寄せるシーン。

看護婦の長く、素晴らしいモノローグがある。

僕は光源氏、天から呼び寄せられたという設定。

天から呼び寄せられ、人間離れした、動きを要求される。

(僕には当時、ダンスで、特に、太極拳と、ストラスバーグの個人のクラスで鍛えた五感の記憶がある。)

今、天から舞い降りてきたという印象を観客に伝える必要がある。

下界に降りて来て突然人間たち(メンバーたち)に遭遇した驚きをジェスチャーで表現し、急いで病院に駆けつけるのを、そして森の中で、あたりがだんだんと暗くなるのを、寒くなるのを全て、舞台の一点に留まって、からだの動きのみで表現した。

五感の記憶で森の中を、寒さを、暗さを実感する。

クラスに発表するという前日、(二人きりのプライベートなリハーサルなのに)ひとりの男性が入って来た。

驚いたことに
エリア・カザンである。



次回に続く。

ZEN

2018年3月18日日曜日

ゼンゼミ体験談


ヨーコ
 

ゼミに初めて出会ったのは、24才の時でした。

シュウサクの知り合いに誘われて、オープンハウスに行きました。
 
その時の最初の感想は『気持ち悪い』でした。

でも、それは、頭・・・
心は、実は感動していたのです。

背中がずーっとぞくぞくしっぱなしで、でも泣く事もなく(泣く事さえもできない程、心が固まっていたのでしょう)
ゼミ生達のエクササイズでの、生の感情というものに生まれて初めて触れてショックが大き過ぎたのでしょう。
 
そんな訳で私はゼミに通う事を決心するまで半年くらいかかりました。

心の声に従うまで、そんなに時間がかかるんですね。
 
通い始めてゼン先生に触れたとたんに即、ハマりました(笑)
 
初めてのシーン実習の時の事です。
 
知り合いの家に行ってケンカをするシーンでした。
 
私はご多聞にもれず、ケンカをしに、怒って相手の部屋に行きました。

相手の部屋をノックしたとたん、ゼン先生に
「ちょっと待ちなさい。その部屋、ホントにその人の部屋? 確認した? 知らない人だったらどーすんの?名札見た? ドアは見た?」

「??? 見てません、確認してません。」

「OK、今日はわかればいい。続けなさい。」

確認してドアを開けて相手の部屋で突然私は暴れ始めました。

ー今思うと、気狂い沙汰ですね(笑)もちろん、ゼン先生に止められます
「OK、ちょっと待って。あんた、今ほんとに怒ってる?」

「??? あー、怒ってません。」

「OK、わかればいい。」
 
衝撃でした。
 
役の人生を生きるどころか、見る、聞く、話す、さえもできない自分は、というか知らなかった私は、海を漕いでウサギを採りに行っていたのです。
まさにその日から、山にウサギを採りに行く修行が始まりました。
 
エクササイズでも、ホントにたくさんの事を教えて頂きました。

今振り返るとゼン先生は、常に私達の事を
「あんた達はアクター! やるか、やらないか!」
と、アクター扱いして下さいました。
 
実際のところまだアクターになんかなれてなくて、ホントにアクターになる為、真の自分に出会う為に精魂込めて向きあっていただいていた事に気付きます。
 
私が最初に救われた
「あんた、そんなにいい人じゃないでしょ?」
の一言。

この一言は、アタシでいていいんだ!と本当に救われた一言でした。
 
「嫉妬した事ありません」
と言った私に
「そんなはずない」
と、エクササイズでとことん付き合っていただき、私が自分でも気づかない程の心の底の底を開けて見せていただいた事。

「エクササイズを毎日やる事が出来ません」
と泣きながらゼンさんに訴えると
「いいよ。そんなにやりたくないなら、あんた特別にやらなくていい。レポートを提出しなくていい」
と荒療治をしてくれた事。
 
ゼン先生は覚えてないでしょう・・・たぶん、そんな事言わせたのは後にも先にも私ぐらいでしょうね。
次週から、しっかりレポートを提出するようになりました(笑)
 
ただのワガママだったんですね(汗)
 
そして、エクササイズでセクシャルオープンをさせて頂いた事。
これは、外すわけには行きません。

心から感謝している事の大きなひとつです。

そこに果敢に立ち向かいセクシャルオープンをやらせてくれる教師が、ゼン先生の他にどこにいるでしょう。

正しい認識のもと、そこを経験させて頂いた事に、私は深い感謝と尊敬と、ゼン先生に出会えた自分の幸運を心から感謝しています。
 
そして、ミユキ先生と何本もシーン実習をやらせて頂けた事、公演に参加させて頂けた事。

それも私の中の貴重で重要な体験です。
 
今、日々の訓練を重ねながら、その時の未熟さに気づくと共に、その未熟な私にとことん付き合ってくれたミユキ先生に感謝してやみません。
 
セリフ、と台本に書いてある事を成立させようと必死な私に、その役の生活を流しながら、台本にはない言葉で、その役、そのもので、私に話しかけてくれたミユキ先生。

その役として生きて、生活しているミユキ先生に必死でついていくのはそれはそれは大変で、足りないところにどんどん気づいて、それでも自分の役と新たに出会っていく、とてもとても楽しい時間でした。
 
河口湖での公演で『葉桜』の娘役をやらせて頂いた時、もう一人のヨーコと本番前、ドキドキしながら台本を読んでいると、ゼン先生が楽屋にいらして、

「台本なんて、今更読まなくていい。ただやりなさい。大丈夫!」

「えーっ⁉︎
と、変に安心した瞬間でした。
 
ここ2・3年、エクササイズをする時の私の課題は「外へ外へ」そして「魂の声を聞きたい」でした。

魂の声ってどんな声だろう。私の本当の声ってどんな声だろう。

自分の中にある、愛と不安。
今、この瞬間、自分の中にある本心。
本当の心って何だろう。
何が起こっているんだろう。
ゆるめながら、くずしながら、顔も身体もぐちゃぐちゃにして・・・。
 
11月の始めでした。

リラックスしている時、胸がムカムカして、気持ち悪くて、何かが詰まっているようで、チャンスだ!出せ!出せ!出せ‼︎
嫉妬心を見つけた時にはゼン先生が必死で、
「そう! 出しちゃいなさい! ついて行きなさい‼︎もっともっと!!」
と引きづり出してくれました。

今、ゼン先生が目の前にいないこの瞬間は自分でやるしかない!
GO!GO!GO‼︎‼︎
今まで聞いた事のない声が自分の中から聴こえてきました。

感動して、これだ!と思いました。
 
そして、ゼン先生始め、ヨシアキ、母、父、今一緒にいる仲間、今生きている事、演劇を続けられている事、訓練を続けられている事、宇宙に存在している全てに対し、感謝が怒涛のように湧いてきて涙が止まりませんでした。


安心感、幸福感、愛、感謝。
 
これを、是非お伝えしたかった。

 
もちろん、まだまだ私の中に何が隠れているのか、訓練は続きます。
 
「あんた達一人一人の人生が大事。
好きなら続けなさい。
やるかやらないか。」
 
私は、ゼン先生に出会えた事で本当の自分に出会うチャンスをいただきました。

そして本当に幸せな人生をいただきました。

まだまだ、道の途中です。

そして、もっと、もっと、たくさんの事を教えていただきました。

今、気づく事もたくさんあります。書ききれません^_^
 
do your best
jast do it
 
今、この瞬間の全てに感謝して。
 
愛を込めて
 
ゼン・ヒラノ様
 
ヨーコ

2018年3月17日土曜日

ゼンゼミ体験談


ヨシアキ

24歳の時に出会い、それから10年以上通わせてもらいった。
その後もミユキ先生の公演やコミュニティの発表会などのお手伝いで、
Zen先生の演出を間近で体験させていただいたことは、今現在の僕にとって何ものにも代えがたい人生の財産です。


「俳優と演技に対する深い愛情と、どんな誹謗中傷も恐れず孤高を貫く勇気」
それがどれほど凄いことであるかを日々思い知るばかりです。

Zen先生の深い愛情と真の優しさ、勇気に守られて、本当に沢山のことを教わり、体験させて頂いた。

また、辛いとき、苦しいとき、悩んでるとき、ミユキ先生にどれ程、勇気づけてもらったことかしれません。

合宿で忘れられないのは
Zen先生からいただいた「あんたは格好ばかりつけるから駄目」って言葉。

あれは胸に刺さった…。

自分では格好つけてる気なんかなかったから、その瞬間、凄い傷ついたの覚えてます。

で、その後ミユキ先生からも「言われたねえ」って言われ、でも、そう言ってもらったおかげで、素直にその意味を考えてみようって思えて、今の僕にとって、本当に「ありがたい」最高のサゼッションだったって感謝してます。

最高のタイミングで頂いた最高の贈り物なので、今も大切に、何をやるときも
「格好だけにならないように」と自分にサゼッションしながら暮らしてます。
きっとお二人はずっとそれを僕に気付かせる時を狙っててくれたんだなあって思うと、涙が出るくらい有り難くって、幸せなことだと思います。

ZEN先生がクラスのたびに言ってくれた「あんた達、俳優よ!」て言葉も、忘れられません。

認識の浅さと、レベルの低さは当たり前として、それでもクラスに参加した初日から「真の俳優」とはどう云う者で、どうあるべきかを、常に考え行動するきっかけになったと思います。

  
俳優としても一度だけ、公演に参加させていただきました。

「藪の中」
ZEN・HIRANO演出の舞台に出演できたことは、僕の俳優として最高の誉です。

リハーサルから本番が終わるまで、ものすごくたくさんのことを学び、体験し、そして俳優として確実に成長させていただいたと確信しています。

「放免」を演じることになってからもリハーサルではなかなか役を掴めず、ZEN先生、ミユキ先生をはじめ、共演者のみんなから、たくさんのアドバイスとヒントを頂きながら、そのおかげで、拙いながらも、どうにか本番では「放免」を生きることが出来たと思っています。

Zen先生からいただいた、「ギターケースの馬」に乗る演出。クラウンのみんなが巧みに扱い、本当に暴れ馬みたいだったのが思い出されます。つけていただいた「馬にまたがる動き」。Zen先生があんまりカッコよすぎて、真似しようとして余計な飾りいっぱい入れたら、変てこなことになって、直していただいたの覚えてます。

あの時にシンプルなものほどカッコいいんだって教わり、それからは出来るだけ飾らないということを心掛けるようになりました。

アクターズスタジオでの公演のビデオも見せていただきました。

放免役のトニーに強烈に憧れて、めっちゃ影響されました。

ちょっとでもトニーみたいにやりたいって真似したみたけどうまくいくはずもなく玉砕。
でも、その中からいくつかの演出を拾っていただいたし、トニーの真似をしてみたことで、自分の枠から少し出ることが出来たと思うし、放免の雰囲気を体感できたように思います。
 
その放免のキャラクター作りに
「自慢やで格好つけるけど、実は臆病者で何かあるとすぐに逃げ出す」
と云うクラウン。

そのクラウンでいると自分がすべて許される気がして自由でいられて、とても楽しかった。

Zen先生に放免のリハーサルを見て頂いてるときに、リンゴを食べた後、
「ヨシアキ、自分の世界で口を拭いなさい」ってサゼッションしてもらい実行してみると、合宿でやったクラウンと、放免と云う役がシンクロし始め、合わせて僕が本来持っている「虚言癖」も役と重なっていって、本番の演技につながったと思います。

衣装もその「格好付けしいで、男らしさをアピールする」っていうコンセプトとうまくはまったと思ってます。
上半身はトニーの衣装を参考にして、全て自分で手縫いしたので、すごく思い入れがあり、頭は百均ショップに行って、いろんなものを頭に乗っけて見つけました。
下半身はZen先生のアイデアで東急ハンズに行ってオレンジ色のごみ袋を買って、ヌード雑誌を詰めることで、身につけると男をアピールしてる気分になれて、もうすごく効果的で、自分に影響していたと思います。
 
Zen先生から直接指導を受けることができて、
ミユキ先生と何度も演技をさせていただき、学ばせていただけて
志を同じくする多くの仲間や諸先輩方に出会うことができた。

体験し学んだ多くのことは、僕の人生の最高の財産です。
ありがとうございました。