2019年8月23日金曜日

「微笑み」について





最近こんなメールのやり取りが有りました。

dear M
「貴重な文章をありがとう。この二、三日どうしたら本当の微笑みを身に付けられるようになるだろうかと考えています。心の底から湧いてくるような微笑み、自分のみならず、人の心を明るく和ませるような微笑みを身に付けたいと願っています。日々出会う全ての人、物事に感謝し、ありがとうと心の中を響かせたいと願っています。」
ゼン



Mが、とても大切にしている誰かのエッセイを何年ぶりかで送って来てくれたので上記の返事を書いた。



そして、その返信がまた、Mから届いた。



「ゼン先生、本当の微笑み?考える前にすでに湧き上がってくるものではと考えますけれど。」

この彼女の返信で思い出したことがある。



30年以上になるが、京都に真珠庵と云うお寺がある。


一般の人は入れない。姉のツテで、来日していた恩師ストラスバーグと姉とともに、高僧と国宝に囲まれた一室で、御茶を楽しむことができた。

高僧はにこやかに言った。


「このお茶碗は300年前のものです」
と。




そして、ストラスバーグは言った。


「もし、飲む前に云われたら、断っただろうし、飲んでる時に云われたら、ビックリして落としてしまったかも知れない。飲み終わった後で良かった」
と。

終始和やかで、ゆったりと、素晴らしい時間を味わうことができた。

ここで僕が言いたいのは、どのくらい修行を積んだか知らないが、その高僧の天性と思われる姿勢の美しさ、慈悲に満ちた優しい「微笑み」


今も脳裏に鮮明に焼き付いている。



dear M
「 僕が求める微笑みとは、赤子のような無垢な、そして、高僧のような聖なる微笑みです。あなたの云うように求めたら、手に入らないかも知れませんね? 持っていることに気づく事かも。この次、あなたの微笑みに、お会いできるのを楽しみにしています。」



ZEN